折々の記

釣行日誌(2)

   奥松島から塩釜港そして仙台港にかけての一帯は三陸のリアス式海岸の南端にあたる。海岸線が複雑に入り組んでおり、加えて沖合に所謂潮目が形成されるため魚種が豊富である。その日のターゲットは選り取り見取り気分次第である。もっとも、長年培った経験則に基づくと、「釣った」と「釣れた」とでは雲泥の差があり、投げ釣りをしながらボケッとして魚信を待つのはいくら風光明媚なところとはいえ性に合わない。三メートル前後の錘負荷一、二号の感度のいいカーボンロッドで魚信の繊細なクロダイ、ウミタナゴ、カワハギ、落ちハゼ、メバルなどとの駆け引きをするにまさる釣りの醍醐味はない。
釣師にはせっかちで気が短い奴が多いという説があるけれど然りである。 N氏もまた。氏は某自動車会社のベテラン営業マンである。週の半分は午後になると拙宅におこしになる。「不景気でさっぱり車売れねぇしねぇ。どれ、今日も行ぐすか」というワケで、ポイントまでまっしぐらに車を飛ばす。私が一人お先している日には、けたたましく携帯電話が鳴り響き、「いま、何処っしやぁ」。ほどなくお見えになる。トランクには釣具一式と変装用具が常備してあり、背広を脱ぎ、頬被りをして偏光グラスをかけるや眼光鋭き凄腕の釣師に変身する。
 釣果を妻が天麩羅にしてくれる間はいつも将棋を一局指し。そうして、きれいに骨だけを残して、陽が暮れてから会社へ戻られるのである。そんな日々が三、四年も続いただろうか。氏が定年退職されると同時に、私は五十年暮した海辺の町をあとにした。以来音信不通のままである。先日、氏が後任に指名していったR氏にうかがったところ、「相変わらず、頑固一徹。元気そのものですよ。ご安心下さい」とのこと。いまは田舎に戻り畑を耕す毎日をおくっておられるという。
 あれ以来、私はマハゼの天麩羅を食することもなくなった。
 「Nさぁん、今度まだ釣りっこに行がねぇすかぁ」
 この思い、氏に届いておくれでないか。かつての日々を懐かしみつつ、駄作を一句氏に捧げる。
     マハゼ釣りかの日は何処まで行ったやら

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