宮内駅でもっちぃ3姉弟と触れ合っていると、駅に列車が入ってきた。
来しなのものとは異なる車両。
しかし、残念なことにこちらももっちぃ列車ではない。あの「うさてつ」のロゴは、そこまでうさぎに賭けているのか、という点で興味深かったのだが。
ただ、運用に入っていないものは仕方がない。というところで、ここに来たもう1つの目的を果たしに、駅を出る。宮内の熊野大社にある、願いをかなえる3羽のうさぎを探すのだ。
駅前通りには石材の動物がところどころに置かれている。
こちらのカバのように、どことなくユーモラスなものもある。
セクシーなカエルもいる。製作者はどういう経緯でこの発想に至ったのだろう。
さて、駅から歩くこと12,3分、熊野大社の鳥居が現れた。意外にも新しい感じの鳥居である。
鳥居を過ぎてさらに2,3分歩き、熊野大社に到着した。
(クリックで拡大)
宮内熊野大社は1200年の歴史を誇る御社という。神社のサイトによれば「再建」から1200年だそうだが、あまり時代を遡ると、そもそもヤマトの宗教・信仰がどの程度この地に浸透していたか、疑問も出てくる。
ともあれ、文献資料から少なくとも1200年前に御社があったのは確認できますよ、ということだろう。
時代は下って、17世紀初頭には武将上杉景勝が米沢に移封された縁で、直江兼続が神社の修復にあたったらしく、看板にはその旨の解説があった。
社殿があるのは長い階段の先。
旅の荷物を抱えながら何とか階段を上りきると、その先には梵鐘があった。
梵鐘と言えば寺院のイメージが強いが、これが寄進されたのは江戸時代初期、神仏をいちいち区別するようになったのは、はるか後の時代のことでしかない。
この梵鐘も多分に漏れず、戦時中には金属供出の対象になるところだったが、何とか免れたそうだ。
拝殿を拝んでから、うさぎを探しに本殿へ。
3羽のうさぎが隠れる、本殿の裏へとやってきた。
この彫刻の中にはうさぎが3羽隠し彫りされている。そのうさぎをすべて見つけた人が願い事を成就させたり、事業で苦境を脱したりなどの話が伝えられるようになり、幸運を呼ぶうさぎと呼ばれるようになった。
うさぎは自分で見つけるのが約束。少なくとも、最後の3羽目の場所を教えてもらうとご利益はなくなるので、人に頼るわけにはいかない。となると夫婦で教え合うわけにもいかず、それぞれ自力で探す。
しかし、幸運がそう簡単に見つかるものではない。2羽までは見つかったものの、3羽目がとにかく難しい。しまいにはそこかしこがうさぎに見えてきて、見つかったのかどうかも分からなくなってきた。
そうするうちにも時間は経つ。他の予定もあるし、うさぎ探しばかりに時間をかけるわけにもいかない。妻に聞いてみても、やはり3羽目が見つかったのか自信がないとのことだったが、やむなく引き上げることにした。
帰りしな、神社の職員の人が通りかかった。うさぎは見つかったか、との問いに、妻が3羽目が見つかったような気がするけれど自信がない、と答えると、
「なら、見つかったんですよ。」
そうだ。言われてみれば、そういうものだ。
来しなのものとは異なる車両。
しかし、残念なことにこちらももっちぃ列車ではない。あの「うさてつ」のロゴは、そこまでうさぎに賭けているのか、という点で興味深かったのだが。
ただ、運用に入っていないものは仕方がない。というところで、ここに来たもう1つの目的を果たしに、駅を出る。宮内の熊野大社にある、願いをかなえる3羽のうさぎを探すのだ。
駅前通りには石材の動物がところどころに置かれている。
こちらのカバのように、どことなくユーモラスなものもある。
セクシーなカエルもいる。製作者はどういう経緯でこの発想に至ったのだろう。
さて、駅から歩くこと12,3分、熊野大社の鳥居が現れた。意外にも新しい感じの鳥居である。
鳥居を過ぎてさらに2,3分歩き、熊野大社に到着した。
(クリックで拡大)
宮内熊野大社は1200年の歴史を誇る御社という。神社のサイトによれば「再建」から1200年だそうだが、あまり時代を遡ると、そもそもヤマトの宗教・信仰がどの程度この地に浸透していたか、疑問も出てくる。
ともあれ、文献資料から少なくとも1200年前に御社があったのは確認できますよ、ということだろう。
時代は下って、17世紀初頭には武将上杉景勝が米沢に移封された縁で、直江兼続が神社の修復にあたったらしく、看板にはその旨の解説があった。
社殿があるのは長い階段の先。
旅の荷物を抱えながら何とか階段を上りきると、その先には梵鐘があった。
梵鐘と言えば寺院のイメージが強いが、これが寄進されたのは江戸時代初期、神仏をいちいち区別するようになったのは、はるか後の時代のことでしかない。
この梵鐘も多分に漏れず、戦時中には金属供出の対象になるところだったが、何とか免れたそうだ。
拝殿を拝んでから、うさぎを探しに本殿へ。
3羽のうさぎが隠れる、本殿の裏へとやってきた。
この彫刻の中にはうさぎが3羽隠し彫りされている。そのうさぎをすべて見つけた人が願い事を成就させたり、事業で苦境を脱したりなどの話が伝えられるようになり、幸運を呼ぶうさぎと呼ばれるようになった。
うさぎは自分で見つけるのが約束。少なくとも、最後の3羽目の場所を教えてもらうとご利益はなくなるので、人に頼るわけにはいかない。となると夫婦で教え合うわけにもいかず、それぞれ自力で探す。
しかし、幸運がそう簡単に見つかるものではない。2羽までは見つかったものの、3羽目がとにかく難しい。しまいにはそこかしこがうさぎに見えてきて、見つかったのかどうかも分からなくなってきた。
そうするうちにも時間は経つ。他の予定もあるし、うさぎ探しばかりに時間をかけるわけにもいかない。妻に聞いてみても、やはり3羽目が見つかったのか自信がないとのことだったが、やむなく引き上げることにした。
帰りしな、神社の職員の人が通りかかった。うさぎは見つかったか、との問いに、妻が3羽目が見つかったような気がするけれど自信がない、と答えると、
「なら、見つかったんですよ。」
そうだ。言われてみれば、そういうものだ。
まさに禅問答の世界ですね。