「どこでもいいよ」とか
相手に委ねることって
私もしてしまうことあるのですが
遠慮しているつもりでも
場合によっては言われた側は
その瞬間に全責任を負わされるような気持ちになることもあったり。
(それほど大げさではないとしても)
そもそも“遠慮”とは
1.他人に気を配って、言動を慎み控えること。
2.事情や状況を考えて、辞退すること。断ったりやめたりすることを婉曲に言う語。
3.席をはずすこと。(Wiktionaryより)
自分じゃわからないから、
自分じゃ決められないから、
「どれでもいい」
「どっちでもいい」
…これはもう、遠慮ではないのでは。
遠慮という名の
放棄、無責任、逃げ、
そんな気がしてしまいます。
どれでもいい、と相手に言われてしまっては
こちらが話を進めなくてはなりません。
決めてくれたらいいのに、
そう思いながら
「そしたら、これでいい?」
自分の意思というよりも
どうするのが良いのか、
相手の反応も予測したりして
無難なところを提示してみたり。
その、めんどくさい駆け引き。
なぜならこちら側にも
遠慮という名の
自信のなさ、があったりするからです。
「遠慮」という、名ばかりの言い訳。
私が“遠慮”することが
相手に“遠慮”をさせているんだとしたら…。
「どれがいい?」と聞くから
「どれでもいい」と言われてしまう。
つまり
言わせない聞き方をするしかありません。
「これはお好きですか?」
「今日はゆっくりできますか?」
そんな感じに会話しながらリサーチ。
答えを一緒に探す感じを目指して
流れを変える舵をとってみることも
チャレンジしてみようと思います。