日本では、8月15日は終戦の日と呼ばれ、様々な平和に関する式典が、日本国中で執り行われます。
しかし太平洋戦争(日本名・大東亜戦争)を代表とする第2次世界大戦終結の日は、世界では、大日本帝国政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した、1945年9月2日を指すことが多く、8月15日=終戦の日は、「日本では、」という前置きが必要となります。
ではなぜ日本では、8月15日が終戦の日なのでしょうか?
それは1945年(昭和20年)のこの日、日本は戦争終結の意を、昭和天皇の終戦の詔書として朗読したレコードがラジオ放送(玉音放送)され、国民及び陸海軍にポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定が伝えられ、実際に日本軍が、東アジア全域で繰り広げられた戦闘を、実際にやめたからだと思うのですね。
だからこそ日本人にとっては、「8月15日が終戦の日」という認識だろうと思うのです。
これは、当時の日本軍、そして当時の日本人が、極めて高い秩序意識を持った指揮命令系統を保持し、なおかつそれを、現実的に機能させていたということに他なりません。
さてそのようなことが、戦後70年以上も謝り続けなければならないような、血に飢えた侵略的国家に可能なのでしょうか?
無理だと思います。
侵略とは、国家による略奪強盗ですので、極めて高い秩序や、それが前提になければ実現不可能な「天皇の詔、即実践」など、略奪強盗の輩には、到底不可能なことだからです。
しかし、それにしても、多くの人の命が犠牲になりました。
軍人も、そして武器を持たぬ民間人も。
皆、命がけで生き、そして戦いました。
私は戦争を賛美する気持ちなど、さらさらありません。
しかし、平和を望むなら、現実から目を背けるわけにはいけません。
それは歴史という、先祖が命がけで残した教訓を、見逃すことになるからです。
皆さん、よく考えて下さい。
果たして、命がけで、侵略などできますでしょうか?
侵略ならば、戦況が危うくなれば、兵を引けば良いことです。
そして交渉を通して、再起を図れば良いことで、それはういうことは、世界史上、いたるところで出て参ります。
あれほど泥沼に陥ってまで、戦闘を止められなかった要因は、どのような経緯があれ、動機は国防だったはずです。
「そんなはずはない!」というのは簡単です。
しかし、そこから目を背けたならば、「歴史は繰り返す」という先人の言葉に直面し、過去の舐めた辛酸に、現代人か未来の子孫たちかは分かりませんけれども、再び直面しなければならなくなるということです。
それは平和でもなく、幸福なことでもないはずです。
戦前の日本は、侵略国家であったはずはありません。
戦略と戦術において、包括的な国防という観点から見たときに、グランドデザインが描けていたかとは言えないまでも、自分たちより弱い国と戦ったことのない国が、何ゆえに侵略国家呼ばわりされなければならないのでしょうか?
日本の地理的な状況、そして資源小国である現状を鑑みるに、「日本は、東アジア全域が平和でなければ、平和的に生きていくのが難しい」ということにおいて、戦前も今現在も、何ら変わりはありません。
現代日本が、平和であるならば、それは日米同盟による、国防力の均衡があればこそです。
万が一、日米同盟がなくなれば、戦前と同じく日本は、がむしゃらに国家を要塞化しなければ、独立と自由を守れなくなります。
このような現実の日本が、この流動的な世界において、現実的に恒久平和を望むのならば、真の意味において歴史を振り返り、包括的な国防という観点から見たときの、グランドデザインが描けるまで、国家国民として、智恵を高める方向で努力するべきだと思うのです。
本日は、終戦の日にあたっての、幸福実現党の党声明をお届けいたします。
平成最後の夏、戦後を終わらすことはできませんでした。
次の年号の最初の夏には、是非にとも、戦後を終わらせたいものです。
子々孫々、この国の人たちが、平和で自由で、繁栄した人生を歩めますように。
そのためには、かつて「平和のためなら」と享受したレッテルを、これからは、剥ぎ取る勇気が必要だと思うのです。
(ばく)
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