![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/8a/f5c4d8efc7a8e1fb4908d6ae7e71950c.jpg)
忠海から我々を乗せた客船は大久野島の第二桟橋に接岸。桟橋まで来ていた送迎バスに乗って宿に向かう。バスは海岸沿いに、島の南側にある宿まで走る。
うさぎ島と言うだけあって、さぞうさぎが多いだろうと思っていたところ、見かけないことはないのだが、決してそこら中うさぎだらけ、という感じはない。
はたしてどこにいるのか、すぐにでも見に行きたいと思ったが、それにはそれなりの準備がいる。バスが宿に着いたので、まずはチェックイン。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/ab/b96a90caceaa8279df7f8b25a63beb03.jpg)
カフェコーナーにこんなイラストが。そのまま読めば「うさんちゅコーヒー」。何かと思ったら、「うさんちゅ=兎人」ということらしい。カフェコーナー自体「うさんちゅカフェ」という名前である。
「うさんちゅ」とは「うさぎを愛する人、うさぎをかわいがってくれる人」らしい。売店には「兎人」と大きく書かれたTシャツ等グッズが置いてあり、うさんちゅコーヒーも売っていた。フレーバーコーヒーだった。
自分で言うのもなんだが、尾道ではアヒルんちゅぶりを遺憾なく発揮した我々。はたして兎人になれるかどうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/22/bc0fbf1c72bb8e34c74acb5d97f78d5b.jpg)
うさぎとの触れ合いには食べ物が必須。宿ではうさぎ用のペレットをカップ1杯100円で販売している。
妻と私と、さっそく1つずつ購入。カップを片手に、島の南側の海岸沿いにある宿から、時計回りに歩くことにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/a4/1de9726e88ac75346899346cd7c3f9c3.jpg)
宿の周囲、木陰でくつろぐうさぎ。夏の昼間のことなので、エサでもなければ涼しいところで休んでいる。道理でうさぎをあまり見かけなかったわけだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/d7/6ba548ce4abf7ff79a951efbfc850e56.jpg)
地面がよほどひんやりしているのか、お腹をつけてぐったり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/bc/a6deb32af0fdb918a19b761488b321e0.jpg)
日陰という日陰が、暑さを避けてくつろぐうさぎたちでいっぱい。
大久野島がうさぎ島と呼ばれるほどになったのは、かつて島にあった小学校で飼っていた数羽のうさぎが放たれ、野生化したことがきっかけらしい。
島には天敵らしい天敵がほとんどいなかった(といってもカラスは飛んでいるしヘビもいるようだが)ことから、うさぎの数は一気に増え、現在では200羽とも300羽とも言われるまでに至っている。
ただ、中にはペットだったうさぎが島に捨てられる例もあったようで、毛が長かったり耳が折れていたり、明らかに違う品種の血が混ざったうさぎも見られる。
そういう点からすれば、この島が「うさぎ島」となった経緯は決して好ましい話とは言えない。なお、現在ではペットのうさぎを捨てることは固く禁じられている。
ただ、うさぎが繁殖したと言っても、素人目で見た限り、島の植生が荒れているようには見えない。夏なので芝生の草は少なめだが、それでもちゃんと生えている。うさぎが食べ尽くしたなどということはない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/ec/f120424f93e344d61ef23543c808fea2.jpg)
今ではうさぎで知られる大久野島だが、かつては旧日本軍の毒ガス製造施設が秘密裡に置かれていた。戦後施設は解体され、貯蔵されていた毒ガスも処分されてはいるが、島には往時の廃墟が各地に残っている。
これは宿舎のすぐ近くにある貯蔵庫跡。施設保護のため木の柵が置かれ、人の立ち入りが禁じられてはいるが、うさぎはお構いなしに入り込んでいる。
さて、ここからは島を時計回りに歩いてみよう。宿にはレンタサイクルもあるようだが、自転車で走っていてはうさぎたちと触れ合うことはできないので、暑くても自分の足で歩くことにする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/c5/170e7868ff864f7e3d73aa9330203de4.jpg)
こちらも貯蔵庫跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/47/69211f94a7558b8ff74fb4fee78cf1a0.jpg)
かつての様子を示す写真が示されていた(フルサイズはこちら)。写真だからまだいいが、これが現実に私の目の前にあったとしたら、立ちすくむか、あるいは身震いが止まらないかも知れない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/76/ce1e4c0f809a1c8bc6e58b6486708744.jpg)
しばらく歩くと日本庭園跡に出た。とても庭園があったようには見えないが、とにかく跡らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/d0/54dc29e22c9d9f100e031ed06172db2c.jpg)
道路上でたたずむうさぎたち。大久野島は自家用車の乗り入れが禁止になっているが、島の関係者の車がたまに走っているし、自転車もいる。事故でもあったら大変だ(なので道路上でのエサやりは避けること)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/fe/ae8e8aae60db5670f33737d970662aab.jpg)
さらに歩くと、大きなコンクリート造りの廃墟が現れた。ここが島内最大の長浦毒ガス貯蔵庫跡だ。施設は戦後火焔放射で焼き払われており、中は黒こげになっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/37/69c0e8b026f73b361b6d73a4fd78d8fd.jpg)
長浦貯蔵庫跡の案内板(フルサイズ画像)。施設の規模が大きかっただけに、その処理も非常に大がかりなものだったようだ。
しかし貯蔵庫跡は今も安全とは言い難く、中に入ることはできない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/32/6578679131e295de7e0776c71b0fc0a1.jpg)
島にはほかにも戦争遺跡があるという。そんな中でもうさぎたちは今日も元気に生きている。その様子を見に、さらに先に進むとしよう。
(参考資料)
■ 休暇村大久野島ウェブサイト「大久野島のご案内」
■ 毒ガス島歴史研究所
うさぎ島と言うだけあって、さぞうさぎが多いだろうと思っていたところ、見かけないことはないのだが、決してそこら中うさぎだらけ、という感じはない。
はたしてどこにいるのか、すぐにでも見に行きたいと思ったが、それにはそれなりの準備がいる。バスが宿に着いたので、まずはチェックイン。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/ab/b96a90caceaa8279df7f8b25a63beb03.jpg)
カフェコーナーにこんなイラストが。そのまま読めば「うさんちゅコーヒー」。何かと思ったら、「うさんちゅ=兎人」ということらしい。カフェコーナー自体「うさんちゅカフェ」という名前である。
「うさんちゅ」とは「うさぎを愛する人、うさぎをかわいがってくれる人」らしい。売店には「兎人」と大きく書かれたTシャツ等グッズが置いてあり、うさんちゅコーヒーも売っていた。フレーバーコーヒーだった。
自分で言うのもなんだが、尾道ではアヒルんちゅぶりを遺憾なく発揮した我々。はたして兎人になれるかどうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/22/bc0fbf1c72bb8e34c74acb5d97f78d5b.jpg)
うさぎとの触れ合いには食べ物が必須。宿ではうさぎ用のペレットをカップ1杯100円で販売している。
妻と私と、さっそく1つずつ購入。カップを片手に、島の南側の海岸沿いにある宿から、時計回りに歩くことにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/a4/1de9726e88ac75346899346cd7c3f9c3.jpg)
宿の周囲、木陰でくつろぐうさぎ。夏の昼間のことなので、エサでもなければ涼しいところで休んでいる。道理でうさぎをあまり見かけなかったわけだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/d7/6ba548ce4abf7ff79a951efbfc850e56.jpg)
地面がよほどひんやりしているのか、お腹をつけてぐったり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/bc/a6deb32af0fdb918a19b761488b321e0.jpg)
日陰という日陰が、暑さを避けてくつろぐうさぎたちでいっぱい。
大久野島がうさぎ島と呼ばれるほどになったのは、かつて島にあった小学校で飼っていた数羽のうさぎが放たれ、野生化したことがきっかけらしい。
島には天敵らしい天敵がほとんどいなかった(といってもカラスは飛んでいるしヘビもいるようだが)ことから、うさぎの数は一気に増え、現在では200羽とも300羽とも言われるまでに至っている。
ただ、中にはペットだったうさぎが島に捨てられる例もあったようで、毛が長かったり耳が折れていたり、明らかに違う品種の血が混ざったうさぎも見られる。
そういう点からすれば、この島が「うさぎ島」となった経緯は決して好ましい話とは言えない。なお、現在ではペットのうさぎを捨てることは固く禁じられている。
ただ、うさぎが繁殖したと言っても、素人目で見た限り、島の植生が荒れているようには見えない。夏なので芝生の草は少なめだが、それでもちゃんと生えている。うさぎが食べ尽くしたなどということはない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/ec/f120424f93e344d61ef23543c808fea2.jpg)
今ではうさぎで知られる大久野島だが、かつては旧日本軍の毒ガス製造施設が秘密裡に置かれていた。戦後施設は解体され、貯蔵されていた毒ガスも処分されてはいるが、島には往時の廃墟が各地に残っている。
これは宿舎のすぐ近くにある貯蔵庫跡。施設保護のため木の柵が置かれ、人の立ち入りが禁じられてはいるが、うさぎはお構いなしに入り込んでいる。
さて、ここからは島を時計回りに歩いてみよう。宿にはレンタサイクルもあるようだが、自転車で走っていてはうさぎたちと触れ合うことはできないので、暑くても自分の足で歩くことにする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/c5/170e7868ff864f7e3d73aa9330203de4.jpg)
こちらも貯蔵庫跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/47/69211f94a7558b8ff74fb4fee78cf1a0.jpg)
かつての様子を示す写真が示されていた(フルサイズはこちら)。写真だからまだいいが、これが現実に私の目の前にあったとしたら、立ちすくむか、あるいは身震いが止まらないかも知れない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/76/ce1e4c0f809a1c8bc6e58b6486708744.jpg)
しばらく歩くと日本庭園跡に出た。とても庭園があったようには見えないが、とにかく跡らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/d0/54dc29e22c9d9f100e031ed06172db2c.jpg)
道路上でたたずむうさぎたち。大久野島は自家用車の乗り入れが禁止になっているが、島の関係者の車がたまに走っているし、自転車もいる。事故でもあったら大変だ(なので道路上でのエサやりは避けること)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/fe/ae8e8aae60db5670f33737d970662aab.jpg)
さらに歩くと、大きなコンクリート造りの廃墟が現れた。ここが島内最大の長浦毒ガス貯蔵庫跡だ。施設は戦後火焔放射で焼き払われており、中は黒こげになっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/37/69c0e8b026f73b361b6d73a4fd78d8fd.jpg)
長浦貯蔵庫跡の案内板(フルサイズ画像)。施設の規模が大きかっただけに、その処理も非常に大がかりなものだったようだ。
しかし貯蔵庫跡は今も安全とは言い難く、中に入ることはできない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/32/6578679131e295de7e0776c71b0fc0a1.jpg)
島にはほかにも戦争遺跡があるという。そんな中でもうさぎたちは今日も元気に生きている。その様子を見に、さらに先に進むとしよう。
(参考資料)
■ 休暇村大久野島ウェブサイト「大久野島のご案内」
■ 毒ガス島歴史研究所