今年初のblogですな( ˊ̱˂˃ˋ̱ )
え〜と、どこから振り返れば良いのか…
それこそ20代の頃からか、この福島県双葉郡という区域内で演奏に足を運んだ思い出からになりますかね。
双葉町での太鼓フェスティバルinふたば、せんだん太鼓、うしお会との出会い、コンサート、学校公演などJU-ZO時代たくさん思い出を作った場所であります。
脱退後からは縁遠くなりましたが、2011年3月13日の事、うしお会が楢葉でコンサートやる話は佐久間から聞いていたので知っていました。
そしてあの東日本大震災。
やはり気になったのコンサートは⁈案の定中止。
そして皆避難で散り散りになってしまうという形に。
それでもうしお会代表の高原さん、佐久間の尽力もあり、その数ヶ月後に東京でメンバーを集めコンサートを行い、その後もイベントなどでその都度集まり演奏しておりました。
まぁ便乗してメンバー参加した事もありましたが(笑)
高原さんとは、避難先だった藤沢湘南台のイベントや、群馬の月兎園へお越し頂いたりと会う機会も多々あり、楢葉の現状を逐一聞いていました。
そして、一昨年の避難解除〜今回6年越しの和太鼓コンサート。
BURAIHAという形で新たな仲間と思い出の地で演奏出来る機会に喜びつつ現地入りしました。
広野インターから降りた眼前に広がる景色はどこか懐かしくも、プレハブの建物や、フレコンパックの山を見ると現状を垣間見る事が出来ました。
そしてあのコミニュティセンターの搬入口に到着。
懐かしさやら、今回のコンサートの思いやら一気に色んなものが込み上げて来ました。
前日入りした宴会などの話は置いておいて(笑)
コンサート当日、せんだん太鼓、また久々な方々との再会などもありつつ、コンサートは進行。
1部福島太鼓チームの演奏を袖で聴きながら思わず涙してしまいました。
2部は当時うしお会コンサート翌日に予定されていた歌手の梅原司平さん、3部は我々BURAIHAという内容でした。
演奏曲にTidal waveが入っていたので曲名は変えるべきかという話も事前にありましたがそのままプログラムに記載。
この曲がどう聴こえたかという葛藤もありつつも、例のてんやわんやしたものもありつつの内容で、最後は全団体が集合してのアンコール。
コンサートは大盛況でした‼︎
コンサートの仕切りは佐久間は元より、自分の後JU-ZO〜蒔穫堵で一緒に活動し、去年楢葉に帰った牧ノ原沙友里もうしお会メンバーとしてコンサートの仕切り、MCと活躍しておりました。
色々とありがとうございました。
打ち上げでこれまた久々高原さん宅へ。
高原さんの終わった安堵の様を見て安心しました。
総括して…
思ったのは何の偏見も特別悲壮な感情も無くその場に居られた事でしょうか。
5年前のいわきの仮設での演奏時には、何かしなくては的な感情はありました。
コンサート終了後のお客様のお見送り時笑顔で帰る姿を見てこれは「風化」ではなく「復興」なんだと思いました。
ただ、自分の知人も周りからコンサート行くのを反対されたりと偏見もある事は否めません。
双葉町は未だにフェンスに囲まれ入れない場所もあります。
「放射能」というレッテルを貼られたいじめのニュースも目にする機会もあります。
最近は色々心の変化もあり、SNSから距離を置いていましたが、今回の機会は自分の振り返り、またいち表現者として感じた事などを書いて見ました。
距離を置いた理由も活字や写真よりも生で感じた体験を大事にしようと思ったからです。
長文でしたがご一読ありがとうございました。
来てよかった。そしてまた行きます。
楢葉、元気でした。
え〜と、どこから振り返れば良いのか…
それこそ20代の頃からか、この福島県双葉郡という区域内で演奏に足を運んだ思い出からになりますかね。
双葉町での太鼓フェスティバルinふたば、せんだん太鼓、うしお会との出会い、コンサート、学校公演などJU-ZO時代たくさん思い出を作った場所であります。
脱退後からは縁遠くなりましたが、2011年3月13日の事、うしお会が楢葉でコンサートやる話は佐久間から聞いていたので知っていました。
そしてあの東日本大震災。
やはり気になったのコンサートは⁈案の定中止。
そして皆避難で散り散りになってしまうという形に。
それでもうしお会代表の高原さん、佐久間の尽力もあり、その数ヶ月後に東京でメンバーを集めコンサートを行い、その後もイベントなどでその都度集まり演奏しておりました。
まぁ便乗してメンバー参加した事もありましたが(笑)
高原さんとは、避難先だった藤沢湘南台のイベントや、群馬の月兎園へお越し頂いたりと会う機会も多々あり、楢葉の現状を逐一聞いていました。
そして、一昨年の避難解除〜今回6年越しの和太鼓コンサート。
BURAIHAという形で新たな仲間と思い出の地で演奏出来る機会に喜びつつ現地入りしました。
広野インターから降りた眼前に広がる景色はどこか懐かしくも、プレハブの建物や、フレコンパックの山を見ると現状を垣間見る事が出来ました。
そしてあのコミニュティセンターの搬入口に到着。
懐かしさやら、今回のコンサートの思いやら一気に色んなものが込み上げて来ました。
前日入りした宴会などの話は置いておいて(笑)
コンサート当日、せんだん太鼓、また久々な方々との再会などもありつつ、コンサートは進行。
1部福島太鼓チームの演奏を袖で聴きながら思わず涙してしまいました。
2部は当時うしお会コンサート翌日に予定されていた歌手の梅原司平さん、3部は我々BURAIHAという内容でした。
演奏曲にTidal waveが入っていたので曲名は変えるべきかという話も事前にありましたがそのままプログラムに記載。
この曲がどう聴こえたかという葛藤もありつつも、例のてんやわんやしたものもありつつの内容で、最後は全団体が集合してのアンコール。
コンサートは大盛況でした‼︎
コンサートの仕切りは佐久間は元より、自分の後JU-ZO〜蒔穫堵で一緒に活動し、去年楢葉に帰った牧ノ原沙友里もうしお会メンバーとしてコンサートの仕切り、MCと活躍しておりました。
色々とありがとうございました。
打ち上げでこれまた久々高原さん宅へ。
高原さんの終わった安堵の様を見て安心しました。
総括して…
思ったのは何の偏見も特別悲壮な感情も無くその場に居られた事でしょうか。
5年前のいわきの仮設での演奏時には、何かしなくては的な感情はありました。
コンサート終了後のお客様のお見送り時笑顔で帰る姿を見てこれは「風化」ではなく「復興」なんだと思いました。
ただ、自分の知人も周りからコンサート行くのを反対されたりと偏見もある事は否めません。
双葉町は未だにフェンスに囲まれ入れない場所もあります。
「放射能」というレッテルを貼られたいじめのニュースも目にする機会もあります。
最近は色々心の変化もあり、SNSから距離を置いていましたが、今回の機会は自分の振り返り、またいち表現者として感じた事などを書いて見ました。
距離を置いた理由も活字や写真よりも生で感じた体験を大事にしようと思ったからです。
長文でしたがご一読ありがとうございました。
来てよかった。そしてまた行きます。
楢葉、元気でした。