☆カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心☆

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ココロの冬は 春の訪れの前触れ

2019-12-15 01:11:27 | マルミオン



ココロの冬は 春の訪れの前触れ

福者コルンバ・マルミオン修道院長


あなたの霊魂は、
神様の御手の中にあります。
神様は、あなたを愛しておられ、
あなたを絶えずごらんになられ、
永遠の智恵であるイエズス・キリストのうちに照らし出された種々の状態の中に、
あなたにとって必要と思われる状態を、通過させられているのです。

あたかも、大地が、死の冬を経なければ、
生命の息吹く春が迎えられないように、
あるいはまた、麦の粒が、地に落ちて死ななければ、
実を結ばないのと同様に、

私たちの霊魂も、
どうしても、まずもって、
か弱さの自覚と試練との重みに喘がなければならないのです。

キリストによって、その善徳と神的生命へと再生するためには、
自分の惨めさと、
ココロの奥底に絡まっている悪の根を、
自覚することが深ければ深いほど、
神様には光栄を帰することになるのです。

それによって、
神様の憐れみといつくしみの偉大さを信じるからです。

私の娘よ、
いかなる善徳も、
ココロの痛悔と、
私たち自身についてのまことの認識の上に基礎を置かない限り、
堅固ではありえないのです。

神様のご計画によれば、
イエズス・キリストは、
その聖なる恩寵の能力が、
私たちの弱さに勝利を博することによって、
光栄を帰されなければならないのです。

自分の弱さを感じない者、
自分の惨めさが目につかない者は、
神様の聖なる恩寵の必要性を感じることができない人々なのです。

だからこそ聖パウロは、
自分の力が、ことごとくキリストからもたらされるようにと、
自分の弱さの自覚について、小躍りして喜んだのです。

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だから私は、特に喜んで、自分の弱さを誇りにしよう。
そうすればキリストの力が、私に住まれるであろう。(Ⅱコリント12.9)

そのためにこそ神様は、
この道を通じて、私たちを導いてくださるのです。