岡村屋本舗地下1F通路(年中不定休) 和太鼓奏者岡村柳侍の活動や、月兎園の事だったり、その他諸々。

和太鼓奏者 岡村柳侍の活動。群馬県榛東村にある多目的スタジオ付きの施設「月兎園」の情報や全く関係ない事など

回顧録その8(高崎で太鼓始めました。その2)

2017年08月29日 00時08分47秒 | 回顧録
前回の内容はコチラ→回顧録その7

と、いう事で初回の練習に向かったのですが…

誰もいない‼︎Σ(゚д゚lll)

日にち間違えたのか⁈と思っていたら、おろむろにメンバーの方が一人で見えて、そういえば今日来る予定だったよね〜って。
確か本番があって練習が急遽休みになったとかだった様な理由でした。

せっかく来たから曲覚えて行きましょうという事で、和太鼓会の統一曲の「からっ風」の譜面を渡され、それを閉まって入れない練習場の前の玄関口で手でリズムを叩くという何ともシュールな光景。
そう、最初の練習太鼓ありませんでした(笑)

で、最初に思ったのが、譜面なのか⁇という事。
今でこそ普通に音符ありきの譜面が流布してますが、前習った時は口唱和とそれ書いたもの。
でしたが、そこはピアノの経験値が生きたおかげで初回から譜読みはサクサクと。
結果もう一曲「上毛」を途中までやって練習終わった記憶があります。
先輩もご年配の優しい方で、丁寧に教えて頂きました。
これなら続けられそうだな〜と思っていたのは初回だけ。
まだこの時は知らなかった、これから続く厳しい練習と大人の世界と…

つづく。

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回顧録その7(高崎で太鼓始めました)

2017年08月21日 00時01分49秒 | 回顧録
前回の内容はコチラ→回顧録その6

自分のプロフィールには、地元の太鼓チームでなんちゃら〜と書いてはいますが、どこにいたのか⁇ってのは載せていませんでしたが…

まぁ既にね、昔から群馬の和太鼓グループにいましたとか高崎のグループといえば的な所で、どんな所⁇と聞かれた際にその都度個別に答えていましたし、改めてここで公にするって言ってもそんなにという事でもないのかも知んないし…

ただ、プロフィール鼓童の名前は出していても、群馬の和太鼓グループ的に濁しているのは大人の事情←この辺も話していくけどね。というか当時は大人でもなかったけど(笑)

今後群馬で太鼓やるとしたら、俺の過去を知ってる人も一部いる訳だし、もう戻る事はないとしてもこの辺はクリアにしてかないとかなぁと思って一応形の上で公にして、その辺の思い出も語っていこうかなと。

はい、勿体つけるのはこの辺にしておいて…

私は小学校6年から高校3年卒業まで、高崎の頼政太鼓という団体に所属してました。

…知ってる人にはさぞ驚かず、群馬県内では一部知られてる事かも知んないし、群馬で最近知り合った方にもそうだったんですか⁉︎と言われる事もあり、ただ最近だと合宿に来た音阿弥の瑠羽ちゃんには驚かれた(笑)
頼政の事は成田太鼓祭で知ったみたい。
まぁ成田の出演は辞めた相当後の事だからね。

本当に昔々のお話で、前会長が現役の今はもうメンバー現役で誰も残っていない大人の世界に、子供2人が(程なくして俺1人)放り込まれたお話です。

つづく。

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回顧録その6(高崎での生活スタート)

2017年08月20日 22時57分49秒 | 回顧録
前回の内容はコチラ→回顧録その5

老神で最後のピアノレッスンの際、母親同伴で先生から「向こうに行ってもピアノは続けるの⁇」との質問に、「今度はドラムやってみたいですね!」と元気に返してしまいましたが…ピアノ自体はあまり熱心でもなかったのでこれでやめてしまって良いのかなぁと思っていました。

と言いながらも、ドラムもというかあまり音楽を熱心にやりたいと当時思っていなかったので、これでゲームとミニ四駆←時代がわかるね(笑)に専念出来るぞ‼︎とワクワクしていました。

生活で変わった事と言ったら、ホテル勤めが、自営の居酒屋(今もやってるよ!)という事もあり、母親が自宅に必ずいるという事でした。

で、高崎での生活がひと月過ぎる頃、またまたお約束の母親がおろむろに「何かね、高崎に和太鼓のグループがあるみたいで、さっき会長さんに2人(1人は兄貴)お願いして来たよ」

ハァッ⁈( ゚д゚)

まだこっちの生活慣れてないんだけど‼︎

「練習日来週の金曜だってよ」

うん、安定のゴリ押し感(笑)

…という事で、高崎の和太鼓グループに入る事になりました。
当時、今でこそたくさん全国に和太鼓グループがありますが、ご存知の通り、ういっしゅのおじいちゃん総理がふるさと創生よろしく地方自治体にお金をかけた関係で、ありとあらゆる所で和太鼓グループが出来ていた時代でした。

当時自分自身、習ったものが個人一人で叩く太鼓だったので、和太鼓を集団で叩くという概念とか持たないまっさらな状態で最初の練習に向かったのでした…

つづく。


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回顧録その5(高崎へ引っ越し)

2017年08月18日 15時03分44秒 | 回顧録
前回の内容はコチラ→回顧録その4

話は前後するけど今は結果東京に住んでますが、ここに至るまでに4年間で引っ越し4回(川崎市多摩区→月兎園→埼玉某所→東京某所→今んところ)
って多いよね!
引っ越し好きなの⁈とか、何か生活定まってない感あるよねって言われたりすると、ルセー‼︎こっちは必死なんだよっ‼︎言い返したくなる💢

人の事情も知らないで…と言いながらも、実は実家もここに至るまでに7〜8回も引っ越ししていて、老神だけでも2回も引っ越ししてるんだよね。
まぁそれも事情ありきなんだけど。決して引っ越しが好きな訳ではない。
だけどいざ引っ越すとなると、かなりやり慣れてる感があるのは否定しませんけど(笑)

で、結果、実家の終の住処となる事になった高崎への引っ越しのお話へと繋がるのですが…

あれは小四の終わりの時かな⁇
またこれもお約束、母親からおろむろに「今度兄ちゃんが桐生の高校行くでしょ、だから通学しやすい所に引っ越そうと思っていたら高崎にね安い土地見つけたから。来年家建てるよ」

ハァッ⁉︎Σ(゚д゚lll)

来年って、俺小五の終わりで転校するの⁈

都会の生活も今は昔、もはや田舎の少年と化し、友達と楽しく過ごしていた所で転校かっ⁉︎

この時は一時反発したのですが、時間の経過と共に頭が切り替わって行きました。
まず高崎って所を当時知らなかったのですが(笑)割と栄えている事。また、いずれは東京に戻りたいという欲求もあったので、電車での都内のアクセスが良い高崎に魅力を感じたからです。

まぁでも友達と別れるというのは辛かったな。
しかも1年前からその事を抱えながら生活しないとというのと、あとはどのタイミングで転校する事を言えばいいんだ⁇っていう悩みを抱えつつ日々を過ごしていました。
でもなんだかんだで公表したの年明けてからかな⁇

また会おうね!と友達とも別れを惜しみましたが、もしかすると疎遠になるだろうなぁと思っていた通りの結果になり、あの当時の友達とは今は全く交流がありません。
小学生にはあの距離は遠すぎた…

こうして、一つ故郷が出来ました。

あの当時は例の土地もあったので、いずれはここで何かやる算段や夢は母親持っていたのでしょうが、俺はそんな事微塵も考える事もなく、新たな土地に向かうのでした。

今でも忘れない、家財積んだトラックで国道17号を新居に向かって走る車窓から見た景色。
あぁ山から降りてこれから生活するんだなぁという期待と不安。

幼稚園も卒園1年前、小学生も卒業1年間前に引っ越ししたという経験が、後々にまでトラウマになって月兎園建てる際の話になった時にフラッシュバックして精神的に苦しめられたのは、それはもっと後の話…

高崎実家建築中。


また鼓笛隊ですが…小5.6年合同
温泉街だけあって、旅館の子供などもおりました。


つづく。

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回顧録その4(老神での生活編)

2017年08月16日 07時04分22秒 | 回顧録
前回の内容はコチラ→回顧録その3

まぁそんなこんなで和太鼓始めた訳ですが…
そうなると太鼓叩くお話が来る訳ですよ。

母親が勤めていたホテルの夏のイベントで、屋上の櫓上で太鼓叩いてよって話。

最初はまぁ習った曲叩けばいいのかな的な軽い気持ちで行ったのですが、要求されたのは流れている曲に合わせての太鼓。そう言わずと知れた盆太鼓。

ハァッ⁉︎Σ(゚д゚lll)

そんなの習ってねーからわかんねーよ‼︎
と言っても後の祭り。
兄貴と共にその場で何も出来ず硬直…
しまいにはお客さんにバチを取られて、こうやるんだよ‼︎っ的なレクチャーを逆に受ける始末…
そう、初舞台はボロッボロの悔しい思いをした訳ですよ。

その当時は老神に太鼓の団体もなかったし、お囃子もなかったので、村で唯一太鼓を叩ける村民ではあったのですが、あぁ何とも恥ずかしい。

まぁその後は、そんな結果ですからお声がかかるはずもなく。太鼓は叩かずじまい。

で、その1年後に、ピアノの教室が出来るって事でそこに入らされました。

太鼓はオープンにしてましたが、あの当時はピアノは女の子の習い事のイメージしかなかったので(今の時代は違うけど…)ひたすらに隠していました。そしてコソッと音楽室でドラクエのテーマを弾くという(笑)

老神時代は、何だろあの当時の遊びは、ビックリマン、キン消し、ファミコン、ミニ四駆、後は野遊びといった所かな⁇
特に野遊びは田舎というのもあって恵まれていたのかもね。

ピアノは発表会あったけど、おばあちゃんが喜ぶのでそこは頑張ったかな。

後は、和太鼓叩けるから鼓笛隊は小太鼓でとよくあるチョイスの餌食になり打楽器担当でした。
音階楽器やりたかったのに(笑)

まぁそんな感じで音楽には義務教育ほどの興味しかなく、ましてや和太鼓は祭りで叩くとかそんな事もなく、ごくまれに親戚集まった時に無茶振りされて叩くとか、そういった老神時代を過ごしていました。

和太鼓をガッツリやる事になったのは高崎引っ越ししてから…

初舞台櫓の上
一応叩いてるっぽい(笑)


ピアノやってた証拠写真。


鼓笛隊では小太鼓


つづく。

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回顧録その3(太鼓を始めるきっかけ)

2017年08月15日 00時05分52秒 | 回顧録
前回の内容はコチラ→回顧録その2

さぁ、いよいよ太鼓を始めるきっかけだ‼︎(笑)

小学校入学後は特に問題もなく平穏に過ごしていました。
保育園の1年があったおかげで友達も程々に。
親父が音楽やっていたからと言っても特に興味を持つ事もなく、またこんな田舎に音楽教室もなく(笑)
で、小ニの冬だったかな⁇おろむろに兄貴と一緒に前橋方面へ向かい太鼓始めるよーって。

ハァッ⁈( ゚д゚)

これまた密かに、和太鼓習える場所を探していた様です。

習った場所は、接骨院で趣味で太鼓をやっている方でした。
家族総出で習いに行きましたが、兄弟揃って興味を持たず、ただ遊びに行っていた記憶しかありません(^_^;)
ただあの時の曲は今でも叩けます。
うん、当時の柔らかい頭と若さは当然デフォルトで切望です(笑)

何故和太鼓⁈という質問に、昔親父が遠征で北海道行った時に旅館の従業員が宴会で叩いたんだって、それ見て和太鼓やりたいっ‼︎って思ったんだと。
それで亡くなった後、何かさせるならと俺たちに手習いをさせようとした訳です。

後に分かったのは、親父が遠征で行った先は登別。
見たのは北海太鼓だった様です。
北海太鼓作った大場一刀さんも歌手だったので通じる部分があったのかな⁇と。

余談だけど、大場さんは福井出身で奥越太鼓をベースとして北海太鼓を作ったという事と、後に関わるJU-ZOさんで、孫請けながらも渡り打ちにかかわった事は奇妙な縁かな⁇
機会があれば北海道の太鼓にも触れてみたいです。

でも、そこでの練習も確か3〜4回位だったかな⁇
その後は仕事の関係か、老神〜前橋の通いが大変だったのかそれ以降は行きませんでした。

更にビビるのは、その数回の練習後に兄弟に太鼓を買ってあげた事。(尺3と尺4、岡田屋製)
どんだけ太鼓やらせたいんだよ‼︎(爆笑)

ちなみにこの太鼓、現役です。
さすがに30年以上経つので皮はヘタってますが、尺4の方は程よい具合の低音が出るので、張り替えずに演奏やレコーディングの際に使用しています。

向かって左の太鼓


つづく。

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回顧録その2(月兎園の原点)

2017年08月14日 00時18分50秒 | 回顧録
前回の内容はコチラ→回顧録その1

えーと、前回は群馬に引っ越しした経緯から。
今回は月兎園の原点になるアイデアの出所の話をひとつ…

群馬に引っ越ししたときは5〜6歳の時だったかな⁇
何せあの時の記憶がそんなにハッキリしてないけど…国分寺の某団地で、ワーワーはしゃいでいたあの場所から急転、家族3人沼田駅の改札降りて見渡した景色のギャップに子供ながらに違和感を覚えた所からがこの群馬での生活のスタート。
それからバスに揺られて老神温泉まで。

老神温泉の最初の印象は…
ハァッ⁉︎Σ(゚д゚lll)
何、この山々と人の居なさは⁉︎(笑)

東京とのギャップに慣れる事なく既に住む場所と、母親が働くホテルも決まっていて、保育園通いが始まりました。
親父も入退院と体調は安定してませんでしたが、こちらで生活する事に。
既にグループは解散して、親父はホテルのラウンジで歌ったり、ピアノ弾いていたり、自宅ではエレクトーンのレッスンを始めたりしていました。

そう、ここから‼︎
月兎園の原点になるアイデアが出て来たのが…

話の起点はどこからだったか、ただ母親のおろむろに出した、親父に向かっての「もうあんたも第2の人生を考えなさいよ」と発したのが原点。
既に親父は30後半、そして一回大病によって一線を引いてしまった為、音楽で生計を立てる選択肢がかなり狭まっていました。

そこで母親が出したアイデアが、「民宿でもやりながら音楽やればいいじゃない」←原文ママ

…ハァッ⁈( ゚д゚)←今の俺ならこうなるね(笑)

まあ関わった方々はご存知かと思いますが、うちの母親かなりの変わり者で、ただアイデアと実行力がハンパ無い!方でして(笑)
ただあの当時親父が生きていた時にはそれを感じる事なく、程なくして親父は都内の病院に再入院、で、親父は東京の実家に戻ったのですが、そこで亡くなりました。

3月3日、38歳没
21日には39歳の誕生日。
そして来月は小学校の入学式でした。

入学式で木の苗を貰ったのですが、入学式後その足で木の苗を植えに行った所が、密かに母親が購入していた100坪の土地。
ここに将来民宿を建てようと話して帰ったのを覚えています。

つづく。

東京やんちゃ時代


兄貴と


群馬引っ越しして最初の家。
唯一親父と群馬で過ごした家でした。


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回顧録その1 (東京〜群馬編)

2017年08月13日 00時13分10秒 | 回顧録
今月慌ただしく月兎園の準備などで動いております。
何で今更⁉︎的な感じではありますが…

今群馬に住んでいるんですか⁉︎とか。
こんなスタジオ群馬にあったんだ。とか。
スタジオで教室やってるんですか⁉︎とか。
最近月詠、蒔穫堵は活動してるんですか⁈とか。
例の件、どうなってるんですか⁈(笑)とか。

まぁ色々最近聞かれますが、ホントに出来てから約4年、OPENしてから約2年、月兎園の認知度はじわじわとですが地元、都内問わず知られて来たのかな⁇と。

まだまだ積み上げる事はたくさんあるのですが、ここに至るまでの道筋を記していこうかなと。

長くなりそうなので何回かに分けて投稿していきます。ただ性分的にダラダラと出来ないので、その数回もどわっと出すかも⁈(笑)

んーと、まずはスタジオを建てるに至った経緯からかな。

遡る事30年以上前の事になります。

今は亡き親父、岡村洋はミュージシャンでした。
最初はハワイアンミュージックでウッドベース、ウクレレを手に、それからグループサウンズ全盛の頃コーラスグループに所属や、自身のリーダーグループで活動していたりしました。
その過程で母親と結婚し、長男、次男(私)と生まれました。

ハワイアンバンド時代


ロス・トロス所属時にレコード2枚


リーダーバンド 岡村洋とムーンストーンズ


生活的には、あの当時のミュージシャンはハコバン全盛の時代で、ギャラも相当良い時代、サラリーマンの2〜3倍はあったという話でした。
でもね…まぁ色々、酒、ギャンブル、楽器に散財する人だったのであまり貯蓄はトントンだったという話でした(笑)

そんな中、親父の酒、タバコ、食事の不節制がたたり入院する事に。
そこからが大変!
親父も入退院の繰り返しで職も安定せず、これからどうしようという事に。

そこで、たまたま母親の遠縁にあたる方が群馬にいるとの事で、群馬に引っ越す事になりました。
そこが、利根村(現在の沼田市利根町)老神温泉。

まずは東京から群馬に引っ越した経緯から…

つづく。

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