有機ゲルマニウム体験記

Sursum corda (スルスム・コルダ) 〜心を挙げて〜

『私のゲルマニウム体験記』(3): おとぎ話か、冗談か ーアサイゲルマニウムは火傷に効くー

2024年02月06日 | 有機ゲルマニウム体験記

「おとぎ話か、冗談か ーアサイゲルマニウムは火傷に効くー」 

(使用した製品: アサイゲルマニウムクリーム、
 主な効果: 火傷)

2023年、4月5日の夜。
聖歌隊の練習など、所用が重なり、疲れが溜まっていた私は、
一息入れようとホットミルクを作っていた。

ところが、やはり疲れでぼうっとしていたのか、
小鍋から熱い牛乳をカップに注ぐ時、うっかりして左手の甲にかけてしまった。
あわてて流水で冷やしたが、赤みは引かず、痛みもどんどん強まっていく。
「どうしよう、、、」と思った時、こんな言葉が頭に浮かんだ。


「アサイゲルマニウムは火傷に効く」


それは3月の『アサイゲルマニウムセミナー』で伺ったエピソードだった。
主催の中村宜司氏の体験談で、ひどい火傷の痛みが、アサイゲルマニウム溶液をかけるとすぐにおさまり、
痕も残さなかった、というお話だ。

溶液は無いが、高濃度のアサイゲルマニウムクリームなら家にある。
急いで瓶を開け、クリームをひとすくいし、左手の甲に塗った。

次の瞬間、「うそっっ!!」
思わず声が出た。
甲の赤みが、クリームを塗ったところから、見る見るうちにサーッと消えていく。
痛みもあっという間に引いた。

「、、、何、、、これ、、、?」
呆然として手を見つめた。
ゲルマニウムクリームが「火傷に効く」ことを、期待はしていた。
だが、この効き方は想像の範疇を完全に超えている。

そのうちに皮膚の下の方から、ジンジンとした痛みがぶり返して来た。
これもお話で伺っていた通りだったので、もう一度クリームを塗ると痛みはすぐに引いた。

数分経つと、またわずかに痛みが出て来たので、さらにクリームを塗る。
これを最後に、痛みは完全に消えた。

あらためて、左手を矯めつ眇めつ眺めた。
赤みも、痕もまったく無い。
恐る恐る右手の指で撫でてみると、サラサラとした感触で、
どこにも引っかかりは感じられない。

そこへ主人が帰って来た。
興奮冷めやらぬまま、私は玄関に飛んで行った。
「お帰りなさい!ねぇ、今ここ火傷しちゃったんだけど、これ塗ったら、すぐ治ったの!」
「へえぇ〜、呪文でもかけたの? ○○○(某有名ゲームの回復呪文)!!」
「、、、えっ?」

思いがけない反応に、言葉に詰まった私だったが、
自分の左手に目を落として納得した。
どこにも何の異状も残っていないこの手を見たら、たしかに冗談としか思えないだろう。
言われてみればあの効き方は、まるでアニメやゲームの「魔法」のようなものだった。

とてもそんな余裕は無かったのだが、動画、せめて写真を撮っておけば良かったと後悔した。
この後悔は、その後、他の家族や友人たちにこの話をするたびに、繰り返し心に浮かんだ。
私はただ事実を話しているだけなのだが、とにかく誰も信じてくれない。
「冗談にしては話を盛り過ぎている」
「なんでこんな突拍子もない話をするんだ?」 というような反応がほとんどだった。

浅井一彦博士の著書『ゲルマニウムと私』に、浅井博士がゲルマニウムの驚異的な効果について話すと、
「それを聞いた連中は、私が何かおとぎ話か、冗談をいったとしかとれないような態度を見せる」
「医者は私に「魔法使いか」と一笑に付してしまう」と書かれていたが、まさにその通りの対応だった。

彼らの気持ちはよくわかる。
実際に体験した自分でさえ、とても本当とは思えなかったくらいなのだ。
だが浅井博士はこうも書いておられる。
「観念で現実を踏みにじってはいけない」と 。

アサイゲルマニウムは火傷に効く。
それも尋常ではないほどに、、、
これは紛れもない「現実」だ。

この驚くべき効果が、もっと知られるようになって欲しい。
そう切に願うのは、1月1日の能登半島地震で、火傷を負って亡くなってしまった男の子のことを思わずにいられないからだ。
浅井博士ならばきっと、「私のゲルマニウムを使ってあげたかった」と、涙をこぼされたに違いない。

あまりにも優れた効果を持つがゆえに理解され難いが、治癒した人々は例外なしに、
「この有機ゲルマニウム化合物を、他に苦しんでいる人々に早く知らせて、救ってあげてほしい」
(『ゲルマニウムと私』)と望むという。

今、それは「私の願い」でもある。


『私のゲルマニウム体験記』(2): 再会と、続く『驚き』

2024年02月06日 | 有機ゲルマニウム体験記

「再会と、続く『驚き』」

(使用した製品: アサイゲルマニウムS、アサイゲルマニウムクリーム、  
 主な効果: 頭痛、歯痛、中耳炎、扁桃腺炎、肺炎、喘息、変形性股関節症、母指CM関節症など)


「『アサイゲルマニウム』って知ってます?」

友人から「家族の重篤な病気を治してくれたサプリメント」として、
40年ぶりにその名前を聞いた時には、本当に驚いた。
社員の方々には誠に申し訳ない話だが、有機ゲルマニウムの会社はもう無くなってしまったものと、
私は勝手に思い込んでいたのだ。

彼女の勧めで、遅まきながら、株式会社浅井ゲルマニウム研究所の創設者であり、
アサイゲルマニウムの生みの親である、浅井一彦博士の著書を読んだ。
あらためてゲルマニウムの多岐に渡る著しい効果を知り、
浅井博士の温かい人間的な魅力と、高邁な理想にも強く魅了された。

40年は長い年月だ。父は10年以上も前にガンで他界した。
私の喘息は悪化し、加齢もあって、様々な体調不良を抱えていた。
そこに、とうにあきらめていた、けれども忘れることのできなかった有機ゲルマニウムとの、
再びの出会いが与えられたのだ。

こうして2023年の2月、私は再び有機ゲルマニウムの摂取を開始した。
商品はカプセルタイプの『アサイゲルマニウムS』を選択した。
昔の体験で「たくさん飲めば大きな効果が出る」ことは実感していたが、
我が家のささやかな家計収入では、なかなか昔のように「好きなだけ飲む」のは難しい。
それでも最初の一ヶ月は一日3粒を飲んだ。 今は基本一日2粒だが、疲れが取れない時や、
何らかの症状がある時には4〜10粒と、多めの量を飲むようにしている。

一年間アサイゲルマニウム製品を使って来たが、
その効果は、いつも期待をはるかに上回るものだった。
偏頭痛、歯痛、口内炎、中耳炎、扁桃腺炎、肺炎、難聴、緑内障、不眠症、
うつ病、 事故による高次脳機能障害、シェディングと思われる症状等々、、、

特に中耳炎、口内炎、歯痛などには、医師も驚くような効果があった。
短期間できれいに治ってしまうので、「治ってますね、、、」
「膿も、浸出液も消えてる、、、」と、幾度も不思議がられた。

肺炎になった時には、喘息の持病のためもあってか、かなり悪化してしまったのだが、
アサイゲルマニウムSを8粒飲んだら、症状が一気に落ち着いた。
「ああ!おさまりましたね!!」という、医師のほっとしたような声が耳に残っている。

冷え症や、寝付きの悪さも改善され、しばしば罹っていた膀胱炎や腎盂腎炎にもならなくなった。
喘息の状態も、だいぶ良くなって来た。
私の喘息は「中等度持続型」で、「重症持続型」との境目くらいと診断されていた。
発作をしょっちゅう起こして、気管支拡張剤を何度も吸入しなければならないような状態だったのだが、
アサイゲルマニウムの摂取を始めてから、発作の回数は劇的に減った。

私はカトリック信徒(家族の中では私一人だけ)で、聖歌隊に入っているのだが、
教会で歌っている最中にも発作が起き、周囲に多大なご迷惑をおかけしてしまう事が度々あって、
いつも心苦しく、申し訳なく思っていた。
しかし昨年は一度も途中で発作を起こす事なく、 最後まで無事に歌うことができ、
以前の私の状態を知っている人には「治ったの?!」と驚かれた。

 

、、、と、このあたりまでは、飲む前からある程度予期していたことだったのだが、
アサイゲルマニウムはさらに思いもよらなかった効果をもたらしてくれた。

20代の時、右足の付け根と太ももに強い痛みが出た。
病院で調べたところ、「臼蓋形成不全」と診断された。「臼蓋」は、骨盤の大腿骨がはまる部分で、
この凹みが浅いと大腿骨がきちんとはまり込むことができない。 そのため股関節や足の痛みが出たり、
股関節の関節軟骨がすり減ることによって、「変形性股関節症」を起こしたりする。
すり減った軟骨は元には戻らないので、 この関節症が悪化したら、
人工股関節への置き換えなどの手術を行うのだ、と言われた。

診断された時はかなりのショックだったが、できる限り悪化させないよう、気を配って生活して来た。
数年前から痛みが強くなって来たので、長時間の外出には杖を使い、股関節への負荷を減らすようにもしていた。

だが痛みはますます強まり、2022年の暮れには、朝晩湿布をしないと耐えられないようになっていた。
湿布には胃腸障害や腎臓障害、喘息発作などの副作用がある。
繰り返し使用するとその部分の筋肉も痩せて来る。
しかし湿布をしないでいると、ジワジワ、ジワジワと痛みは増して行き、
ついには「痛い!」ということしか考えられなくなってしまう。

人工関節の手術は60〜65歳で行うのが一般的と言われている。
当時58歳の私は年齢的に間近ということもあり、
「やはりもう手術しかないのか、、、」と、 暗澹たる思いに沈んでいた。

アサイゲルマニウムを飲み始めたのは、ちょうどその頃だ。
初めは他の効果に目を奪われていて気付かなかったが、三週間目くらいから、
右足が以前より軽く上がって楽に歩ける事を、はっきりと自覚できるようになった。

一ヶ月目になる頃、外出の際、習慣で杖を手に取った私は、思わず手をパッと離した。
「これはもういらないや!」
手ぶらで歩く私を見て、友人や知人たちが驚いたのは言うまでもない。

この時の痛みの強さは、アサイゲルマニウムを飲む前を「10」とすると、 「5」か「6」と言うところだった。
進行するのみと思っていた痛みが半減しただけでも有り難かったのだが、そこにまた、素晴らしい出会いがあった。
3月に出席した「浅井ゲルマニウム研究所」の中村宜司氏による『アサイゲルマニウムセミナー』で、
「アサイゲルマニウムクリーム」を紹介されたのだ。

これはアサイゲルマニウムが高濃度に配合されたクリームで、
マッサージクリームとして使うと、痛みに大きな効果があると言うことだった。
試しに塗らせてもらったクリームは、ジェルに近いようなトロッとした質感で、
驚くほどの速さで皮膚に浸透していった。

私は右手にも痛みを抱えている。
「母指CM関節症」と言って、親指の付け根の関節軟骨がすり減り、その部分が腫れて痛むのだ。
痛みが出た時には湿布を貼ったり、軟性の装具で固定したりして凌いでいたが、
装具が蒸れたり、湿布でかぶれができたりして、かなりのストレスになっていた。

その手の痛みが、このクリームを塗るとスッと和らいだ。
例えるのは難しいのだが「沸かしすぎたお風呂を水でうめた時のような感じ」だろうか。
湿布をした時とは全然違う、穏やかで心地よい効き方だった。

このクリームを、朝晩、腰と右足の付け根、太もも、右手に塗った。
痛みは日毎に軽くなり、一ヶ月程で、普段は痛みを忘れていられるくらいまでになった。

今は一日一回、夜の入浴後に少量を患部に塗っている。
痛みの強さは、アサイゲルマニウムを使用する前の「10」に対して「2」程度だ。
完治はしていないが、コントロールはできていて、湿布はもうまったく使っていない。


QOL(生活の質)は格段に向上した。
昨年の12月、現在は遠方に住んでいる弟と久しぶりに会った。
もちろん仰天された。
「足は?腰は?大丈夫なの?!」
「うん!アサイゲルマニウムのおかげで!」

そう答えても容易には信じられない様子で、何度も気遣ってくれたが、
そのうちに「本当に大丈夫そうだ」と判断したらしく、
「じゃあ、前から話していたショッピングモールに行ってみる?」ということになった。

義妹から頼まれていたものを買ったり、互いへのクリスマスプレゼントを物色したり、
気が付けば、広いショッピングモールを、相当の時間歩き回っていた。
そして「これ以上歩くと、腰が痛くなっちゃうから、、、」と先に音を上げたのは、
私ではなく弟の方だった。

これには、誰よりも私自身が一番驚いた。
インドア派の私とは違い、弟は釣りが大好きでテニスが趣味、ジャックラッセルテリアを飼っていて、
散歩も毎日欠かさずにしているのだ。
もはや「回復」や「改善」と言うよりも、 「増強」と呼びたくなるような、目覚ましい効果だった。

このように、実際に体験した自分でも「これは一体どういう事?」と思うような効き目ばかりだが、
アサイゲルマニウムの力は、まだまだこれだけではない。

誇張でもなんでもなく、文字通り「目を疑う」ような信じがたい体験をしたのは、
アサイゲルマニウムクリームを買ってから、数週間が経った頃だった。


『私のゲルマニウム体験記』(1): 有機ゲルマニウムとの出会い

2024年02月06日 | 有機ゲルマニウム体験記

「有機ゲルマニウムとの出会い」

(使用した製品: ゲルマニウムウォーター  
 主な効果: 偏頭痛、生理痛、中耳炎、扁桃腺炎、喘息など)


私は1980年代の初め、17、8歳の頃に、両親と弟の家族4人で、有機ゲルマニウムを飲んでいた。
ある日父が「すごい評判になっている『夢の万能薬』だぞ!」と言って、謎の水を買って来たのだ。

弟は「誰かの紹介があったらしい」と記憶していたが、父はすでに亡くなっていて、
購入の経緯や、正確な商品名などはわからない。 その水には独特の酸味があったので、
柑橘類が苦手な弟は「スッパイゲルマニウム」と呼んでいた。

私は味にはそこまで抵抗はなかったが、『夢の万能薬』という言葉は大げさだと感じていた。
流行り物好きの両親には、それまでにも似たような触れ込みで、様々な物を飲まされていたからだ。
「どうせまた、すぐに飽きるだろう」と思っていたのだが、
これが他の健康食品とは比較にならないほど絶大な効果がある物だということを、私は身を以て知ることになる。

当時私は偏頭痛や生理痛が酷くて、いつもかなりの量の鎮痛剤を飲んでいた。
また中耳炎や扁桃腺炎になりやすく、ほぼ毎月のように耳鼻咽喉科に通っていた。
さらに夜中に度々喘息の発作を起こし、寝不足になりがちだった。

その状況が、ゲルマニウムを飲み始めた途端、劇的に一変した。
まず、夜は良く眠れる。息苦しさで目覚める事も無く、「今日は咳が出ませんように、咳が出ませんように」と、
祈りながら床に就いていたのが嘘のように、朝までぐっすりと眠れる。

中耳炎や扁桃腺炎にもかからなくなった。
ズキッ、ズキッと続く耳の痛みや、 唾を飲み込む度に感じる喉の痛みが、まったく出なくなった。
生理痛や偏頭痛にも良く効いて、鎮痛剤の出番も無くなった。

それでもたまに強い痛みが出た時には、いつもの倍くらいの量のゲルマニウムを飲んだ。
学校にいる間に「帰って飲んだら治る、絶対治る」と、自分に言い聞かせていた事を覚えている。
その期待が裏切られたことは一度もなかった。

痛みや苦しみの無い、健やかな日々!
それまでの私には想像することもできなかった『幸福』だった。

このように、私にとってはまさしく「夢の薬」だったのだが、
家族の中で効いたのは、なぜか私だけだった。
効果があまりにも顕著だったので、両親はゲルマニウムを買い続けてはくれたが、
同じように毎日飲んでいても、私以外の者には目立った効果は無かった。

後に浅井一彦博士の著書を読んだり、浅井ゲルマニウム研究所の中村宜司氏による「アサイゲルマニウムセミナー」で
お話を伺ったりしたので、今では効き方にはかなり個人差があること、特に食べ物や精神状態などによって、
大きく差が出るということを知っている。

両親に関して言えば、父親はヘビースモーカーで大の酒好き、一日中コーヒーをがぶ飲みしていたし、
母親は気が短くて、気分屋で偏食家、そして二人とも相当の肥満体型だった。
効果が出なかったのも不思議ではない。弟の方はもともと身体に不調があった訳ではないので、
はっきりと違いを感じることがなかったのだろう。

それでも長く飲み続けていれば、両親や弟にも良い変化が現れたと思うのだが、
残念なことに、私たち家族と有機ゲルマニウムとの関わりは、一年足らずで突然終わりを告げる。

ある夜、激怒した両親に「こんなもん、全部捨てる!」「毒だったんだ!人が死んでるんだぞ!」
「ニセもんだった!バカ高かったのに!」などと言われた。
『ゲルマニウムは危険』という大きな誤解を生み、いまだに社会に多大な影響を及ぼしている健康被害事件、
悪質な業者が無機ゲルマニウムを有機ゲルマニウムとして販売し、死者まで出したことを耳にしたためだった。

当時はそれらの詳しい事情を知る由もなかったが、それでも私はゲルマニウムが「ニセ物」だとは、
ましてや「毒」だとは、微塵も思わなかった。
ただ、手にしたばかりの、苦痛の無い、穏やかな生活が失われてしまうことを思って、
目の前が真っ暗になった。

私は懸命に、自分にはとても良く効いたことを訴えたが、両親はまるで聞く耳を持たなかった。
「そんなの、効く、効くって言われて、その気になってただけだ!」
「バカだから騙されるんだ!」等々、まるで八つ当たりのように罵倒され、 結局すべての水が処分されてしまった、、、

こうして私の前からゲルマニウムは姿を消した。
両親はアロエやニンニクエキス、朝鮮人参など、ありとあらゆる健康食品をまた使い出した。
それらは私にとっては、それこそ「効くと言われれば、そうなのかも」と答えるしかないような物で、
到底ゲルマニウムの代わりになるようなものではなかった。

私の症状はやがてすべてぶり返し、薬漬けで、不調が当たり前の日々に戻ってしまった。
痛みが酷い時、発作で眠れない夜など、「ゲルマニウムがあったなら」と何度思ったことだろうか。

あの時代には、情報源と言えばテレビと週刊誌くらいしか無かった。
ゲルマニウムの効果を、ついに一度も実感することがなかった両親が、それらが垂れ流すゴシップを鵜呑みにしてしまったのは、
あるいは無理からぬことではあったかもしれない。

けれども、あの騒動の中でも、惑わされる事なくゲルマニウムを使い続けた人たちはいたのだ。
そしてその人たちと、人々の健康のために、大きな困難の中で努力を続けてくださった会社の方々のおかげで、
私は有機ゲルマニウムとの再会を果たす。

40年後の事だった。