何事の活動も、心が乾いたら、ただの作業だ・・・
sakuya
真理の戦いは、まだ始まったところです。
われわれは、闇夜に沈む世の中に明かりをともしたいのです。
真理の松明をともして、真っ暗の海を照らしたいのです。
世界の闇を追放したいのです。
真理の松明をともして、真っ暗の海を照らしたいのです。
世界の闇を追放したいのです。
だから、心に希望の光を持ってください。
ポジティブであってください。
積極的であってください。
建設的であってください。
勇気を持ってください。
ポジティブであってください。
積極的であってください。
建設的であってください。
勇気を持ってください。
『国家の気概』より
↓心が乾いた時、時折尋ねる場所です
はるか昔に去った時間の中の、維新の志士たちは
今、われらをどのような想いで見守っているのでしょう・・・
この時代、どのように生きていくのが望ましいかと
・・・心の再発見を時折する・・・・
現代の維新の志士
近代日本における最大のプロジェクトXこそ「明治維新」に他なりませんが、
それを用意した「薩長連合」および「大政奉還」が成った際に流した
龍馬の涙の濃さ、熱さを想うと、それだけで泣き虫の私は涙が出そうになります。
いつか私も、龍馬のように歴史に残る感動の涙を流してみたいものです。
龍馬のエピソードは司馬遼太郎の名作『竜馬がゆく』に詳しいですが、
龍馬のエピソードは司馬遼太郎の名作『竜馬がゆく』に詳しいですが、
同じく司馬の『翔ぶが如く』を読むと、西郷隆盛もよく泣いたことがわかります。
彼ら維新の志士たちは司馬遼太郎の表現を借りれば、
「巨大な感情量の持ち主」だったのでしょう。
人間は近代に入ると泣かなくなりました。中世では人はよく泣きました。
中世よりもはるかに下って松陰や龍馬や西郷の時代ですら、人間の
感情量は現代よりもはるかに豊かで、激すれば死をも怖れぬかわり、
他人の悲話を聞いたり、国家の窮迫を憂えたりするときは、感情を
抑止することができなかったようです。
日清・日露戦争当時の軍人や大臣といった人々でもそうで、
日本海海戦に勝ったと言っては泣き、つらい任務を引き受けてくれる
と言っては泣き、それも相抱いて、おいおい泣いています。
とにかく昔の武士や軍人はよく泣きました。
ところが後世になるほど、感動や感激がなくなって、泣かなくなってしまったのです。
現代では、結婚式や葬儀といった場面において、人は最もよく泣くと言えます。
もちろん、それは喜びの涙や悲しみの涙でもありますが、参列者においては
明らかに感動の涙が多いと思います。もともと冠婚葬祭とは、人々の共感を
生み出す装置であると私は考えています。特に、披露宴で花嫁さんが
声をつまらせながら両親への感謝の手紙を読む場面や、告別式で故人
への哀悼の念が強すぎて弔辞が読めなくなる場面などでは、非常に強大な
共感のエネルギーというものを感じます。
感動が共感を生み、そこから「心の共同体」とでも呼ぶべき波動が
現われてくるのです。
感動を呼び起こすものは、スポーツや本や映画だけではない。
冠婚葬祭こそは感動の最大の舞台なのです。
考えてみれば、結婚式と葬儀という「愛」と「死」のセレモニーに携わる
考えてみれば、結婚式と葬儀という「愛」と「死」のセレモニーに携わる
私たちは、日々、愛と死をみつめて生きています。冠婚葬祭業ほど
、愛と死をみつめる仕事はありません。
私たちは、感動のプロフェッショナルなのです。