禅と薔薇

高島市 曹洞宗 保寿院 禅の話と寺族の薔薇のブログ

五色幕

2016年01月15日 | 小さな法話

各地のお寺に参詣すると、よく華やかな色の幕を見受けます。

お寺によって色は変わるようですが、白、赤、黄、青(緑)などです。

この幕は、外に掛けられていたり、中に掛けられていたりとさまざまです。

お寺によっては、法要が営まれる時に掛けられることもあります。

幕が風にたなびくたびに、お経を読む功徳があるという説もあります。


松無古今色

2016年01月14日 | 小さな法話

 松飾りを飾り終えるのは、松の内や小正月、二十日正月と、地域などにより様々なようです。

 松は、季節に関わらず常に翠を保つ変わらなさから、不変の象徴のようにとらえられます。右往左往しない心を示している様です。

 実際には、古葉若葉の替えはあり、常に移り変わっているともいえます。諸行無常を表しているともいえます。

 不変と変化のとりちがえをしないよう、心がけたいものです。


2016年01月05日 | 小さな法話

今年の干支は、申です。

 そこで、サルのお話です。

ジャータカ物語にお釈迦様の前世のお話があります。兎の時もあり鹿の時もあり、ある時は猿でした。

猿の群れ率いる王様であったそうです。

ある時、崖のそばでマンゴーの実を食べている時に、人間の軍隊に見つかってしまったのです。

捕まったら殺されてしまう。とっさに逃げるのでしたが、その先は崖です。

とっさに猿の王様はそばにあった枝と自分の足を藤ヅルで結びつけるととびあがり向こう側の木の枝をつかんだのでした。

ところがつかんだ枝が短くて、足に結んだツルと結ぶことが出来ませんでした。そこで、つかんだまま「橋」となって、仲間を向こう側へ渡したのでした。

仲間の猿はつぎつぎと猿王の上を渡っていきました。猿王は、ずっと木の枝を握ったまま、仲間の猿を渡しました。およそ500匹の猿が、猿王の上を渡って逃げました。

最後の猿が渡った時には、すでに猿王は力尽きていました。最後の猿が渡ったのを見おどけた猿王は、崖の下へ落ちていきました。

自分のことより仲間を助ける慈しみの行いでした。

 

干支の「申」という字は、樹木の果実が熟して固まっていく様子をあらわしているそうです。

私たちの慈悲の心が、熟して固まる、そんな一年にしたいものです。


盆と薔薇

2015年08月16日 | 小さな法話
庭では、わずか2輪の薔薇が残っています。
ようやくお盆の行事がおわりました。
暑い時期の法要は、年々堪える様になりました。

お墓参りや棚経などでお勤めをしていると、お墓やお位牌に自然と手を合わす老若男女の姿があります。
頭で考えての行動ではなく、自然と手が合わさるその姿は、長い間日本の歴史の中で仏教が浸透していった証であり、
私たちの文化です。

読経中に、後ろから団扇で仰いでくださる皆様の利他行に、大切な心を感じます。

お墓の草取り

2015年08月05日 | 小さな法話
まもなくお盆を迎えます。
八月盆の当地では、早くもお墓参りが始まっています。
早朝から、父母であったり先祖であったりに心を馳せるのです。

たまたま午後2時ごろにお墓に所用で行ったところ、50代ぐらいの男性が草取りをされていました。
しばらくお墓を訪れていなかったのか、たくさんの雑草が生い茂っている中で、座り込んでひとり草をとっておられました。熱中症への注意喚起がされる中で、「なにもこんな暑い最中にしなくてもいいのに」と、つい思ってしまいました。

お墓を離れる際に、そばに止まっていた車は、県外ナンバーではなく、県内のものでした。それならなおこの時間でなくてもいいのに、と思い、もう一度、その男性を見ました。生い茂る雑草の中で、草刈り機を使う事もなく、もくもくと無表情で手で草をとっておられました。
その表情には、何か大切なことをされているような気配を感じました。

きっと、このお墓で、「大切な人とゆっくり話をしているんだ」
そう思う、今日でした。