日本の戦争観 【歴史】
土佐のくじらさんの過去日記ですが、
転載、させていただいた記事です
2011年07月09日
日本の戦争観 【歴史】
こんばんは。
菅首相のストレステスト騒ぎで、日本中が大混乱ではありますが、
そこは優秀なハスラーの方々にお願いし、
今日も、ちょっと早いけど夏休み歴史シリーズをお届けいたします。
さて、前回まで世界各国の戦争観、即ち、戦争とは何か・・・
という話でありました。
世界の主流の考え方は、戦争=ビジネスであると結論付けましたね。
何度も繰り返しますが、各民族は意識的にそう思っているのではありません。
あくまで、無意識にそう思っています。
さて、翻ってわが国日本の人々が無意識に思っているところの戦争観は何か。
一言で申し上げて、私は、
戦争=国防である・・・と申し上げます。
別に出身国であるから、いい格好をしてそう申しているのではありません。
そう、定義付けると、つじつまが合うからなんです。
否、そうでないと、つじつまが合わないのです。
他国では明らかに、戦争をすることで、
国内の経済のパイを広げようとしている歴史です。
他国の食べ物を取ってくる。
他国の税金収入を取ってくる。
他国の人々を、労働者として、国に連れて帰る。
他国から領地を取る。
他国から、賠償金をせしめ取る。
こうした、手っ取り早い経済をするために、
軍隊を使ってきたとしか思えない歴史です。
つまり、今的にわかりやすく言うなら、
「国家予算が足りなければ、隣の国から取って来い!」
っていうことですよ。
ですから、負けそうになったら、さっさと領地などを勝った側にあげたり、
征服されたり服従したりして、まあ、
そんな感じで交渉するのが普通なんですね。
あくまで戦争は、会社的なビジネスなんです。
負けても生き残れば良い訳ですし、
生き残っていたらまたやり返すことも可能です。
会社的ビジネスですから、処理が早いわけですよ。
しかし、
日本の歴史においては、たとえ他国を所領とした場合においても、
それによって、本国経済が潤った形跡が微塵もないのです。
これが、日本の戦争観が、他国のような、
戦争=ビジネスでない、明らかな証拠なのです。
そして日本は、民族の存亡をかけて戦ってきた事実がたくさんあります。
こんな国、他には例が余りありません。
民族の存亡をかけて・・・
これは、普通は表面的なフレーズであり、実際の戦争は、
ある意味でクールなビジネスなのです。
本当に行ったのは、日本と、古代ユダヤくらいでしょうね。
ですから、割の合わない戦争は、諸外国は行いません。
否、割が合うと判断するから戦争するんです。
ですから必ず、自分より弱い相手と戦います。
強い相手だと、弱くしてから戦います。
ビジネスですから、当たり前ですよね。
軍事力も、交渉材料の一つくらいの感覚です。
まあ、彼らからすれば、何でもビジネス的に
合意すれば、それでOKなんですね。
日本のように、当時の世界GDP、遥か上位の大国
(清2位・ロシア2位・アメリカ1位)と、がっぷり四つで戦うなんて、
彼らから見たら、正気の沙汰とは思えなかったでしょうね。
日本人は、世界でもまれな戦争観を有している民族なのです。
そして、日本的戦争観、戦争=国防を証明する事例は、
無数にありますので、一度にはとても書ききれません。
もう神代の時代から、戦争=国防であったのでは
ないかと推測する案件もあります。
神代に時代から、そして現代に至るまで、
それは一貫して民族を貫く、軍事的なポリシーだと私は思います。
それが良いことなのか、それとも悪いことなのかは別として、
日本人は、国防という理由以外に、武力を使うことを厭う民族なのです。
そういう視点を持つと、日本人の歴史上行ってきた判断が、
スーっと、つじつまが合うのです。
長くなりますので、細かい事例に関しては、次回以降、述べさせていただきます。
まとめると、日本人の戦争観、
即ち、日本人の考える戦争とは何かは、【国防】であるということです。
でないと、つじつまは合いません。
。