禅と薔薇

高島市 曹洞宗 保寿院 禅の話と寺族の薔薇のブログ

聞く

2016年12月12日 | 小さな法話

相手に直接話を聞くことが多いのですが、ついつい聞いたつもりになりがちです。

同じ話でも、人づてに聞いたほうが、信用しがちです。これを横の関係とみれば、以前に聞いた話が、相当時間が経ってから、ああ、そういえば前に聞いていたな、ということもあります。つまり縦の関係ということになります。

いずれも、直接聞くより、身に染みるように感じます。

「冷酒と親の説教はあとから効いてくる」という言葉を頂戴した時もありました。


花は紅

2016年11月19日 | 小さな法話

この赤い花を喜んでみてくださる方がおられます。

とても嬉しいことです。私にとっても、また花にとっても。

こんな禅語があります。「花は紅 柳は緑」

花は紅く咲くから、柳は緑の葉を繁らせるから、どちらも美しい。それぞれが輝いているから美しいのです。白い花は白く咲くから、楓は紅く色づくから美しいのです。

花は柳を羨ましく思ったりねたんだりしません。柳もまたしかりです。

寺族は薔薇を丹精込めて育て、私は写真を撮り、見ていただける方が喜んでいただければ、それがそれぞれの本分です。


higan

2016年09月21日 | 小さな法話

秋分の日を中心にした週間が秋のお彼岸の時期となります。

お墓に参り、先祖供養のお勤めをします。

「彼岸」とは、その字の通り「かなたの岸」になります。此岸、こちらの岸を離れ、かなたの岸に行くことで、涅槃の境地に至ることで、仏教では亡くなってからではなく、いちはやくこの境地に至ることを目指します。

例えば、川に船を浮かべているとき、その船の中にいる人は、ふとまるで岸が動いているように勘違いしてしまいますが、そんな人でも、岸から船を見ていると、間違いなく船が動いていることに気づきます。

正しいものの見方が大切だということです。明日の中日では当山でも法要が勤めます。

先祖供養に努め、地に足の着いた心で、お彼岸を迎えたいものです。


hakushu2

2016年09月08日 | 小さな法話

白薔薇はその葉を噛んでも白薔薇の香ひがする。
その香ひは枝にも根にも創られている。
花とはじめて香ひが開くのではない。
白薔薇の香ひそのものがその花を咲かすのである。

北原白秋の言葉だそうです。

私の命も、私が産まれてからの命ではない。枝や根があることに気付くことなのです。

 

 


hakushu

2016年09月07日 | 小さな法話

薔薇の花が咲く日まで少しありそうです。

そこで、ポエムをひとつ。

      一

    薔薇ノ木ニ
    薔薇ノ花咲ク
    ナニゴトノ不思議ナケレド

      二

    薔薇ノ花
    ナニゴトノ不思議ナケレド
    照リ極マレド木ヨリコボルル
    光リコボルル

 薔薇の木に薔薇が咲くのは当たり前ですが、この当たり前は、たいへん不可思議なことです。

 あらゆる命は、不可思議の中に産まれたかけがえの無い命です。私の不可思議な命を尊い命と知ることです。

 このポエムは、北原白秋の「薔薇二曲」です。