長いこと旅をしてきた。諸相の中を。かつてのそれらの日々を左肩越しに時折ふりかえることがある。記憶は齢を重ねるごとにだんだんと遠く、朧になっていくことを知覚させられる。が、青い消失点を弄りながら、魚を釣っていたのかそれとも時間に釣られていただけなのかわからない自身の後姿が今は懐かしく思い出される。そうして、吹きすぎていった風があの砂浜に記していったものをいまでは幾らかは理解できるような気がする。
「ブルーのある風景(2)」で書いた古い写真の大半は、実は、今ではもう見られない風景である。あの震災の日に消失したあるいは復興工事で原形をとどめてない海辺の町のそれである。生まれ変わった新しい町をみられるのはいいことだ。が、ひそかに息づいている片隅の光景をこよなく愛した通りすがりの旅人として、それらをこういう形であるにせよ、残しておくのはあながち無意味なことではないであろうと思われる。生きてきた証として。
右下に1995年9月12日の日付が読み取れる。風強き日の鳴瀬川河口の1枚である。