今日のわたくしゴト

今日書いておきたいこと。

また、テンプレート、変えてみました。

Uwe様とMate様 CDで聞き比べ

2007年05月07日 23時37分58秒 | Musical Elisabeth
ウィーン来日版「エリザベート」を日本語字幕でみて、
「へー」と思ったのは、トート様の持ち歌もしかり。

昔から、よくある話に俺様も陥ってしまいましたとさ
というニヒルなトート様。

Uwe様だと、自嘲的で、無表情、端整でマジメな顔して、面白いこという
非人間的なトート様なのに、

Mate様だと、ウッキッキーで、
自分の陥った状況をアッハッハーと笑う
肉のかたまりのような、人間臭いトート様の歌に聞こえるのは、なぜだろう。

もしかして、Uwe様のほうが、コメディアンの才能あり?
コントは、Mate様のほうが、、、。

CD聞き比べ エリザベート 大人ルドルフ

2007年05月07日 23時24分57秒 | Musical Elisabeth
ようやく、yukitsuriさんノ真似をして、
CDの並び替えの方法が分かったので、
ライブラリを増やしているところです。

で、大人ルドルフ、ホビット君じゃなくてFritz Schmid君&ルカス君でCD聞き比べ&記憶の中で生舞台比較。

Fritz Schmid 君だと、20代、若くて真摯で、必死な皇太子像。
フランツに対しても「どうして分かってくれないんですか、父さん」というニュアンス。

ルカス君だと、実際の役柄30代、退廃というより、放蕩貴公子風。
フランツに対しては、「どうせ、分かってくれないですよね、父さん」なスタンス。

トート様のキスを避けるタイミングも、
ハラハラして息を呑んでみていた記憶のある、Fritz Schmid君。

ルカス君の場合、同じシーン、
さすが退廃貴公子なので、慣れている風で、
なんか、サラリとしていて、ハラハラした記憶がないのは、
一回しかみてないからかしら、、、。

要するに、メリハリがあって、声が高いFritz Schmid君のほうが
私好みのルドルフ像ということなんですかね、、、。




思い出しついでに、もう一点、来日ウィーン版「エリザベート」

2007年05月07日 23時08分32秒 | Musical Elisabeth
大人ルドルフ&エリザベートの対話のシーン。

度肝を抜かれたのが、
たとえ、自分の子供、皇太子ルドルフのためでも、
フランツに、頭を下げたり(すげー、日本的な言い回し使っちゃった)しないわよ!
というようなことを
エリザベートが告げるときの字幕。

日本のステレオタイプな母親像だったら、
子供のためなら、頭さげちゃうところ。

星組マリコさんのトート様版の時のエリザベート(白城あやかちゃん)は、
あなたは、大人だから、自分の力で、解決できるわよね?
と、息子ルドルフと、夫フランツの間に入るのを、
ルドルフは、もう大人だから、と
ルドルフの責任に転嫁しました。

ウィーン版だと、自分がフランツにお願いするのがイヤだからと
明確なエリザベートの意思です。
ココにびっくり。

私としては、やはり、宝塚アレンジのほうが、母親像としては、しっくりきてしまいます。

ウィーン版エリザベート像は、
このシーンで、苛烈なエリザベート像をあぶりだします。



もうひとつ、忘れないうちに、ウィーン版字幕付「エリザベート」

2007年05月07日 21時41分21秒 | Musical Elisabeth
私の宝塚版エリザベートの記憶は、
星組マリコさんのトートで止まっているのですが、、、。
ずんこさんのも見たのに、、、。

星組、マリコさんトートの時の
ルキーニはリカちゃんこと、紫吹淳さんなのですが、
ルキーニのセリフで、
ずっとなんだか、釈然としなかったのは、
子供エリザベートを助けたトート様が、去ったあと。

次のウィーンの宮廷、フランツ&ゾフィーの紹介の時。
「ああ、帝王っていやあ、もう一人、、、」
というルキーニの、
前の場面とつながっているかのようなセリフ。

この宝塚版のセリフが、どうも、腑におちないというか、釈然としないというか、
もやもやーんとしていたのです。

ウィーン版、ルキーニには、トート様、
「Seine Majestat der Tod!」と呼ばれてるけど、
黄泉の帝王っていうのは、宝塚版での名称だしなあ、、、。

なんで、トート様とフランツ・ヨーゼフをセットにしたがるんだろうと
ルキーニのセリフの中の「○○と言えば」というところに、
とてもひっかかっていたんです。

トート様、カイザーじゃないしなあ、と疑問に思っていたのですが、
字幕を見たら、なんのことは、なかった。

エリザベートが、ベットから、去ってゆくトート様を引き止めるときに
「schwarzer Prinz」と、呼びかけていたんですね。

「○○と言えば」は、エリザベートのセリフからの繋がりだったんですねえ。

「(トート様の日本語版言い換えとしての)帝王 & der junge Kaiser」というセットではなくて
「(トート様)schwarzer Prinz & (フランツ・ヨーゼフ)der junge Kaiser」というセットゆえの
「帝王っていやあ」という接続のしかただったんですねえ。

宝塚版の場合、フランツ&トートをセットにしておいたほうが良い事情と思われるのは
宝塚版だと、フランツ&トート様の対決シーンとも言える
「最終弁論」があるからかなあ。

ウィーン版だと、「An Deck der sinkenden Welt」。
梅田の来日ウィーン版の装置も、あまり、船の甲板のようには
沈み行かないのですが。

トート様&フランツ・ヨーゼフ様が
「Meine Elisabeth?」、「Meine Elisabeth!」と絶叫しあう
ウィーン版のこの場面。

宝塚星組マリコさんトート版の時は、
トート閣下 VS フランツ・ヨーゼフ陛下の
「最終弁論」という設定になっていたと思います。

このエリザベートを愛する二人の最終弁論に繋げるためにも
最初から、トート様 VS フランツ・ヨーゼフ陛下をセットにして
対立の構造を作っておいたほうが、都合がいい。

そのあたりの細やかさが、潤色小池先生の手腕なんだろうと思います。

これで、勝手にニ私の腑に落ちました。
VIVA 日本語字幕!エーヤン日本語字幕!

忘れないうちに書いておこう「エリザベート」

2007年05月07日 20時48分29秒 | Musical Elisabeth
大阪で、字幕つきでウィーン版「エリザベート」をみて、
ようやく分かったのは、チェスの駒になってる場面。

なんで、みんな、腰砕けになるんだろうと思ったら、
大司教様(Kardinalerzbischof Rauscher)の「道義的に反対です」が原因だったんですね。

字幕が出ると、「Vom moralischen」と「Aber vom politischen」が
聞き取れるようになるから、いつも、いかに、ぼおっと、漫然とCDを聞いているかということですね。

そんな大司教様のオチ、好きになりました。

宮 第19話 「皇太子妃が家出?」

2007年05月07日 20時36分33秒 | Koreanisch ドラマ
「ケンチャナ」の一言でいいから、なぐさめあうことが重要だというチェギョン。

しかし、チェギョンも車を持つようになって、
皇太子、皇太子妃、ユル君と、
高校生なのに、一人一台ずつ自動車所持して、
それぞれ、車でおでかけって、なんだか、かさばるなあ、、。

5分、3分、1分と、護衛のお姉さんに
無理やり説き伏せて、
絶対1分以上、トッポッキを食べてたよね、チェギョン。
スンデを追加注文するし。
友達のメガネを借り、変装。

シン君、食べればいいのに、トッポッキ。

シンくんの許しを得て、
里帰りしたものの、
やっぱり嫁いだ娘だから、
帰りなさいと、チェギョンママ。

皇后にチェギョンの外泊がバレて、
シン君、チェギョンに気配りしたつもりが、面目丸つぶれ。

さて、チェギョンの車は、いずこに、、、。