わたしは津屋崎に来て
「しあわせ」をテーマに卒論を書いていました。
これは津屋崎に来た目的のひとつでありました。
津屋崎くらしの大きな大きなミッションでした。
なんとか無事に書き上げ、大学を卒業しましたが、
お世話になったみなさまへの報告がまだでしたので
遅ればせながら報告会を開きました。
実は、納得のいく論文にできず、発表することを渋っていました。(笑)
津屋崎を旅立つことを決め、
発表会という機会をいただき
もう一度向き合うことができました。
論文のタイトルは「今をしあわせに生きることについて」。
その中身には、「幸せを見いだせる自分でいるために」というようなことを書いていました。
発表しながら気付いたのです。
これは「スキル」の話をしているなあ、と。
だけどわたしはもっと本質的な根源的なことを書きたかったのだなあ、と。
アウトプットをして初めて、こころにつっかえていたものの正体と出逢えました。
わたしが津屋崎に来て味わったしあわせは、
言葉に書き表せた部分よりも、
むしろ
何とも言い表すことができなかった部分にある。
たとえば、こんな風景に出会うときに感じるきもち
なんとも言えないのです。
でも、確かにしあわせなのです。
“しあわせは、科学するものではなく哲学するもの”
発表会後、こころに浮かんだ言葉でした。
あの、えも言えぬ幸福感をどう言葉にして、深めるのか。
それは科学でも、論理でもなく、
これまた津屋崎にあたりまえにある「哲学」
だったな、と思ったのです。
何か終わらせるプロセスは、いつの間にかわたしを次の入口の前に立たせています。
おわりは、はじまり。
つぎへのスタートです。
新たな視点やちがった角度で「しあわせ」をみつめる
新しい日々がはじまっています。
「そのこたえは人に求めてはいけないよ。自分でみつけるんだよ、さきちゃん」
尊敬する仲間にいただいた言葉をたいせつに味わいながら。
いまのわたしは、こんなところです。
だけれど、日々
とにかく、やってみる。
を続けます。
そして、人生のそれぞれのステージで見つける
「こたえのように思えること」を
たいせつな仲間と共有しながら生きていけたら、
とてもとてもしあわせです。
卒論作成のプロセスに関わってくださったすべての方へ、感謝をこめて。
「しあわせ」をテーマに卒論を書いていました。
これは津屋崎に来た目的のひとつでありました。
津屋崎くらしの大きな大きなミッションでした。
なんとか無事に書き上げ、大学を卒業しましたが、
お世話になったみなさまへの報告がまだでしたので
遅ればせながら報告会を開きました。
実は、納得のいく論文にできず、発表することを渋っていました。(笑)
津屋崎を旅立つことを決め、
発表会という機会をいただき
もう一度向き合うことができました。
論文のタイトルは「今をしあわせに生きることについて」。
その中身には、「幸せを見いだせる自分でいるために」というようなことを書いていました。
発表しながら気付いたのです。
これは「スキル」の話をしているなあ、と。
だけどわたしはもっと本質的な根源的なことを書きたかったのだなあ、と。
アウトプットをして初めて、こころにつっかえていたものの正体と出逢えました。
わたしが津屋崎に来て味わったしあわせは、
言葉に書き表せた部分よりも、
むしろ
何とも言い表すことができなかった部分にある。
たとえば、こんな風景に出会うときに感じるきもち
なんとも言えないのです。
でも、確かにしあわせなのです。
“しあわせは、科学するものではなく哲学するもの”
発表会後、こころに浮かんだ言葉でした。
あの、えも言えぬ幸福感をどう言葉にして、深めるのか。
それは科学でも、論理でもなく、
これまた津屋崎にあたりまえにある「哲学」
だったな、と思ったのです。
何か終わらせるプロセスは、いつの間にかわたしを次の入口の前に立たせています。
おわりは、はじまり。
つぎへのスタートです。
新たな視点やちがった角度で「しあわせ」をみつめる
新しい日々がはじまっています。
「そのこたえは人に求めてはいけないよ。自分でみつけるんだよ、さきちゃん」
尊敬する仲間にいただいた言葉をたいせつに味わいながら。
いまのわたしは、こんなところです。
だけれど、日々
とにかく、やってみる。
を続けます。
そして、人生のそれぞれのステージで見つける
「こたえのように思えること」を
たいせつな仲間と共有しながら生きていけたら、
とてもとてもしあわせです。
卒論作成のプロセスに関わってくださったすべての方へ、感謝をこめて。