国内外の17都市で8万人の観客との呼吸
今までよそ見をしないで音楽してきた私が大挙
昨年デビュー20周年を迎えたシン・スンフンは、それこそ『息つまるように』自らを祝った。 昨年11月から20周年を記念したワールドツアーを繰り広げ、17都市で35回の公演は、8万人の観客と向かい合っていた。
そして、来る6月10〜11日、ソウル世宗文化会館で20周年記念コンサートの終わりである『グランドフィナーレ』公演を行う。
「20周年は、私の音楽人生の停車場」という彼は、「一緒にしてきたファンと幸せに20周年を満喫した。
過去20年間、わき目をふらず音楽をしてきたことを自ら満足した。これからも僕の音楽は、常に現在進行形になるように願う」と20周年記念コンサートの『重要』の最後の場面を準備中だった。
-● 世宗文化会館の公演に特別な意味がある。
「もう15年前の96年、世宗文化会館が大衆歌手たちに敷居が高い時代に、初めてその舞台に立った。舞台演出に制約が多く、世宗文化会館を離れたりしたが、音楽的には実家のようなところだ。だから実家を探すように快適です。50人編成のオーケストラと一緒に舞台に立つ。全曲をオーケストラに合わせて二ヶ月編曲した。オーケストラ公演の整数を味わうようにして差し上げたい」
-● 新人時代どのような20周年を夢見ましたか。
「ああ...。胸が痛い。事実このような20周年を迎えるとは思わなかった。極少数のファンたちが追求する、彼らだけのリーグの歌手になるかと思いきや、大舞台で、多くの観客に会うことができる歌手と云う自体が本当に幸で感慨が深かったです」
- ●MBC『偉大な誕生』にメンターとして出演中なのに。 どのように出演を決心したのか。
「音楽が後回しに押された雰囲気の中で歌謡曲をテーマにした番組が、地上波では良い時間帯に放送されることに大きな意味を置いた。一種の責任感も大きく作用した。また、10周年を迎えた後から、大衆と広くコミュニケーションするより公演を通じ、私のマニアと会ったようで少し残念だった。『偉大な誕生』を通じて得た最大の成果といえば、大衆と幅広く疎通しているのだ。」
- ●『偉大な誕生』で当落を決定する基準は何だった。
「1位になる歌手を抜くよりもずっといい音楽をすることができる支援者を選ぶのか重要だった。そして、今現在の実力よりは、プログラムを通じた成長の可能性に重きを置いた。志願者たちにもすぐ目の前の優勝よりも先にアルバムを出して歌手になる心構えで音楽を学ぶように助言する」
● オーディション番組が洪水なのに。
「長所と短所があるが、パフォーマンスよりも音楽性に重きが傾いている雰囲気は歓迎する。ジャン・ジェイン、シェーンを見てギターを買って、ピアノを弾く若者が増えたという話を聞いた。楽器を大事にすることは作曲をすることができる基礎を固めると云う事だ。そのような観点から歓迎するに値する」
●20周年を迎え、全国ツアーを開催し、特別な理由があったのか。
「20周年をそれなりに整理しながら、今まで逃し過ぎて行ったことが何があるだろうか考えた。直後の全国ツアーだった。今しなければ、この程度で『ジャンプ』して、ファンたちとプレーして遊ぶことがないんじゃないか。30周年は来るが、その時点で、この公演はできないかもしれないという考えに心が忙しかった。急いで、全国に散らばる、そして米国、日本などの地にあるファンたちを探しに出ようと決心したのだ」
-● シン・スンフンに20周年は、どんな意味でしたか。
「今まで一度も休んだことがなくて誠実に音楽をした。毒素が体にたまると破裂をするように私の中に音楽がたまると、それをアルバムに作って持って来た。その20周年を迎えた。今後も休むことなく現在進行形の音楽をしてと思う。アルバムも着実に出して...。チョ・ヨンピル先輩が存在するだけで、後輩たちにインスピレーションを与え鑑とされるように私も責任感を持って良い音楽、公演を根気強くするべきだとの考えだ。"
-● 新しいアルバムの計画は?
「今年中に音楽的実験をしているプロジェクト アルバムを終えるつもりだ。 そしてまた新しい1集になる11集を準備する。 原点で再び始める'また書く1集'という思いだ。しばらく休んで皆さんに忘れられるころにまた戻ることだ。 完全に違ったシン・スンフンの音楽を持って。」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます