理想国家日本の条件 自立国家日本 日本の誇りを取り戻そう! 桜 咲久也

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日韓併合の真実

2010年08月23日 14時57分41秒 | 一般愛国者、 ご紹介記事。
日韓併合の真実
 
「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」さんの記事が判りやすくまとめられているので、勉強になります。抜粋させていただきました

以下抜粋

最後に、八木康洋在特会副会長によって、閉会の挨拶の直前に、「日韓併合100年に関する集会声明文採択」が行われた。

参加者全員に「日韓併合100周年に関する声明」が印刷された紙が渡されていたので、私も文章を読みながら八木さんの朗読を聴いていた。

すると、「日韓併合100周年に関する声明」の真ん中辺りで、私が7年以上前に考え、このブログで繰り返し掲載してきた文章が使用されていたので驚いた!!

その文章とは、次の部分だ。


日韓併合100周年に関する声明

(一部抜粋)

本年8月10日に我が国政府より日韓併合100年に関する談話、所謂菅談話が全閣僚の署名の下に閣議決定され、発表された。その談話の中に反省だとかおわびだとかの文言が出てくるが、私達はいったい何を反省し、何を詫びるべきなのか。階級による身分差別を撤廃し、両班による搾取、虐待から農民を救い、移住の自由を認めさせ、残酷な拷問や刑罰や一族の罪人連座法などを廃止し、女性再婚の自由を保障し、法治国家の基礎をつくり、学校教育制度を導入し、読み書きを教え、ハングル文字を復活、普及させ、台湾では数パーセントにしか許可しなかった改姓名を85パーセントの朝鮮人に許可し、鉄道網、道路網を整備し、港の開設工事をし、水力発電所を建設し、重化学工業を興し、緑化政策によって山野を甦らせ、不毛の地を開拓し、河川事業で洪水を減少させ、水田を倍増させ、世界中から世界一不潔と言われた各地を清潔にし、近代医療制度を導入し、平均寿命を24歳から45歳に伸ばし、人口を2倍にし、内地への渡航規制を犯して来る密航者にも寛容に対処した事を反省し、謝罪せよとでも言うのか。所謂日帝支配35年なら在日特権65年ではないか。私達は寧ろこの在日特権65年を振り返り、反省すべきではないのか。



上の文章の赤字の部分は、私が7年以上前にまとめてYahoo!掲示板のいろんなトピックで繰り返し投稿し、最近もこのブログで何度も掲載してきた文章だ。

私が「日韓併合100周年に関する声明」の朗読を聴いていて「あれっ?どっかで聴いたことある文言だぞ…」と思って手許の文章を良く読むと、そうだった。

私は驚くと同時に、とても嬉しかった。

私が常々述べているとおり、このブログの内容は、転載も引用も抜粋もコピペも全て自由だ。

少しでも多くの人に歴史の真実や核武装の必要性などを知ってもらいから、このブログをやっているのだ。

2ちゃんねるやYahoo!などの掲示板、あるいは他の方のブログなどで、自分が書いたことがコピペや引用や転載されているのを見ると嬉しい。

ましてや、【日韓併合100周年記念事業 国民大集会 in 日比谷公会堂】の「日韓併合100周年に関する声明」の中に引用されたのだから大感激だ!

今後も、良い情報提供が出来たり良い文章が書けたりしたら、皆さんに広めて頂きたい。


2010年8月22日が日韓併合100周年ということで、今後は徐々に日韓併合の話題が減ることが予想されるため、最後に「真実のまとめ」を再掲載しよう。



【真実】


●日韓併合前(1905年に日本の保護国になる前)

併合前の朝鮮は地獄だった
併合前のソウル


併合前の朝鮮は地獄だったといってよい。
玄永燮


「最近朝鮮事情」明治39年(1906年) 清水書店より
(本書は衆議院議員で中国新聞社主筆でもあった荒川五郎の朝鮮視察記)

朝鮮人の不潔ときたら随分ヒドイ
てんで清潔とか衛生とかいう考えはないから、いかに不潔な家でも、いかに不潔な所でも一向平気で、濁った水でも構わないどころか、小便や大便の汁が混じって居っても、さらに頓着せずにこれを飲む
実に味噌も糞も朝鮮人には一所である。
といえば朝鮮に行かない人には、極端の言いようのように思われるかも知れないが、事実その通りで、一例をあぐれば、家を造るに、壁土の中に馬糞などを混ぜて喜んでこれを塗る
その訳は馬糞を混ぜると壁が堅くなって泥が落ちにくいというている。
さらに驚くべく信じ難い程であるのは、朝鮮人は小便で顔を洗い、気目がよくなるというて居る
また小便は腎虚や肺結核や解熱等に有効じゃというてこれを用い、また強壮剤じゃというて無病の者でも飲んでいる
いよいよ病気が重くて生きられまいという時は、大便を食べさすということも聞いている
なんと驚かしいことではないか。
塵や芥(ごみ)がばらけておろうが、物が腐って臭かろうが、食物に蝿などがたかって汚しても、更になんとも思わないで、年中風呂に入るの、湯をつかうのということは無い。


両班たちが国を潰した。
は両班たちに鞭打たれて、殺される。
殺されても、殴られても、不平は言えない。
少しでも値打ちがあるものを持っていれば、両班が奪っていく。
妻が美しくて両班に奪われても、文句をいうのは禁物だ。
両班の前では、全く無力なは、自分の財産、妻だけでなく、生命すらその気ままに委ねられている。
口一つ間違えればぶったたかれるか、遠い島へ流される。
両班の刃にかけられて、生命すら保つことができない。
『血の涙』李人稙(1862-1916)


朝鮮の両斑は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとくふるまっている。
大両斑は、金がなくなると、使者を送って商人や農民を捕らえさせる。
その者が手際よく、金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両斑の家に連行されて投獄され、食物も与えられず、両斑が要求する額を払うまでムチ打たれる。
両斑の中で最も正直な人たちも多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者はだれもいない。
なぜなら両斑たちが借用したものを返済したためしが、いまだかってないからである。
彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしですませてしまう。
しかも、この強盗行為を阻止できる守令は一人もいない。
『朝鮮事情』マリ・ニコル・アントン・ダブリィ主教


李氏朝鮮の残酷な死刑や拷問に対して、
「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ
『悲劇の朝鮮』スウェーデン人 アーソン・グレブスト



(上)日本統治前、(下)日本統治中
(上)日本統治前、(下)日本統治中(ソウル 南大門)


●日本の統監統治時代(保護国時代:1905年~1910年)

李氏朝鮮時代の拷問は酷かったが、1905年に日本の保護国となり、統監統治が始まると朝鮮においても日本と同じようにすぐに拷問は廃止された。

朝鮮での拷問禁止は島村忠次郎(1907年、水原の京畿道地方裁判所の「法務補佐官」)が在職中に伊藤博文統監に申し入れて法令となった。
1908年の法令改正によって拷問した取調官は3年以下の懲役と定められた。
これにより、長年続いていた朝鮮での残虐な拷問は廃止となった。


韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。
高い政治道徳を重んずる進歩的であり、円満である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代から光明世界に導かれ、未開時代から文明時代に進むべく手をとられて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命財産は確実に保護されつつあって、あらゆる面において、三年間に二倍の進歩を遂げた。

宣教師 ラッド博士





●日本統治時代(日韓併合時代:1910年~1945年)

階級による身分差別を撤廃し、両班による搾取・虐待から農民を救い、移住の自由を認めさせ、残酷な拷問や刑罰や一族の罪人連座法などを廃止し、女性再婚の自由を保障し、人権尊重などの法治国家の基礎をつくり、学校教育制度を導入し、読み書きを教え、ハングル文字を復活・普及させ、台湾では運動が起きても1~2%にしか許可しなかった改姓名だが、85%の朝鮮人には創氏改名を許可し、鉄道網、道路網を整備し、港の開設工事をし、水力発電所を建設し、重化学工業を興し、緑化政策によって山野を甦らせ、不毛の地を開拓し、河川大事業で洪水を減少させ、水田を倍増させ、世界中から世界一不潔と言われた町々を清潔にし、近代医療制度を導入し、平均寿命を24歳から45歳にのばし、人口を2倍にし、内地(日本)への渡航規制を犯して来る密航者にも寛容に対処した。

併合後のソウル
併合後のソウル




●戦後~現在(1945年~)

【戦後韓国の虐殺事件】(合計30万人~100万人

■ハンセン病院虐殺事件 1945年8月21日

■済州島事件(済州島4.3事件)1948年4月
政府関係者が口にしているのは死者六万人~七万人。
反体制の人々は死者十万人以上を主張していた。
アメリカ人学者ジョン・メリルは「正確な事は解らないが、死者は3万人あまり」と記している。

■麗水・順天反乱事件 1948年10月

■国民保導連盟事件 1950年夏
韓国各地で、無抵抗で非武装の国民、合計30万人が虐殺。
殺されたのは国民保導連盟の人達。
国民補導連盟とは、今まで厳罰一辺倒だった共産分子への対応を改め、自首期間中に、共産党の甘い言葉に騙された人は、自首して国民保導連盟に所属すれば、罪は問われない、としたもの。
しかし、人民解放戦争(朝鮮戦争)勃発と共に、韓国人によって全て虐殺された。

■大田刑務所虐殺事件 1950年7月始め

■国民防衛軍事件 1950年冬
死者 数十万人。(詳細は、東亜日報にて連載された。)
通称「死の行進」「死の南下」数十万人が死んだと言われている。



近年の北朝鮮

【凍土の狂気が続く金正日強制収容所】
「ネズミを焼いて食べ、シラミのわいた毛布で寝る、死ぬよりつらい」 
<木から線路に落ちた栗を拾おうとトロッコを止めた運転手(収容者)を、警備員が射殺した。撃たれた運転手は死んでもまだ栗をしっかり握りしめていました。ある時、男の収容者が空腹に耐えかね、雄牛のテール(尻尾)でつくった鞭を口に入れたら、たまたま警備員に見つかった。彼は叩かれたうえに、便所の腸内寄生虫を食べさせられ、2日後に息を引き取った。悲惨な話は山ほどあります。牛の糞の中に潰れていない豆があると、みんな我先に奪い合います。死人が出ると着ていた服を取り合い、生きている者が着る。人間の住むところではなかった>
(脱北者)

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