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【重要なお知らせ】東京12区で出馬 与国秀行
みなさんこんにちは! このたび、与国秀行は東京7区出馬予定
のところ、東京12区で出馬することになりました。
7区にて応援してくださった有権者の皆様、サポーターの皆さま、
本当にありがとうございます。
与国はこのご恩を一生忘れません。もちろん、
東京12区にて出馬しても、かわらぬ政治信条にて闘います。
皆様のかわらぬご支援を何とぞ宜しくお願い申し上げます。 感謝。
日本は強い国民性を持っている
日本に北朝鮮の核兵器の脅威が迫り、中国の覇権主義が沖縄から迫っている今、私たち日本人がきちんと問題意識を持って、そして勇気を持って立ち上がらなければ、国が守られていくことなどありえません。私たちが平和ボケを続けて、政治に無関心で批判と注文を繰り返すだけであったら、マルクスの病に掛かった北朝鮮や中国によって日本は滅ぼされかねないのです。
では江沢民という方が言う様に、本当に日本は「押せば引く国」かと言えばそうではありません。実は日本人は強い国民性を持っているのです。既に「アジアに生きる人間で仏教の恩恵を受けていない人間はいない」と述べましたが、この日本に生きる人間で「神道」の恩恵を受けていない人間は一人もいません。神道とは神社に見られる日本独自の宗教であり、その根本的な精神は「和らぎ」を重んじています。それを裏付けるように日本の精神が、どこから生まれてきたのかを探ろうとこの国の歴史をひも解けば、必ずや聖徳太子の十七条憲法の、「和を以( もっ) て貴( たっとう) しと為( な) し」というこの第一条に突き当たるはずです。
日本人とは本来、和を貴み、和を重んじ、何よりも和を大切にして追い求める民族であったのです。「和」とは、平和の「和」であり、調和の「和」でもあります。家族の和、友人同士の和、企業の中の和、社会の和、そして世界の和、心の和、「和」には様々な和があります。
この「和らぎの精神」があったからこそ、この日本はこれまで他の国には類を見ない発展繁栄を遂げてきたのです。悲しいことに世界には一度も他国から侵略を受けたことが無くても、少女が売春しなければ生きていけない貧困国、軍隊によって圧政が敷かれている独裁国、少年が銃を持って戦わされている戦乱国がたくさんありますが、しかし日本にはこの「大いなる和らぎ」を追い求める精神があった為に、繁栄があり、自由があり、平和があるのです。
略
しかしその一方で、幕府を倒そうと立ち上がった方々も大勢いました。日本を外国に侵略させない為、そして身分のない平等で自由で繁栄ある日本を造る為に、立ち上がった方々がいたのです。吉田松陰や坂本竜馬や高杉晋作などです。
かつて日本は「藩」と呼ばれる個々の国が立ち並び、「士農工商」と呼ばれる身分制度がありました。武士が一番偉くて、百姓町人はたとえ自分の家で飼っている馬であろうとも乗ることは許されませんでした。身分低い彼等は縁もゆかりも無い武士に対してでも、身を低くして頭を下げ、道で会えば道を譲り、店で会えば席を譲らなければなりませんでした。
身分低く生まれた者は必死に努力しても、その努力が報( むく)
われることは少なく、貧しく苦しい生活を強いられましたが、その一方で、身分高く生まれた者は大した努力をしなくても、豊かな生活を過ごして遊んで暮らすことさえできました。努力しても報われない面白くない時代であるならば、国が栄えるはずもありません。
この日本においても、僅か百数十年前にはそんなつまらない時代があったのです。そんな不平等で不自由な面白くない時代を打破して、外国から日本を守る為に幕府を倒そうと立ち上がった方々がいました。幕府を守らんとする勢力が「和」に生きたとするならば、その「和」を一度打ち崩して新たな秩序を造り出し、素晴らしい時代を切り開こうと闘った方々は、当然ながら「和」に生きたのではありません。彼等が生きたもの、それこそ大きな「和」、つまり「大和」です。
すなわち「和」を何よりも貴み、小さな「和」を打ち崩して、「より大きな和」を打ち立てようと大調和を求める心、これこそが日本古来より伝わる「大和の心」であり、ある時は「大和魂」と呼ばれてきたものなのです。
ですから大和魂とは、決して軍国主義でもなければ、日本人だけを尊み、他の民族を蔑むものなどではありません。なぜなら聖徳太子の時代に、外国から広く仏教を取り入れたり、中国から儒教を取り入れることで日本が繁栄してきた様に、あるいは明治維新の時代に、開国することで外国の文化に追いついた様に、国際化が進む現代、外国を尊敬する心がなくて、真の平和が生まれることなどありえないからです。日本も外国から学び、外国も日本から学び、互いに尊敬し尊重し合う中に、大いなる和が築かれることなど、誰の目にも歴然です。
そして大和魂とは、決して弱々しい精神などではありません。聖徳太子は小野妹子を隋(中国)へ送り、「日いずる国より日没する国へ」という手紙を持たせて、相手の国に「小国が何をぬかすか」と、怒らせたことさえありましたが、しかしそれは大国に対しても決して媚びへつらうことはしないという、我が国の誇りの現れであったのです。
こうした新たな秩序を求める強い心こそ、かつて「大和の民」と呼ばれた国の心であり、青き山々が連なり、「真秀(まほろば)」とも称された美しき国の精神なのです。
ですから日本は「押せば引く国」などでは決してなく、かつてこの国は耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、押されても引くことのない強き国民性を持っており、この優しく逞しい精神によって日本はこれまで築き上げられきたのです。様々な危機が迫っている今、私たち日本人に必要なのは、かつて当たり前に根付いておきながら、敗戦と共に失われてしまった和を求める精神であり、真実の大和乃魂に他なりません。なぜなら日本を守るのは他ならない私たち日本人であり、失われた心を私たち日本人が取り戻せば、自然と私たちによって日本は守られていくからです。