「第2回大喜利甲子園」の合間を縫って、先日の3連休に「なんばパークス」を見に行ってきました。
関西の方、あるいはパ・リーグファンの方なら、「なんばパークス」といえばピンとくるでしょう。そう、ここは南海ホークスの本拠地、そして「江夏の21球」などのドラマを生んだ大阪球場の跡地に建てられた商業施設で、かつてのホークスの歴史を偲ぶモニュメントや展示もあるのです。
パークス自体は一昨年ぐらいにできたのですが、オープン当初は連日大混雑という話を聞いていたのと、阪神沿線住民である私はよほど用事でもない限りはミナミまで出ることがないのとで、なかなか足が向かなかったのですが、今回ふと思い立って行ってみることにしました。
地下鉄のなんば駅を降りて少しだけ南に歩くと、なんばパークスが見えてきます(写真が暗くて済みません……)。
ここからパークスの方へさらに歩いていくと、足元にこんなものがあるのに気づきます。
ぱっと見てお分かりの通り、ホームプレートをかたどった石板です。大阪球場のホームプレートがあったとされる位置に埋め込んだのだそうです。
ホームプレートの先にはピッチャーズプレートまであります。
せっかくなので、マウンドからホームを眺めてみました。
黒丸の後ろの茶色い辺りにホームプレートがあります。通りがかりの人にでも頼んでしゃがんでもらえば分かりやすかったかも知れませんね(笑)
さて、ここから中に入りましょう。7階に行くと、「南海ホークスメモリアルギャラリー」という資料展示コーナーがあります。入口で出迎えてくれるのはこの人です。
ふと考えると、あぶさんって移籍していないのに3つの球団を渡り歩いたことになるんですね。現実でそうなのは大道選手ぐらいでしょうか?
それはさておき、ギャラリーには南海ホークスの栄光の歴史をものがたるペナントや賞状などの資料がいろいろと展示されています。その1つがこちらです。
昭和39年、「御堂筋決戦」と呼ばれた阪神との日本シリーズを制して勝ち取ったペナントです。他にも、讀賣を下して日本一になったときのペナントやリーグ優勝の賞状、トロフィーや当時の監督のユニホームなどを見ることができます。
その隣にあるのが南海の年表です。
さらに進むと、南海の歴史を築いた往年の名選手達の写真パネルが展示されています。
これらの年表や展示に誰を出すか(出さないか)についてはいろいろと問題があったらしく、野村克也氏のように有名なOBでも名前が出ていない人がいます。この件については以前テレビの深夜番組でドキュメンタリーが放送されたそうですが、見逃したため詳しい事情は不明なままです……
ともあれ、南海ホークスや大阪球場はなくなってしまったものの、その歴史を語り継ぐ場所が南海グループ自身の手によって設けられたということは、やはり大いに評価すべきでしょうし、にわかとはいえ関西のパ・リーグファンである以上、私も見に行くことができて本当によかったと思っています。
ただ、大阪球場はいいとして、西宮と藤井寺の歴史はどうなるのでしょうか?かつての阪急ファンや近鉄ファンの心の拠り所はできるのでしょうか?
着々と取り壊しの進む西宮球場の近くを通ったり、藤井寺球場閉鎖のニュースを聞いたりするたびに、そんな疑問(あるいは反語かもしれませんが)を感じずにはいられません。
関西の方、あるいはパ・リーグファンの方なら、「なんばパークス」といえばピンとくるでしょう。そう、ここは南海ホークスの本拠地、そして「江夏の21球」などのドラマを生んだ大阪球場の跡地に建てられた商業施設で、かつてのホークスの歴史を偲ぶモニュメントや展示もあるのです。
パークス自体は一昨年ぐらいにできたのですが、オープン当初は連日大混雑という話を聞いていたのと、阪神沿線住民である私はよほど用事でもない限りはミナミまで出ることがないのとで、なかなか足が向かなかったのですが、今回ふと思い立って行ってみることにしました。
地下鉄のなんば駅を降りて少しだけ南に歩くと、なんばパークスが見えてきます(写真が暗くて済みません……)。
ここからパークスの方へさらに歩いていくと、足元にこんなものがあるのに気づきます。
ぱっと見てお分かりの通り、ホームプレートをかたどった石板です。大阪球場のホームプレートがあったとされる位置に埋め込んだのだそうです。
ホームプレートの先にはピッチャーズプレートまであります。
せっかくなので、マウンドからホームを眺めてみました。
黒丸の後ろの茶色い辺りにホームプレートがあります。通りがかりの人にでも頼んでしゃがんでもらえば分かりやすかったかも知れませんね(笑)
さて、ここから中に入りましょう。7階に行くと、「南海ホークスメモリアルギャラリー」という資料展示コーナーがあります。入口で出迎えてくれるのはこの人です。
ふと考えると、あぶさんって移籍していないのに3つの球団を渡り歩いたことになるんですね。現実でそうなのは大道選手ぐらいでしょうか?
それはさておき、ギャラリーには南海ホークスの栄光の歴史をものがたるペナントや賞状などの資料がいろいろと展示されています。その1つがこちらです。
昭和39年、「御堂筋決戦」と呼ばれた阪神との日本シリーズを制して勝ち取ったペナントです。他にも、讀賣を下して日本一になったときのペナントやリーグ優勝の賞状、トロフィーや当時の監督のユニホームなどを見ることができます。
その隣にあるのが南海の年表です。
さらに進むと、南海の歴史を築いた往年の名選手達の写真パネルが展示されています。
これらの年表や展示に誰を出すか(出さないか)についてはいろいろと問題があったらしく、野村克也氏のように有名なOBでも名前が出ていない人がいます。この件については以前テレビの深夜番組でドキュメンタリーが放送されたそうですが、見逃したため詳しい事情は不明なままです……
ともあれ、南海ホークスや大阪球場はなくなってしまったものの、その歴史を語り継ぐ場所が南海グループ自身の手によって設けられたということは、やはり大いに評価すべきでしょうし、にわかとはいえ関西のパ・リーグファンである以上、私も見に行くことができて本当によかったと思っています。
ただ、大阪球場はいいとして、西宮と藤井寺の歴史はどうなるのでしょうか?かつての阪急ファンや近鉄ファンの心の拠り所はできるのでしょうか?
着々と取り壊しの進む西宮球場の近くを通ったり、藤井寺球場閉鎖のニュースを聞いたりするたびに、そんな疑問(あるいは反語かもしれませんが)を感じずにはいられません。
その後、どうなってるのか不明ですが、実現することを願っています。
オープンして、まもなくしてから難波パークスで、パネルや展示や支流を見て、野村克也氏が消えてることに気づいて、どうなってんのかなと思ってましたが、やはり何か事情があったんですね。
ささやかなものでも、モニュメントだけでなく何かそういう後世に伝えられる場所があるのはうれしいですね。西宮の資料室が少しでも充実したものになりますように。
そうなんですか。これはぜひ実現してほしいですね。特に西宮球場は野球以外のスポーツやイベントでも活躍しただけに、そういう面からも歴史を偲ぶことができる施設ができることを希望します。
>パネルや展示や支流を見て、野村克也氏が消えてることに気づいて、どうなってんのかなと思ってましたが、やはり何か事情があったんですね。
聞いた限りでは野村氏本人が断ったという話もあるようですが、真相は分かりません。いずれにせよ、今でも1973年の優勝監督名は書かれていないままです。
そうですよね。
あおなみこなみさんへのレスでも書きましたが、西宮球場は野球以外にもアメフトや吹奏楽の関西の聖地でしたし、様々な機会で球場を訪れた方が昔を懐かしむことのできる施設になってほしいです。
さて、野村氏がないのは本人が断ったからとは聞いておりますが、それが何故かまでは寡聞にも知りません。
まあ退団時の事情も、その一因でしょうか。
福岡ドームにも「南海」の歴史を示すコーナーがあるらしいのですが、残念ながら知ったのがドームに行ったあとでした。
たとえ事情で身売りしても、こうして輝かしい過去を大事にすれば、お互い人間ですもの、気持ちも通じますよね。(誰に向って言ってるかは、想像の通りです)
とは言え、ここで食事をした後は必ず南海ホークスメモリアルに立ち寄っています。何度見ても、当時プレーしていた人たちの思いが伝わってくるような気がします。
そのとき思ったのは南海ホークスのコーナーを見てる人が多いってこと。若い人から年配の人まで。ちょうど球界再編騒動の真っ最中だったからなのかもしれませんが、ホークスの人気の高さ、野球への関心の高さを感じました。それほど人が通る場所でもないところなんですしね。
ちなみに、このコーナーの外には、昔の観客席の一部が残されていて、座ってまったりできます。この前行ってみたら大道芸人を見るステージみたいになってましたよ。人もそこそこ多かったし。
まあ退団時の事情も、その一因でしょうか。
私も詳しくは知らないのですが、おそらくその辺りの事情が大きく影を落としているんでしょうね。
>旧南海ファンが、「ダイエーが優勝したら、ここで集まろう」と言われるのが、そのホームベースのモニュメントです。
私もその話は聞いたことがあります。'99年に優勝した時に、当時まだ残っていた大阪球場に南海ファンの人たちが実際に集まったそうですね。
野村氏の話といい、この南海ファンの話といい、いろいろな意味で、南海の歴史はまだ生々しさを失ってはいないのでしょう。
ただ、そうであるうちに守らなければ永遠に失われてしまうものもあるでしょうし、それを語り継ぐことは本当に大事なのだと実感しています。
>何度見ても、当時プレーしていた人たちの思いが伝わってくるような気がします。
そうですね。映像コーナーもありますし、大阪球場に行くことのなかった私でも、何か当時のことが甦るような感じを受けます。
彼らがこうして展示を見たり、ホームベースやピッチャーズプレートの跡を見ることで、南海ホークスという球団があったことや、人々の南海への思いというものを知ることになるのでしょうね。
あるいは親子連れで来ていれば、親からも話を聞くことになるでしょうし、歴史というのはこうやって受け継ぐものなのかなぁと思ったりもします。