あえて、沿岸を通るルートを選択。
復興の象徴⁈の一つ
三陸道(復興道路)がほぼ出来ていました。
北部では一部、まだ開通はしてないものの
震災から10年、三陸沿岸を
短時間で移動する事が可能になっていました。
忌まわしい震災が
もたらした正の産物⁈なのかな。
新しい防潮堤は景色を一変させ
海が見えなくなっていました。
あの震災当時
地震に慣れている私たちは
いつもより激しい揺れと
その直後の停電に
驚きはしたけれど
まさか、津波が来るとは
思いもせず
突然の停電でテレビは見られず
ラジオは無い😅
そのうち日が暮れて
子供たちが
技術の授業で作った
ソーラーラジオがあった事を
思い出し
スイッチを入れてみました。
縁側を巨大津波が襲い
私の住む地区も
避難勧告が出ていた😰
まもなく
消防車が避難を呼びかけながら
家の前を通った。
後から知ったのですが
近くの学校体育館に
1000名を超える人たちが
避難していて
息子の同級生たちも
その手伝いで体育館にいるという事。
あの頃の私たちに
地震=津波という意識がほとんど無く
その昔、津波がきた記録はあるものの
明治や昭和初期、生まれた頃の物ばかり。
半世紀、大きな地震はあったが
津波は経験がなく
全く警戒をしていませんでした。
幸い、被害はなかったのですが
すぐそこまで津波が来ていたことを知ると
ゾッとする思いです。
東日本大震災は
現代の私たちに
多くの犠牲者をもって
津波の恐ろしさと今後も起こる可能性を
強烈に見せたと思っています。
とかく、喉元過ぎれば熱さ忘れる
私たち。
避難グッズも段々、どこかに
押しやって
今じゃ、逃げようとしても
すぐに探し当てられません😱
ハザードマップでも赤くなっていて
相当遠くまで逃げなければ
危険らしいです。
3.11を迎えた今日
今一度、災害への備えを
しっかり確認して
災害に対し強く生きる事が
亡くなった方々へ
敬意を払う事と供養をするになるのでは?
と、思いを強くした次第です。
未だ見つかっていない
行方不明者が
待っている方々の元へ
そして、安住の地へ
帰る事をひたすら祈ります。
日本全国、地震列島。
日々の備えと高い意識で
皆さま、ご安全に!