この日も朝は早い。予定をあれこれ詰め込んだせいで、6時過ぎの電車に乗らないといけないからだ。
急いで身支度をして、前日の夜に買った朝食を頂く。
栃木では「レモン牛乳」なるものが県内限定商品として有名らしい(Wikipedia「レモン牛乳」の項)。たまたまコンビニで見かけたので、買ってみることにした。
さらに、レモン牛乳にあやかったどらやきと、レモン牛乳の姉妹品「いちご牛乳」にあやかったトラヤキ(こちらは「とら」である)も見つけたので、せっかく栃木にきたのだからと合わせて買ってみた。
こうなると、いちご牛乳も欲しくなるところだが、さすがに朝から高カロリー、糖分過多にもほどがあるので、今回はパス。
はたして、この選択は正解だった。レモン牛乳を飲んでみると、とにかく甘い。レモンのレの字も思い浮かばないほどの甘さである。
確かにレモン味の牛乳などあり得ないのだが、これを200㏄飲むだけならまだしも、さらにいちご牛乳まであったとしたらと思うとぞっとした。
ただ、これはこれで貴重な体験だったし、どらやきとトラヤキは普通にいけた。試してみる価値はあろう。
さて、6時過ぎに宇都宮から電車で北に向かい、2駅先の宝積寺で下車。今日の最初の乗車対象、烏山線に乗り換える。
烏山線では国鉄時代に製造されたディーゼルカーが今も使われている。この日乗車した列車は、宝積寺寄りの車両が国鉄風の2色塗り塗装となっていた。
最近ではそれぞれの路線や地域ごとに塗装のバラエティができていて、それはそれで良いことなのだが、こうして国鉄時代のイメージを髣髴とさせる車両があると、私などはどうしてもそちらに魅かれてしまう。
烏山線は宝積寺から烏山までのローカル線。この時間の列車は線内で折り返しているが、時間帯によっては宇都宮まで乗り入れている。
同線で使用される車両には、それぞれ七福神のいずれかの描かれたイラストマークが貼られている。この車両の場合は毘沙門天である。
ちなみに、もう1両にはこのように大黒天が割り当てられている。
この2両からなる列車で、宝積寺から烏山へと向かう。山あいの区間が多かった前日とは打って変わり、多少のアップダウンはあるものの、民家の多い開けた土地を走っていく。
ただ、その民家を見ると、屋根が壊れていてビニールシートがかぶせられているものが目立つ。倒壊した建物こそ見掛けなかったが、それとて、すでに片付けられたあとなのかも知れない。
報道ではなかなかとりあげられないし、ともすれば一般にも忘れられがちではあるが、この周辺も大震災の被災地なのだ。私はあらためて衝撃を受けるよりなかった。
宝積寺から30分ほどで、終点烏山に到着した。
駅前にはかつて使われていた腕木式信号機が残されている。かつては日本各地で使われていた信号機だが、人手がかかることもあり、すでにJRではすべて自動のものに取り替えられてしまった。
先ほど車両の話をしたが、七福神は宝積寺を除く烏山線の各駅にも割り当てられている。烏山線の駅の数は8駅、宝積寺を除けばちょうど7駅になるのである。
昨日の宇都宮駅に続き、烏山駅にもカエルの石像がいた。第一印象でマイケル・ジャクソンを思い出した。
一通り駅を観察したあと、折り返しの列車で宇都宮まで引き返す。
烏山線は宝積寺で東北本線(宇都宮線)に接続しているが、烏山は他の鉄道路線にまったくつながっておらず、行き止まりとなっている「盲腸線」である。
このような路線に乗る場合、行き止まりの駅まで乗り通してから、そのまま引き返すことが多い。他の路線の駅まで歩いて行けたり、バス等があるなら話は変わってくるが、たいていはそううまくいかない。
烏山を出て、途中の大金(おおがね)駅で向かいの列車とすれ違う。
大金駅は大金(たいきん)につながり縁起が良いとされ、入場券がお守りとしてよく売れるそうだ。加えて宝積寺駅が「宝を積む」を連想させるため、この間の乗車券も縁起物扱いされている。
当然と言えば当然であるが、大金駅のキャラクターは大黒天である。
宇都宮に戻ってみると、珍しい電車が止まっていた。一見すると昔の横須賀線・総武線快速の形式・塗装だが、車体下部に白いラインが2本入っていて、さらに(写真では読み取れないが)「訓練車」と書かれている。
これはその名の通り乗務員の訓練用に使われる車両で、JRでも東日本にしかないため、私がお目にかかるのはこれが初めてである。
鉄道ファン以外からは「マニアック」と呆れられるだろうし、東日本エリアの鉄道ファンからは「こんな車両ぐらいで」と鼻で笑われるかも知れないが、正直に言って、いいものを見た、と思った。
烏山線の次は日光線。宇都宮から、その名の通り日光までを結ぶ路線である。
日光線の電車。塗装こそ特別なものの、車両自体はローカル線の普通用の電車である。
車両前面のイラストマークを拡大してみた。描かれている建物は日光駅の駅舎だろう。
車体の側面に貼られていたイラストマーク。日光線はもともと日光に向かう内外の観光客を輸送する目的で建設された路線で、その歴史はご覧のように明治までさかのぼる。
その後、東武鉄道が日光への路線を開設すると、観光客を巡る熾烈な争いが長年繰り広げられるようになった。
しかし、宇都宮を経由する分大回りとなり、かついったん列車の向きを変えなければならない不利もあり、やがて東武特急の勝ちが確定し、日光線は次第に通勤・通学客主体の路線へと変化していった。
とはいえ、この路線で日光へ向かう行楽客がいなくなったわけではない。私が乗り込んだ電車でも、海外からの観光客と思しき乗客を見かけた。プランによってはJRを使った方が安くつくのだろう。
宇都宮から40分ほどで日光に着いた。ホームには七夕飾りと思しきものが飾られている。海外から来た観光客にしてみたら、興味をそそられるに違いない。
日光駅。かつて日光観光の玄関口だったころの栄華を今に伝える駅舎である。
JRの日光駅から東武日光駅は目と鼻の先。ただ、駅前の規模は格段の差がある。
東武日光駅。JRの豪華さはないにせよ、これはこれで味のある建物といえよう。
せっかく日光に来たのだから、本当ならのんびり観光を楽しむところである。しかし、この日来たの目的は観光ではなく鉄道に乗ることである。写真を撮るが早いか、改札を抜けて浅草行きの電車に乗り込んだ。
ちなみに、日光に着いたのは9時54分、東武の電車が日光を出たのが9時57分。笑わば笑え!これが乗りつぶしの旅というものだ。
さて、東武日光を出てから少々大回りして栃木県は小山にやってきた。ここからは水戸線で茨城に出ることになる。この路線自体は数年前にすでに乗っていて、今回が2度目となる。
水戸線は線名にもかかわらず水戸を通っているわけではなく、その手前の友部と水戸を結ぶ路線である。もっとも、電車自体は常磐線を経由して水戸に直通するものや、さらに北進するものもある。
なので、水戸線の電車には同線だけではなく常磐線の路線図も掲載されている。
もっとも、現状では常磐線の北部の路線図は無用の長物と化している。それがいつまた使い物になるのか、いや、使い物になるときが本当に再び来るのか、それは誰にも分からない。
私を含む俗に「乗り鉄」と言われる者、中でも日本のそれがまず抱く目標は、JR、さらには日本の鉄道というものをすべて乗り通すことである。
そんな者にとって、あるはずの鉄路が断ち切られること、あるはずの鉄路を列車が走ることができないということほど悲しく、残念なことはない。
何より、常磐線の不通区間(だけでもないが)は、私がまだ乗ったことのない区間である。あるいは、私はこの区間を空白に残したまま、望み半ばで生涯を終えるのかも知れない。
そして、鉄路が断ち切られるということは、単なる一鉄道好きの趣味の問題ではない。鉄路が走る日本の情景、鉄路がつなげてきた人々の暮らしや日常が断ち切られることにほかならないのだ。
私は、断ち切られた福島の鉄路が再びつながりを取り戻す日を見ることができるのだろうか。断ち切られた情景が息遣いを取り戻す日を見ることができるのだろうか。
この問いを、私は誰に向ければいいのだろう。
急いで身支度をして、前日の夜に買った朝食を頂く。
栃木では「レモン牛乳」なるものが県内限定商品として有名らしい(Wikipedia「レモン牛乳」の項)。たまたまコンビニで見かけたので、買ってみることにした。
さらに、レモン牛乳にあやかったどらやきと、レモン牛乳の姉妹品「いちご牛乳」にあやかったトラヤキ(こちらは「とら」である)も見つけたので、せっかく栃木にきたのだからと合わせて買ってみた。
こうなると、いちご牛乳も欲しくなるところだが、さすがに朝から高カロリー、糖分過多にもほどがあるので、今回はパス。
はたして、この選択は正解だった。レモン牛乳を飲んでみると、とにかく甘い。レモンのレの字も思い浮かばないほどの甘さである。
確かにレモン味の牛乳などあり得ないのだが、これを200㏄飲むだけならまだしも、さらにいちご牛乳まであったとしたらと思うとぞっとした。
ただ、これはこれで貴重な体験だったし、どらやきとトラヤキは普通にいけた。試してみる価値はあろう。
さて、6時過ぎに宇都宮から電車で北に向かい、2駅先の宝積寺で下車。今日の最初の乗車対象、烏山線に乗り換える。
烏山線では国鉄時代に製造されたディーゼルカーが今も使われている。この日乗車した列車は、宝積寺寄りの車両が国鉄風の2色塗り塗装となっていた。
最近ではそれぞれの路線や地域ごとに塗装のバラエティができていて、それはそれで良いことなのだが、こうして国鉄時代のイメージを髣髴とさせる車両があると、私などはどうしてもそちらに魅かれてしまう。
烏山線は宝積寺から烏山までのローカル線。この時間の列車は線内で折り返しているが、時間帯によっては宇都宮まで乗り入れている。
同線で使用される車両には、それぞれ七福神のいずれかの描かれたイラストマークが貼られている。この車両の場合は毘沙門天である。
ちなみに、もう1両にはこのように大黒天が割り当てられている。
この2両からなる列車で、宝積寺から烏山へと向かう。山あいの区間が多かった前日とは打って変わり、多少のアップダウンはあるものの、民家の多い開けた土地を走っていく。
ただ、その民家を見ると、屋根が壊れていてビニールシートがかぶせられているものが目立つ。倒壊した建物こそ見掛けなかったが、それとて、すでに片付けられたあとなのかも知れない。
報道ではなかなかとりあげられないし、ともすれば一般にも忘れられがちではあるが、この周辺も大震災の被災地なのだ。私はあらためて衝撃を受けるよりなかった。
宝積寺から30分ほどで、終点烏山に到着した。
駅前にはかつて使われていた腕木式信号機が残されている。かつては日本各地で使われていた信号機だが、人手がかかることもあり、すでにJRではすべて自動のものに取り替えられてしまった。
先ほど車両の話をしたが、七福神は宝積寺を除く烏山線の各駅にも割り当てられている。烏山線の駅の数は8駅、宝積寺を除けばちょうど7駅になるのである。
昨日の宇都宮駅に続き、烏山駅にもカエルの石像がいた。第一印象でマイケル・ジャクソンを思い出した。
一通り駅を観察したあと、折り返しの列車で宇都宮まで引き返す。
烏山線は宝積寺で東北本線(宇都宮線)に接続しているが、烏山は他の鉄道路線にまったくつながっておらず、行き止まりとなっている「盲腸線」である。
このような路線に乗る場合、行き止まりの駅まで乗り通してから、そのまま引き返すことが多い。他の路線の駅まで歩いて行けたり、バス等があるなら話は変わってくるが、たいていはそううまくいかない。
烏山を出て、途中の大金(おおがね)駅で向かいの列車とすれ違う。
大金駅は大金(たいきん)につながり縁起が良いとされ、入場券がお守りとしてよく売れるそうだ。加えて宝積寺駅が「宝を積む」を連想させるため、この間の乗車券も縁起物扱いされている。
当然と言えば当然であるが、大金駅のキャラクターは大黒天である。
宇都宮に戻ってみると、珍しい電車が止まっていた。一見すると昔の横須賀線・総武線快速の形式・塗装だが、車体下部に白いラインが2本入っていて、さらに(写真では読み取れないが)「訓練車」と書かれている。
これはその名の通り乗務員の訓練用に使われる車両で、JRでも東日本にしかないため、私がお目にかかるのはこれが初めてである。
鉄道ファン以外からは「マニアック」と呆れられるだろうし、東日本エリアの鉄道ファンからは「こんな車両ぐらいで」と鼻で笑われるかも知れないが、正直に言って、いいものを見た、と思った。
烏山線の次は日光線。宇都宮から、その名の通り日光までを結ぶ路線である。
日光線の電車。塗装こそ特別なものの、車両自体はローカル線の普通用の電車である。
車両前面のイラストマークを拡大してみた。描かれている建物は日光駅の駅舎だろう。
車体の側面に貼られていたイラストマーク。日光線はもともと日光に向かう内外の観光客を輸送する目的で建設された路線で、その歴史はご覧のように明治までさかのぼる。
その後、東武鉄道が日光への路線を開設すると、観光客を巡る熾烈な争いが長年繰り広げられるようになった。
しかし、宇都宮を経由する分大回りとなり、かついったん列車の向きを変えなければならない不利もあり、やがて東武特急の勝ちが確定し、日光線は次第に通勤・通学客主体の路線へと変化していった。
とはいえ、この路線で日光へ向かう行楽客がいなくなったわけではない。私が乗り込んだ電車でも、海外からの観光客と思しき乗客を見かけた。プランによってはJRを使った方が安くつくのだろう。
宇都宮から40分ほどで日光に着いた。ホームには七夕飾りと思しきものが飾られている。海外から来た観光客にしてみたら、興味をそそられるに違いない。
日光駅。かつて日光観光の玄関口だったころの栄華を今に伝える駅舎である。
JRの日光駅から東武日光駅は目と鼻の先。ただ、駅前の規模は格段の差がある。
東武日光駅。JRの豪華さはないにせよ、これはこれで味のある建物といえよう。
せっかく日光に来たのだから、本当ならのんびり観光を楽しむところである。しかし、この日来たの目的は観光ではなく鉄道に乗ることである。写真を撮るが早いか、改札を抜けて浅草行きの電車に乗り込んだ。
ちなみに、日光に着いたのは9時54分、東武の電車が日光を出たのが9時57分。笑わば笑え!これが乗りつぶしの旅というものだ。
さて、東武日光を出てから少々大回りして栃木県は小山にやってきた。ここからは水戸線で茨城に出ることになる。この路線自体は数年前にすでに乗っていて、今回が2度目となる。
水戸線は線名にもかかわらず水戸を通っているわけではなく、その手前の友部と水戸を結ぶ路線である。もっとも、電車自体は常磐線を経由して水戸に直通するものや、さらに北進するものもある。
なので、水戸線の電車には同線だけではなく常磐線の路線図も掲載されている。
もっとも、現状では常磐線の北部の路線図は無用の長物と化している。それがいつまた使い物になるのか、いや、使い物になるときが本当に再び来るのか、それは誰にも分からない。
私を含む俗に「乗り鉄」と言われる者、中でも日本のそれがまず抱く目標は、JR、さらには日本の鉄道というものをすべて乗り通すことである。
そんな者にとって、あるはずの鉄路が断ち切られること、あるはずの鉄路を列車が走ることができないということほど悲しく、残念なことはない。
何より、常磐線の不通区間(だけでもないが)は、私がまだ乗ったことのない区間である。あるいは、私はこの区間を空白に残したまま、望み半ばで生涯を終えるのかも知れない。
そして、鉄路が断ち切られるということは、単なる一鉄道好きの趣味の問題ではない。鉄路が走る日本の情景、鉄路がつなげてきた人々の暮らしや日常が断ち切られることにほかならないのだ。
私は、断ち切られた福島の鉄路が再びつながりを取り戻す日を見ることができるのだろうか。断ち切られた情景が息遣いを取り戻す日を見ることができるのだろうか。
この問いを、私は誰に向ければいいのだろう。
無果汁だったのでパスしましたけれども、話のタネのためにも投資しておくべきだったかなあと。(笑)
>9時54分…9時57分。
会社で見ていて、大胆なスケジュールに笑ってしまいました。
移動の際、足元にはくれぐれもご注意下さい。
一度は試してみるべきだったかも知れませんね。
二度は必要ないと思いますが(笑)
ちなみに日光での乗り換えは、本来なら1本後の電車にするつもりだったんですが、
電車が定時に着いたんで、いちかばちかやってみようかと[;;0J0]