日本に新幹線が誕生して以来走り続けてきた、0系。
世代交代の波の中、最後まで残った3編成が、先月ついに運転を終了。その長い歴史にピリオドを打つ日がやってきました。
物心つく頃から、ずっと慣れ親しんできた0系。引退前に、ともに旅する機会を得ることができました。
新大阪発博多行き、こだま639号。東海道を去って久しい0系が、山陽路を貫いて走ります。
新大阪駅20番線に、0系こだまが入線しました。ホームはカメラを構えたファンでごった返しています。
今回乗車したのは、最後まで残った3編成のうち、R61編成と、
R68編成です。
残るR67編成は、JR西日本のポスターでも見かけました。
LEDが主流の現在では少なくなった、席種を表す表示幕。
行先表示幕は他の系列の新幹線でもよく見かけますが、これもいずれは姿を消していくのでしょう。
車内清掃も終わり、いよいよ乗車。鉄製の号車プレートが時代を感じさせます。
かつて花形だった頃の雄姿が掲げられていました。これは、浜名湖の辺りでしょうか?
製造元を表す銘板。
0系は非常に長い期間にわたって製造され続けました。最後に残った3編成は、それぞれ昭和60年ごろの車両です。
0系自体は長い歴史を誇る系列ですが、この3編成に関しては、ある意味では当然だとしても、意外に短命という気がします。
かつての2列+3列から、2列+2列の座席に変更された車内。
快適度は増しましたが、混雑すると座れない人が続出(苦笑)
こだまは当然各駅停車。間でひかりやのぞみをやり過ごすため、途中10分以上停車することもあり、その間はちょっとした撮影会状態。
私もホームに降りてみました。
そんな途中駅で見つけた、乗車位置表示。
西明石駅のものですが、このLED全盛期に、電球ですよ電球。
姫路や相生では、こんな注意書きを見つけました。
さすがに今ではこんなことをする人たちもいないでしょうが、かつては進学、就職、あるいは新婚旅行などで旅立つ人たちを、ホームで盛大に見送ることが多々あったのでしょう。
この時点ではなくなってましたが、5年ほど前には西明石で胴上げ禁止の注意書きを見つけたこともありましたし。
夢と希望とともに旅立つ人たちと、見送る人たち。その光景の中に、0系がいました。
車内に戻りましょう。
携帯電話が普及した今では、車内電話の出番も少なくなりましたが、登場時は画期的なサービスでした。電話のイラストが、時代を物語ります。
かつてのビュッフェでしょうか。水周りがまだ残っていました。置いてあるプッシュ電話も、なかなかの時代ものです。
西へと続いた0系の旅。とはいえ、私も博多まで行くわけではありません。さらに旅立つ0系を、見送る時がやってきたようです。
0系は、さらに西へ。
そして、みんなの夢の中へと、走り去っていきました。
世代交代の波の中、最後まで残った3編成が、先月ついに運転を終了。その長い歴史にピリオドを打つ日がやってきました。
物心つく頃から、ずっと慣れ親しんできた0系。引退前に、ともに旅する機会を得ることができました。
新大阪発博多行き、こだま639号。東海道を去って久しい0系が、山陽路を貫いて走ります。
新大阪駅20番線に、0系こだまが入線しました。ホームはカメラを構えたファンでごった返しています。
今回乗車したのは、最後まで残った3編成のうち、R61編成と、
R68編成です。
残るR67編成は、JR西日本のポスターでも見かけました。
LEDが主流の現在では少なくなった、席種を表す表示幕。
行先表示幕は他の系列の新幹線でもよく見かけますが、これもいずれは姿を消していくのでしょう。
車内清掃も終わり、いよいよ乗車。鉄製の号車プレートが時代を感じさせます。
かつて花形だった頃の雄姿が掲げられていました。これは、浜名湖の辺りでしょうか?
製造元を表す銘板。
0系は非常に長い期間にわたって製造され続けました。最後に残った3編成は、それぞれ昭和60年ごろの車両です。
0系自体は長い歴史を誇る系列ですが、この3編成に関しては、ある意味では当然だとしても、意外に短命という気がします。
かつての2列+3列から、2列+2列の座席に変更された車内。
快適度は増しましたが、混雑すると座れない人が続出(苦笑)
こだまは当然各駅停車。間でひかりやのぞみをやり過ごすため、途中10分以上停車することもあり、その間はちょっとした撮影会状態。
私もホームに降りてみました。
そんな途中駅で見つけた、乗車位置表示。
西明石駅のものですが、このLED全盛期に、電球ですよ電球。
姫路や相生では、こんな注意書きを見つけました。
さすがに今ではこんなことをする人たちもいないでしょうが、かつては進学、就職、あるいは新婚旅行などで旅立つ人たちを、ホームで盛大に見送ることが多々あったのでしょう。
この時点ではなくなってましたが、5年ほど前には西明石で胴上げ禁止の注意書きを見つけたこともありましたし。
夢と希望とともに旅立つ人たちと、見送る人たち。その光景の中に、0系がいました。
車内に戻りましょう。
携帯電話が普及した今では、車内電話の出番も少なくなりましたが、登場時は画期的なサービスでした。電話のイラストが、時代を物語ります。
かつてのビュッフェでしょうか。水周りがまだ残っていました。置いてあるプッシュ電話も、なかなかの時代ものです。
西へと続いた0系の旅。とはいえ、私も博多まで行くわけではありません。さらに旅立つ0系を、見送る時がやってきたようです。
0系は、さらに西へ。
そして、みんなの夢の中へと、走り去っていきました。
そう考えると、最後の3編成はよく頑張ったといえるんでしょうが、
見方を変えれば、さすがJ西というか、なんというか(苦笑)
>台湾高鐡
な、なぜに?[;;0J0]
私も一度チャレンジしてみないといけませんね。
‥なぜ台湾高鐵?(苦笑
で、やってみましたが‥出来ませんでした(大汗
0系の初期車は15年くらいで廃車になっているようですね。それを考えると「長生き」だったのかもしれません。
まあ当時と今では一概に比較は出来ないのかもしれませんが‥
>「しんかんせん」のイラスト
0系とかなら子供でも簡単に描けそうですけど、N700系は‥大人でも描けませんね‥(汗)
他の0系車両も、今回引退する車両も、あまり変わらないかも知れませんね。
最近でいえば、500系などは悲劇としか言いようがないのですが、
他の系列も、一体どうなるやら……
http://albireo.s39.xrea.com/td/20081001.html
車内までくまなく撮影してるのがうらやましい。
新幹線は高速走行と、それに伴うトンネルなどでの気圧変化があるので普通の車両よりはハードワークだと思います。
一般の鉄道車両も新幹線も、最近のは軽量化によって昔ほどの耐久性はないんじゃないかと。
(今でも、災害が起きた時のために保管してますが)
そう考えると、時代の流れは早くなったものだと実感しますが、
ほかならぬ新幹線の入れ替わりも、非常に早くなりましたなぁ。
(ただ京浜東北線では平成生まれの車両が次々と廃車になってますけどね)
その頃でもあの電話マークは普通の光景だったわけで、20数年で世の中は変わったんだなぁと思いますね。
今はテレビCMの代わりに電車内のテレビでCMを流した方が効率的といわれる時代ですから。
が、最近でもそういう光景があるんですね[;;0J0]
もっとも、そうやって多くの人に祝福されることは、
それはそれで幸せなことだと思いますけどね。
登場した時は、あれが最先端のデザインだったと思うんですが、
今となっては、どうにも人間味を感じるのですから、不思議なものです。
新幹線のキャラクターとなると、0系がベースになるんですよねぇ。
その甥っ子に、0系の走る姿を見せてやりたかった気もします(苦笑)
(いかんせん、陸の孤島のような地域出身)
>ホームで盛大に見送ることが
そういえば昔のアルバムにはそういうの結構ありますねー。
先日、立ち寄った富山県高岡市でそういう光景に出くわしました。30代半ばと思われる新婚さんを送っていました。新婚さんの年齢や新婚さんの友達らしき人たちの服装はフツーに今風でしたが、駅構内から出身高校校歌の大合唱(氷見の学校の校歌の様であった)、新婚の親族(平均年齢70歳か)の着物率の高さ、そしてホームに移動してまでも校歌を歌って見送る姿は「昭和タイムスリップ」でした。
保育園児も「新幹線描いて~」というときは大抵団子っ鼻で納得します。
あきれるくらい早いコですが、なんて愛嬌のある顔。
「ボクまだはしれるよ、ホラ見てよ」と言ってるみたいですね。
彼の後には「実力派」の後輩達が控えていますが、こと、玩具性という面からは、この「団子っ鼻」には勝てませんわね。
0系に向かって、敬礼(`_´)ゞ