幸福の科学高知 なかまのぶろぐさんより http://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/3372b6e40ce133926b678debc5442382
大川隆法・渡部昇一対談に見る失われた英知(フランクリースピーキング)
23日(日)に高知で開催された講演、「人生を深く生きる」では、様々な提言が大川隆法幸福の科学グループ総裁がなされましたが、その内容は、一見すると、これまで提示された教えを、高齢者の多かった会場聴衆に向け、更にわかりやすく語ったかに見えますが、そこは、「決して同じことを言わない」と言われる大川隆法総裁。
そう、数多い実例を挙げて、北朝鮮問題等で混迷する現代日本に、選択と決断を迫る内容ではなかったでしょうか。
たとえば、「どういう人生の心構えで生きていくのが、正しい選択ですか?」で言うならば、無宗教と信仰の立場との相克があります。
それを、「西洋では、人間と動物を分けるのは、信仰を持っているか否かですよ。」と、さらっと述べていて、「食って寝てそれだけで人生を終えていいのか」という人生選択が始まるわけですね。
歴史上「人としてのあるべき生き方」は、宗教が教えて来たわけで、今それは日本国内では、学校教育の現場でも、会社勤務などの社会教育でも、価値観としては教わってはいないので、事実上、体系的には駆逐されているんだけど、「それで良いのか」と。
「北朝鮮の核も国を守るための正義か 大川隆法総裁が高知で講演」 https://the-liberty.com/article.php?item_id=12917
現代日本では、「科学万能の世の中に、宗教が口を出すな」的な風土ができているんですけど、そういう価値観を続けてきて、今日本は、北朝鮮問題で苦慮しているわけです。
偉そうに言うけど、幸福の科学は20年以上前から映画「ノストラダムス戦慄の啓示」で警告し、8年前には、「もう待てない」と幸福実現党を立党し、全国全選挙区で訴えました。
まぁ皆、人間ですから、「今日は昨日の延長で、明日は今日の延長線上にある」と思いたい気持ちは理解しますが、冬が終わり春が来るように、桜の時期が終わってつつじが咲く時期になるように、日々刻々と世の中は変化する。これを、諸行無常と言う。
この諸行無常は、2500年前釈尊が語った教えだけれど、この諸行無常が現実ならば、その現実を直視して、心構えや社会制度をイノベーションして行くことこそ、人の道ではないでしょうか。
宗教は古臭くありません。
なぜならば、神仏は永遠だから。
永遠が対象ならば、神仏も、それを尊ぶ宗教も、古くも新しくもない。
時代は刻々と変わり、その中で未来への指針を見つけ出し、未来への粋筋を見つけるための決断が必要です。
http://the-liberty.com/article.php?item_id=12762
その決断をするには、正しい選択が必要であり、何かを得るためには、何かを捨てなければなりません。
結局今の日本の苦難の現れは、古い時代の終わりの始まりを見ているのだと思う。
そして時代の価値観の淘汰の結果、「永遠なるもの」が残ると思う。
必ずそうなる。
日本は、打つ手は遅く、決断に時間がかかるところがあるが、歴史上、必ず最後は、正しい判断をしてきたと思う。
私は日本人の奥深い英知を信じています。
事実、般若心経の中に、「色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)」とあるが、これは物理学者のA・アインシュタイン博士の唱えた有名な相対性理論の、E=ms²と同じなことですから、「相対性理論の第1発見者はお釈迦様」というのが、現実を直視した結論となる。
それを、「2500年前なんて、日本で言えば弥生時代だぜ。そんなの今どき聞けるか。」とか、「宗教は人間の創造物」とか言うならば、それは不遜を通り越して、もはや何か、そういう人の心のどこかに、”未開の部分”があるのではないかと思うんですよね。
宗教が古いというなら、それは建物としては古いかも知れませんけれども、内容が真に神仏であるならば、現代的な建物、つまりテーマを対象としていくだけで、現代的価値観にとどまらず、世界的価値観に、そしてひいては、未来的価値観になりうるのが、実は宗教であると思うし、それを実際にやり続けているのが幸福の科学です。
本日お届けしたいのは、経典「フランクリースピーキング」の一節です。
渡部昇一教授帰天直後の霊言も、幸福の科学から緊急出版されていますが、まだ読めていないので。
若き大川隆法総裁と、先日帰天なさった、渡部昇一上智大学名誉教授の対談が掲載されていて、ご両人とも、この時すでに知の大家でしたから、その対談は、知性と知性がぶつかって、きらめくような華やぎがありました。
また「水魚の交わりとは、こういう感じなのかな」って感じで、そこには、「本物の知とはこうも純朴で、飾りがなくて、楽しいものなんだ」という、もう一つの側面があるということを教えているようにも思うんです。
渡部昇一名誉教授もご生前、「大川隆法が対談した唯一の言論人」ということを誇りになさっていたとのことで、改めて尊敬する渡辺先生に感謝し、帰天後のご活躍に期待いたします。
お二方の対談から、「現代文明というのは、実は、大切なものを体系的に削り取られてきたんだ」ということも垣間見ることができると思うんです。
(ばく)
プラトンは霊魂を明確に説いている
大川 でもソクラテスというかプラトンのものを読んでも、完全にあの世だらけですよね。
渡部 そうですね。ぼくはプラトンを読んだとき、小学校にもまったく一度も言ったことがない、うちの祖母が、同じことを言っているのにはびっくりしました。子供の頃、うちの祖母が孫のぼくにいろいろはなしをしてくれたんです。祖母は若いときに、他の草取りで目を稲で突いて、目が半盲でほとんど見えない状態で、だから勉強した勉強したこともない人でした。その祖母が「みんな、お腹にいるときには、前世の記憶を知っている」と言うんだね。ところが、生まれるときに、「オギャア、オギャア、オギャア」と三回泣くとみんな忘れてしまう。それでぼくは「それは残念だなあ」と、前世のことはみんな知りたいですから、「泣かないで生まれたらそうするか」と訊いたら、「泣かない子は死ぬんだ」と、うまいこと言うわけですよ(笑)、プラトンも、「霊はみんな前世のことは記憶しているけれども、生まれるとき忘れる」と、やはり同じこと言っていますね。
大川 私は、プラトンを読むと、あの世の世界や霊魂をあれだけ明確に説いているのに、後世の哲学者というのは、何であのようになるのかが不思議でしかたがないんです。
渡部 いま言ったプラトンの霊魂のところあたりは、要するに注釈ばかりになってしまって、まともに扱わないんですね。
大川 そうそう、形而上学的思想のひとつか何かというふうに思っているんでしょうかね。
渡部 要するに、どうなんでしょうかね、哲学をやるような人は、自分はそちらには入る力がないと感じているのかも知れないしね。アリストテレス以降は、わかるんですよね。
大川 でも、あちらのほうに引っ張られているのかな、アリストテレス系統に。
渡部 と思いますね。
大川 だから不思議だなと思っています。もともとのオリジナルの経典というようなものが、あんなにあの世話であって、プラトンなどは、いま私たちが読んでも、ほとんど幸福の科学で使えるような内容ですね。
渡部 だから、うちの祖母なんか、本から入った知識はないんだけれど、山形県の山のなかで、ずっと昔から言い伝えてきたようなことは、古代ギリシャにもあったに違いんですよね。
大川 ええ、プラトンは、『国家』の終わりのほうの「エルの物語」で、あの世に行って帰ってきたような話とか、そうとう言っていたと思います。
渡部 あれがだんだんなくなるんですね。
大川 やはり、ニュートン以来の流れともまた関係があるようですね。科学の光線というか、その流れが強くなってきて、それとカントの「わからないことは、ちょっと避ける」ということが合体して、科学と哲学の、現代の流れができているんでしょうかね。
渡部 ニュートン自体は、ほとんどオカルトばかりやっていた人らしいんですけれどもね。
大川 そうみたいですね。
渡部 ハレーなんですよ。影響力のあったのは、(続く)
フランクリースピーキング(幸福の科学出版)P164~166
アドラーの霊言【CM動画】
記事詳細 http://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/3372b6e40ce133926b678debc5442382
・