今回は俺が美少年の頃の思い出を書こう。
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昭和18年ころの晩秋の朝でした。
家族は朝食をとっていました
*4人家族=姉2人、俺、母。兄達3人は兵隊と学徒動員で居なかった*
土蔵の方からガタゴトガタゴトという音がした
驚いた俺は「土蔵に誰かが居る!」と言った
母が少し耳を澄ませてから「ネズミだんべー」といった、古い土蔵ではネズミが何時も運動会をやっていた。
それから暫く静かだった、やっぱりネズミが暴れていたんだと俺は思った。
するとガタゴト!!ガタゴト!!今度は前より大きな音がした
家族みんなが顔を見合わせた、土蔵に誰かが確実に居る!!急に怖くなった。
泥棒か、強盗か?
母が急いで蔵の鍵を手に土蔵に向かった、子供の俺達も土蔵に向かった。
母が大きな鍵を鍵穴に差し込んでから重い引き戸を開けた。
そこに白い服を着た大男がニョキッと立っていた、中国人捕虜だと直ぐに判った、白い服は汚れてネズミ色になっていた、黒い長靴を履いていた。
俺の心臓がドキドキと高鳴った。
*軍隊がこの村の大峰山に地下の軍需工場を建設中だった、その地下トンネルを堀る人夫は中国人の捕虜だった*
母が「おめーは何だ、何を盗った、人んちのもんを黙って盗ったな!!」興奮した母が大きな声で怒鳴った。
母の声は元々甲高い、この時は更に甲高かった、怖くて縮み上がっていた俺は母の強さに感動していた。
捕虜の大男は不機嫌な顔をして無表情だった。
昼間のうちに開いていた土蔵に入った、何時ものように夕方、捕虜が中に居るとは知らずに母が鍵を掛けてしまったのだ。
「つや(姉の名前)早く李さんを呼んでこい」と母が言う
姉が素早く反応して駆け出した、李さんは朝鮮人で捕虜の監督だ。
捕虜を逃がしたら監督である李さんの責任なのだ。
黙って立っていた捕虜がやがて、のそのそと歩きだした、歩くと長靴のなかでグチャグチャと音がした、水が入って居るらしい。
「何の音だんべー」と俺は思った。
10歩ほど歩くと、其処は野菜畑だ、捕虜は長靴の片方を脱いだ、
長靴を持って逆さにした、長靴の中の水がジャーっと流れ出た
「何だんべ小便か」
もう片方の靴も脱いで逆さにした水が流れ出た、捕虜は土蔵の中で小便をしたくなり我慢できずに長靴の中に放尿したのだ、土蔵の床に放尿しなかった捕虜はとても礼儀正しい人なのだ。
顔見知りの李さんが息を切らしてやって来た。
そして捕虜に何か喚めいた、言葉は朝鮮語か中国語か解らない、早口で捕虜を怒鳴っている、背の高い捕虜を李さんが殴った何度も何度も殴った、捕虜は無抵抗だった、倒れた捕虜の襟首を掴んで立たせると又何度も何度も殴った。
黙って見ていた母が堪らず言った
「はーもう止してくれ!そんなに叩いちゃーおやげねー、たいしたもんは盗んでいねーよ、乾燥芋を少し食っただけだよ」と言った。捕虜は空腹のあまり脱走して藏に入り干し芋を食った、、、そして眠くなり寝込んで仕舞ったのだ。
俺は母の優しさにハッとした、やはり母は大人だなと思った、李さんは殴るのを直ぐにやめた、そして今度は嘘のように優しい口調なって捕虜に話しかけた。
李さんも本心は殴りたくなかったのだ、日本人の手前捕虜を殴ったのだ。
李さんは深々と二度三度と母に頭を下げた
李さんは捕虜の腰に太いロープを巻いて肩を抱くようにして帰って行った。
間もなく戦争が終わりあの地下軍需工場も未完成のままだ
あの礼儀正しい捕虜はその後どうなったのか