322年前の元禄15年(1702年)12月14日は、大石内蔵助以下四十七人の赤穂浪士が吉良上野介の屋敷に討ち入り、主君浅野内匠頭の遺恨をはらし見事本懐を遂げた日です。その義士たちは東京高輪泉岳寺に祭られていますが、昭和10年福岡の篤志家木原善太郎氏がここ南区の興宗寺境内に泉岳寺と同じ型式レイアウトの墓を建立し、これを機に「福岡義士会」が結成されました。以来毎年この日に祭典を行い、義士の遺徳を顕彰し冥福を祈っています。今日も盛大に祭典が行われました。墓前での読経や琵琶法師による供養が行われ、境内では珍しい手筒の発射実演もありました。
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