バラードを最もよく歌う歌手シン・スンフン、
音楽で悲しみを美化させる方法を誰よりも
よく知っている歌手シン・スンフン。
新しい歌は再び胸が痛み悲しいバラードだ。
最もありふれている素材の歌を最も特別に
歌う彼だけの感性に人々は彼を皇帝と認定する。
90年11月1日.わが国の歌謡界に大きな星が一つ落ちてきた。
そして音楽に夢中になりギター一つ担いでソウルに上がってきた
大田の(テジョン)田舎者が歌手になった。誰もこの青二才が
その大きい星の代わりをするほどの光を持っていたとは思うだに
しなかった。人々はただ実力がある一人の歌手が世の中を
彷徨うという事実に悲しんだし、聞きやすい歌が一つ
出てきたんだなと付いて歌っただけだ。
「90年11月1日です。キム・ヒョンシク先輩が亡くなられた日でしょう」
その日を絶対に忘れることができないという。
最も尊敬する先輩であり歌手になれば必ず逢ってみたかったのに...
92年初め<보이지 않는 사랑>と云う歌でその田舎者は
王子になった。容貌もこぎれいになったし、お金もたくさん儲けた。
神のようだった先輩歌手が残ることは<내 사랑 내 곁에>との
競争がつく程人気を集めた。デビューしてわずか
1年半ばかりの事だ。93年に彼は皇帝称号を得た。
<널 사랑하니까>は150万枚販売という幾何学的な
数字を記録したし先に逝った先輩の代わりをして沈滞局面に
陥った歌謡界に光を放った。 <그 후로 오랫동안>で
彼は94年後半期に勝負をかけた。
彼の牙城に次ぐ歌手が一つ二つずつ現れてきた。
歌謡という名前でざっとまとめられた歌がレゲエとか、
ヒップホップとかいう明確な名前のジャンルに分かれることになった。
彼の新しいアルバムも明確に影響を受けた。
「4集アルバムの特徴は多様性です。色々なジャンルを
入れたし、各々はサウンドに忠実でした。率直に私は
ジャンルということを分からなかったです。それで新しい音楽をしようと
すれば初めから習わなければなりません。レゲエをしようとレゲエのCDを
百枚以上聴いたし、基礎的な事から勉強を しましたよ」
また、一つの特徴は感性だと話す。
感情の表現に忠実だったし、それで聞く人の感じを
より深くすることができるようにした。これはただ4集
アルバムにだけ該当する話ではなくすぐにシン・スンフンだけの
独特の色であり魅力だ。彼の声は悲しいバラードを
通じて変わりないその真価を発揮する。
悲しいバラード...彼は、これが自身のジャンルと話す。
「変化がない」という批判もないことはなかったが初めから固執してきた。
これが今の彼をつくり上げたし、彼を最も彼らしくさせる。
愛と離別と悲しみが大衆歌謡の最もありふれている素材ではあったが、
だが彼の歌は唯一この三種類で集約される。
理由が何か?彼が「愛している」と歌えば人々は
そこで本当に愛している心を感じる。
彼が「離別が悲しくて」というならば人々はその悲しい感じ
のなかにさらに深く陥る。彼が「涙を流していて」といえば
その姿を想像できる程切なくなる。
彼の歌の中にだけある他の歌手から感じることはできない
濃厚な感性は人々の心を動かすことが難しくなくて
一度でも愛と離別で悲しんでみたことがある人であれば
その思い出の中に何の抵抗なしに陥るように なる。
結論はこうだ.彼は共感を主張してきたしそれのために
感性という手段を利用したし、そして大衆の同意を
勝ち取った。そして大衆は彼の歌を通じて十分に
慰められることになった。
「1集から3集までは私の感情そのまま作って歌った 歌です。
私が経験したものなどをドラマチックに 表現したということです。
それで人々がさらに共感出来た事であったと思います。
だが、その間とても音楽にだけ陥って、 今は愛に対する感じがないです。嫉妬を感じる
時、愛という感情を考えてみたりするがそのような相手がいないですね。
その為か4集はちょっと大変でした。
悲しくさせようとする意図が沢山見えるでしょう。現在の私の話を
したなら<사랑 느낌>です。今は一人だがいつか
愛する人に会うことになるという内容でしょう。
もしかしたら5集の主題は孤独だということになるかも知れません」
其れほど強く愛を歌う27才の男でも
「音楽があって音楽だけを愛して、音楽のためならば
どんな苦労でもすることができる」という話をするのにさらに
真剣だ。「どんな女と付き合いたい」という話より
「どんな歌手になりたい」という話をもっと上手くやるシン・スンフンの
熟した姿で頼もしい内面を探すことができる。
「ラジオ プログラムでした話であるが、私は私自身を自らとても大切だと考えます。
それで失くしてもたいして胸が痛まないありふれた ボールペンよりは
失せば惜しい、ハイテク ペンになりたいと考えました。
しかも一つは主観式歌手シン・スンフンです。
数人が列挙された歌手の中で私を選択するのでなく、
私の名前だけを当てられるようにする ことでしょう」
普通は彼に対して「4年ぶりに..」と話をする。
だが、彼に対して4年は決して短い期間ではなかった。
デビュー以来、4個のアルバム、数々のコンサートそしてそのような
仕事によって真に多くの仕事をしたし、多くの人に会ったし、
沢山歩き回った。その努力で得た最高席を
今までは思う存分享受してきたとすれば今からは守らなければならなくて、
彼を目標にする後輩らに模範にならなければならない
負担感も感じる。キム・ヒョンシクに憧れた自身の過去の姿を
考えながら云っているのだ。
2001.02.10.