「信仰心の高め方」3、岡山東支部・東中国本部ご巡錫
2011.4.10
ただ、まあ、日本はその天皇は、戦前は現人神(あらひとがみ)と言っていましたし、
だからね~難しく、日本はものすごく難しく考えすぎてるかもしれませんよ。だからね。
伝道というのは信仰心を持ってるかどうか、持ったかどうかというとこです。
それでみんな計画が出来てしまうもののようで。信じたら「ついていきます」と
いう感じになるようですね。インドの場合も「せっかく話を聞くのだったら信者
になってから聞きましょう」と言ったらホントに素直に信者になってから来た方が
相当多くて、在家支部長で10万くらいは伝道したんじゃないでしょうかね。
10万人くらいいったと思いますが、人の使い方がうまいと言えばうまいんです。
だから学校経営も一緒にやってますので、うちが援助してるとこですけども、
スーリア何とか学校というんですが、先生方ももちろん使ってるし、
生徒さん達のお父さん、お母さん達あたりもポスター貼りやビラ配り等
いろいろ手伝ってくれたり、人を使うのが非常にうまいですけど。
映画仏陀再誕のアレ(DVD?)を持ってあちこち車に、いわゆる移動式の紙芝居です。
紙芝居代わりに映画仏陀再誕のテレビを載せて移動して村々で紙芝居風に
映画を見せて歩くというのをやっていたようですけど、相当なもんでしたね。
ちょっと日本は帰ってきてからインドショックで、半年くらい働けなくなるかと最初は
思ってたんですけど、違う意味でのショックが来ましたね。今回はカレーをあまり
食べすぎなかったのでそんなに体の蘇生はそんなにかからなかったんですけども、
あれ~って言う感じ。
宗教ってこんなもんだったかいな~って感じがやはりございましたね。日本の方が
宗教ってこんなもんだったかいな~って感じがやはりございましたね。日本の方が
あまりにも複雑というか疑いの心が強すぎるんですね。強すぎるのと、結局ですね、
ニュートラルというか、無色透明で宗教に対して、公平な立場で全部同じように
扱っているように見せているんだけれども、実はそれは日本国内だけでいるから
わからないだけで。実際、宗教国を見てきたら、これは目に見えない、
やはりバリアがあって、いっぱい広がらないようにしてるとわかりますね。
何か洗脳されてますね、ずっと。この洗脳部分のところを取らないと駄目ですね。
何か洗脳されてますね、ずっと。この洗脳部分のところを取らないと駄目ですね。
もうちょっと努力してやっぱりいかないと、日本の文化の中で信じるという文化が
かなり落ちているんだと思うんです。
これは多分戦争の結果もあるのかもしれませんが、天皇陛下万歳でやっていたのが、
これは多分戦争の結果もあるのかもしれませんが、天皇陛下万歳でやっていたのが、
急速に人間になってしまってという。カクっと落ちてしまった感じのところから、
立ち直れないでいるのかもしれないですけど。
ただ、まあ、日本はその天皇は、戦前は現人神(あらひとがみ)と言っていましたし、
昔の神様で言えば何とかの「みこと」、とか言って、身分のある方でしょうけども、
「みこと」と称する方は皆神様扱いされておりますので、これは一定の身分のある方
でしょう。おそらくはね。だから皇室や豪族なんかにかかる方だろうと思いますが、
これを神として祭るのに全然躊躇が無かった国ですよね。これが今、
やや骨抜きになっているような感じで、証拠を出せ、証拠がないと信じられない
というような、そんな国になっているように思えますね~。
何とか突破しないとやはりいけないんじゃないでしょうか。
宗教を信じてないということは死んだ場合にですね、教会に埋葬してもらえない
だからブラジルもそうでしたけど、ブラジルやインド、ネパール、次のフィリピン、
考えてみるとどうもやはりおかしい。日本はおかしい。
彼らはもっと少ない情報量でやれているので、この日本の難しさは異常性が
彼らはもっと少ない情報量でやれているので、この日本の難しさは異常性が
ありますね。だからこれは根本的に信仰するカルチャーが薄れているという
ことですね。背景には仏教国でもあるんだけども、仏教国でもあるんだけど、
お寺の坊さんでも仏教大学で勉強して、やっぱり教わるんだけど、作法を
教わるけども、経文を読んだり書道とかいろいろ仕方は教わるんだけど、
本当は死んであの世があるやら無いやらわからないって感じで、法要をやってる
ような状況。こういうのが裏にある。葬式仏教、観光仏教と言われてるものが
背景にはありますわね。
神社の方も神様よくはわからないで、ご神体というもの、いろいろ何か、
神社の方も神様よくはわからないで、ご神体というもの、いろいろ何か、
祀ってはいるけれども、なんだかよくわからないという形ではいて、日本の古事記、
日本書紀あたりも、神様も神話の時代と人間界との関係がよくわからないようには
なっていますのでね。明確に方として教えとして説くのがですね。足りてないのかな~
という感じがいたします。だから日本の常識が世界の非常識と言いますけど、
ホントそうだなという感じ受けますよ。
だからあのイスラム圏なんかも、我々から見たら非常に怖かったり変わったように
見えますけど、国ごと、丸ごと宗教国家になってるんですから、
それは100%なんです。ある意味では凄い宗教ですね。
そこまでいくかというくらいのとこまでいってるんで。
まだまだ宗教として弱いなという感じは否めませんね。弱い。だからこれは難しく
まだまだ宗教として弱いなという感じは否めませんね。弱い。だからこれは難しく
考えすぎていて、大国すぎるのかもしれないが、あるいは勉強しすぎて、秀才に
なりすぎているかもしれないですけども。受験勉強で疑うカルチャーを養ってしまった
ためにこれは引っかけじゃないかと。いろいろ正解のように見えるけれど、実は
引っかけじゃないかというようなことを訓練しすぎた結果そうなっているのかもしれません。
マスコミも関係あるかもしれませんけども、信じる力が弱いです。ストレートに信じられない。
素直でないところがありますね。こういう国ではなかったはずなんで、日本の魂を取り
戻さないといけない。
ある意味では神様、仏様があふれている国ではあるんですよね。
ある意味では神様、仏様があふれている国ではあるんですよね。
水面下ではにぎわっているんですけども、表面ではさびれているというか、風化した
宗教文化の中を生きているというところですね。
だから、この辺をもう一度自信持って。やはり語れる宗教が、今必要だと思うし、
だから、この辺をもう一度自信持って。やはり語れる宗教が、今必要だと思うし、
昔から言われている通り、宗教を信じてないというのは、もう外国に行った時には、
一応、人間でない扱いを受けることが多いということ。その、まあ常識なんですけど、
なかなか浸透してこないですね。
宗教を信じてないということは死んだ場合にですね、教会に埋葬してもらえない
ということなんですね。ま、クリスチャンで言えば、たとえばね。信者でないということは
埋葬してくれないということを意味するわけですので。だから海外から渡航して
入ってきても、無宗教というのは、これは「死んだらどうするつもり?」という感じに
なるわけですね。基本的にね。「葬式できませんけど・・・」という感じになるわけですね。
だからまあ、もう一段、なんと言いますか、強くならないといけませんね。
だからまあ、もう一段、なんと言いますか、強くならないといけませんね。
もう一段強くならなきゃいけない。で、インドでもそうだし、今、ブラジルとかでもそう
ですけど、訳せてる、現地の言葉で訳せてる本とか10冊程度しか訳せてないので、
そこで相当な盛り上がりもあるし、理解はほぼ、大体理解は出来てるみたいですので、
それから見るとそんな難しいものではないのかもしれない。
だからあまりにも眼先や小手先のことをやりすぎているのかもしれない。
だからあまりにも眼先や小手先のことをやりすぎているのかもしれない。
もうちょっとスパーンといかないといけないのかなあという感じがしましたね。
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