少しずつではありますが、博士論文の作成過程を書き出してみます。
特に、私は『論文博士』という珍しい形式だったので、論文博士に挑戦しようと思う方に参考にしていただければと思います。
まず、博士論文には課程博士と論文博士の2種類あり、一般的には前者がメジャーです。
後者は、大学院博士課程には通わず、論文を提出するだけで博士号を取得する形式です。
よって、論文博士は課程博士と比較すると、博士号を取得するのは困難だと見られています。
しかし、私のように今更大学院博士課程に行く金銭的余裕が無い者にとっては、論文博士が博士号を取得する唯一の手段と言えます。
次に、論文博士を申請するには、特定の要件を満たしている必要があります。
①日本学術団体に登録されている学会の雑誌に複数の論文が掲載されている
②国際学会で発表する
③最終的に教授会で文句が出ない量(5本程度)と質(再現可能な手続きの記述やデータ)の論文を含めて博士論文を構成する
④メタ分析のような比較的質の高いレビュー論文を含める
また、私が申請した大学の研究科では、まだ論文博士を申請した人がいなかったです。
この点は、手続きが探り探りになるので懸念点でもあり、一番乗りになれるという意味で自分のモチベーションにもなりました。
ここで懸念点を払拭するために参考にしたHPがあります。
学位取得(論文博士)への遠くて近き道のり
全く同じというわけではないけど、自分にとってはとにかくやるしかないんだなと覚悟が決まるような内容でした。
臨床の仕事を継続していて、こつこつ実践研究を発表している者にとって、論文博士挑戦への誘いがかかることは光栄なことだと思う。
ただ、自分は何か一貫したテーマを持って実践研究をしていたわけではないので、博士論文のテーマを決めるのが困難だった。
博士論文執筆のためにはオリジナリティのあるテーマの提示が必要であり、最初から肝心な所で詰まってしまった。
自分には昔からなんとなくトイレットトレーニングに対する憧れがあり、それに関して考えることも多かった。
ただ、自分なんかがトイレットトレーニングで博士論文を書いていいのか?と弱腰になるとともに、トイレットトレーニングはフィールドにすぎず、
何をオリジナルの視点にするのか?という所で詰まるので、根本的にはテーマの問題は解決しなかった。
本来であれば、テーマを決めてから取り掛かるべきだと思うのですが、トイレットトレーニングに関する論文を投稿しつつ、新たな実践を進めることを優先しました。
やってるうちに何かテーマが見えてくるのでは?という微かな野望を持ちつつ、テーマが見えなければ、五月雨的にトイレットトレーニングの論文を出してる物好きで終わってもそれはそれで後悔はないなと思いました。
そのような状況の中で、まず取り組んだのがトイレットトレーニングに関する実践研究の論文の投稿でした。
ある学会でポスター発表して倫理委員会から警告された実践でした。
この実践に問題があることを了解した上で、問題点も提示した上で論文にして他の学会の雑誌に投稿すると、どう評価されるんだろうと思いやってみました。
2人の査読者の評価が割れましたが、最終的に受理されました。
その過程で、問題点を克服するような実践ができたので、その論文を投稿し、同時に掲載されることになりました。
その後、その雑誌の編集委員に任命されたのですが、初の編集委員会で先の論文の話になり皆様にご迷惑をかけてしまったことが判明しました。
・国際学会発表
お世話になっている先生に誘っていただき、初めて海外の学会に参加して発表することにしました。
一通り登録も済ませたところで、一人で参加することが明らかになりました。
とにかく行くしかないので、まさに清水の舞台から飛び降りるつもりで、米国に向けてセントレアから飛び立ちました。
結局、現地に着いてみると、日本からの参加者は私あわせて4人でした。
鳥取大学の井上夫妻がそれぞれ発表されて、あとBECの上村先生も参加されていました。
ポスター発表後に、井上雅彦先生に声を掛けていただき、食事や観光を一緒にさせていただき、得難い経験をしました。
実際にお話したことはなかったのですが、お互い学生時代に北海道を放浪したという共通点があり(井上先生はオフロードバイク、私は自転車)、自分が泊ってるドミトリーの名前がいかにも安宿な感じに笑っていただき、それ以降は何話しても何してても楽しかったな~。
奥様とも初めてお目にかかったのですが、下の名前をお聞きしたら「プロンプト」の代表?という連想ゲームが成功し、それ以降はむしろ奥様の方に仕事の相談をするような感じでした。
おそらく井上夫妻の邪魔をしてただけだと思うのですが、自分にとっては一人で海外に来て発表したご褒美でした。
マイアミの国定公園をトレッキングしたのは楽しかったな~。
日本に帰ってきて翌週に、ロックダウンとなりました。
既に米国に行く前に、何か新しいのが流行ってるねという情報はあったのですが、まさかこんなことになるなんて。
・英語論文投稿
井上雅彦先生に英語の論文を投稿することの重要性を教えていただきました。
ちょうどその頃、あるトイレットトレーニングの実践が一段落し、論文にすることの許可をとろうと保護者と遣り取りしました。
その時、保護者の方から、「英語ならいいよ」という条件が提示されました。
というわけで、英語論文にチャレンジすることにしました。
そんなに英語力があるわけではないので、英訳ソフトを駆使したり業者に依頼したりしながら、なんとか投稿した。
一つ目の雑誌は、一発リジェクトでした。
二つ目の雑誌は、なんとかリジェクトされずに、査読に入ることができました。
英語論文は博士論文の必須要件ではありませんが、英語論文があることは非常に有利になります。
・レビュー論文作成と投稿
まず日本の文献をまとめました。
次に、英語の文献も含めました。
正直、とんでもない量の文献なので、何か文献を絞る方法はないかと考えました。
「What Works Clearinghouse が作成したエビデンスの基準を満たすデザイン規準」を採用して、文献を絞ることにしました。
共同研究者と休日に集まり、規準に照らし合わせて文献を分別していく作業はあまりにも大変でしたが、共同研究者がいたから乗り切れました。
さらに、ただ文献をまとめるだけではなく、メタ分析することになりました。
シングルケースデザインのメタ分析のやり方がわからない!こんな時は、参考になる論文の著者にSNSでコンタクトして、指導を乞うという荒業でなんとか乗り切る。
教えてもらうと、統計ソフトは案外私でも使える物だったので、ひとまず統計的な問題はクリアした。
ひとまず論文を作成して、投稿してみた。一発リジェクトでした。
昔の自分なら落ち込んで諦めるのだけど、その時の自分はリジェクト理由の誤りを指摘して再審査を主張した。
再審査になり、かなりサポーティブで教育指導的な査読をしていただき、なんとか受理された。
この経験を通して、研究において、自分の苦手なことに関して他者から教えを乞うことや、アサーションの有効性を学びました。
同じ巻にシングルケースデザインの総論的なレビュー論文(竹林,2022)が出ており、自分の論文の問題点とその解決策が丁寧に記述されている論文だった。。
竹林由武. (2022). 認知行動療法研究シングルケース実験デザインにおける介入の有効性評価. 認知行動療法研究, 48(2), 145-154.
自分としては、教育機関や研究機関に属さない者がメタ分析論文を書いて受理されたということに誇りを感じている。
ちなみに英語論文とレビュー論文の受理メールが同じ日に、ソロキャンプで焚き火をしている時に届きました。
あまりにも舞い上がってしまい、もう自分は明日死ぬんじゃないだろうかと不安になった記憶があります。
この2つの論文は、私の博士論文のアピールポイントであり、教授会で文句を言われる可能性を下げてくれたと思います。
・テーマのひらめき
ある程度論文もたまってきた状態で、共通する要素を探しました。
ある日、仕事でミスってしまって保護者の方に怒られてた時に、「先生は手続きの個別化は工夫してくれてありがたいけど、・・・は全然ダメ!」と言われました。
その時、「個別化」が自分のテーマだったのかと!と全ての点と線が繋がった感覚がありました。
個別化は基本的には機能的アセスメントでやってるよな、それって武藤先生(2000)が言ってた事だよなとなりました。
武藤崇, 唐岩正典, 岡田崇宏, & 小林重雄. (2000). トイレット・マネイジメント手続きによる広汎性発達障害児の排尿行動の形成: 短期集中ホーム・デリバリー型の支援形態における機能アセスメントとその援助. 特殊教育学研究, 38(2), 31-42.
そして、私の博士論文の題名が決まりました。
『自閉スペクトラム症と知的障害児者に対する機能的アセスメントに基づくトイレットトレーニング』
そしてこのテーマに沿って、博士論文全体を構成して、全体考察をまとめていきました。
たしかコロナに罹って1週間隔離されてた時に、第一弾を書き上げたと記憶しています。
喉や関節の痛み以上に、論文の産みの苦しみに悶えた隔離期間でした。
・申請手続き
先述した通り研究科にとって初の論文博士申請だったので、大学職員の方との遣り取りが非常に大事でした。
職員の方も探り探りで、申請要項はありますが細かい所まで決まってなかったり、おそらく大学教員の先生が定年退職に向けて博士号を取得するというような昔の古き良き論文博士を想定していると思うので、なんで?と思う手続きでした。
具体的には、予備審査の段階で初めから完成された論文が提出されることが前提でした。おそらく大学教授の先生が既に出版されてる自著を提出する感じなのかな。
職員の方とお互い初の試みなこと、そして私のような者を想定して設定されてないことを早い段階で共有しました。
それからは何があっても決められた通りにやるしかないと割り切って進めたと思います。
後から思うと、私のような者を根気強く相手して下さった職員の方には頭が下がる思いです。
履歴書を提出した時に一番驚かれたのが印象的でした。まあ伏工を卒業して論文博士取るなんて馬鹿というか怪しまれる。
・審査会
予備審査会では、「英語のテスト」と「口頭試問」が行われます。
口頭試問がメインなのですが、この歳で英語のテストは正直辛かった。
「博士論文の要約を英語で書く」と「PBSとABAの相違がテーマの論文を要約しつつ和訳する」の2課題でした。
これで軽く心を打ち砕かれた後に、口頭試問でした。
この審査をクリアして、適切に修正できればOKなのですが、予備審査が終わってから修正稿の提出までの期間が短いこと!
でも、口頭試問で主査と副査の先生方から提示していただいた修正点は非常にありがたかった。
正直、短期間で修正できるか!?と思うくらい、根本的で示唆に富んだ内容だった。
その1週間は何もかも忘れて執筆に奔走したと思う。ただ、辛かった記憶はない。むしろ、楽しかった。
自分の頭が整理される過程は何物にも代えがたい。
本審査用の論文を提出して数日後に親が亡くなりました。
もう末期の状態が長かったので覚悟はしてましたが、このタイミングで亡くなるとはさすが我が親。
今で言う毒親で決して良い親子関係ではなかったけど、最後の方は和解できたのかな。
予備審査会後に病床に行って「次うまく直せたら、博士号取れるかも」と報告すると、「ホントは医者になってほしかった」なんて初めて聞くことを言い出す始末。
うち、医者の家系でもなんでもないのに・・・さすが我が親と改めて感心した。
まさに貧困から這い上がった人生で、つきあってる友人も不釣り合いの人達ばかりで、見栄を張りたかったんだろう。
あれよあれよと本審査会という最終テストがやってきました。
ここまで来ればもうやるしかない。こんな時は「シンプルに」ということを心掛ける。
パワポをとにかくシンプルにして、発表をわかりやすくするように準備しました。
本番では発表してた時の記憶はありますが、口頭試問になって即効で頭が真っ白になりました。
初めの主査の先生からの指摘が厳しすぎて最後まで立ち直れなかった状態でした。
当然のことですが、どの先生からもフェアに評価され(ほめられたり、問題点を指摘されたり)、本当はちゃんとディフェンスしないといけないのだろうけど、ごもっともでございますと妙に聞き入ってしまってる自分がいたと思う。
二人の副査の先生から予備審査の時にかなり難しめの修正を出されたのですが、それを修正してきたことに対して「よく短期間で修正してきたな」と言っていただけたのが何より嬉しかった。
そして、なぜだか後輩が審査会に出席していた。その大学の准教授になっていたから、出席してもおかしくはないのですが、正直嫌だった。
仲が良いわけでもないし、どちらかというと嫉妬してる。屈辱的だなというのが最初だった。
そんな感情かき乱された状態で発表を開始したわけだけど、なんと!その後輩が絶妙な傾聴の態度をしてくれたおかげで、リラックスして発表できました。
そんな奇跡のフュージョンにも助けられました。
後日談ですが、後輩も本審査会に行くかかなり迷ったらしい。彼も私のことが嫌いだろうから、それは当然だ。おそらく、上司に誘われて断るわけにもいかなかったのが実際のところだろう。
結局は来てくれて私にとってはそれが助けになった。
大学院の頃から15年越しに和解したかもしれない。あの絶妙な傾聴は、臨床実践の賜物だろう。
本審査が終わり、自然発生的にその場でトイレットトレーニングに関する議論が参加者で始まった。
その空間と時間が最高に心地よかったのを覚えている。「あ~これがアカデミアなんや~」なんて部屋に後光がさして夢の中にいる気分でした。
その後、急に示し合わせたように揃って退散され、主査と自分だけが会場に残り、ありがたいお言葉を掛けていただきました。
その後はメールにて正式に博士号授与を通知されました。
授与式には仕事の都合で出席できませんでした。
さすがに通ってもいない大学院の授与式に出るのは申し訳ないという思いもありました。
ちなみに私が取得したのは論文博士による博士号(人間科学)なのですが、
論文を作成するうえで「論文博士」と「人間科学」がキーポイントになります。
論文博士というのは、既に自立した研究者であることが前提です。今から思うと絶妙なバックアップのもと取り組ませていただいたという思いが強いが、取り組んでいる最中はなんでもっと教えてもらえないんだろう!?とつい甘えが出てしまうことが多かったです。そんな自分に対して、過不足のないバックアップを一貫して貫いていただいたことが最終的に自分の成長に繋がったと思います。
人間科学というのは、広範な分野です。心理やABAの人に通じれば良いというわけではなく他分野の方にも理解していただく必要があります。特に、「障害モデル」を検討し、「トイレットトレーニングの意義」を再定義することが重要でした。これがないと、すべてが薄っぺらくなってしまいます。
本邦の学術界の動向としては論文博士は無くしていく方に向かっています。
現役であろうが社会人であろうが、博士課程に入って所定の年数で課程博士を取得する方向に行くでしょう。
私自身、ギリギリ滑り込めたという感触です。
なので参考にして下さいと言いつつ、参考になる機会は限りなくゼロに近いのかなと思っています。