ノグチサトキ

名もなきギタリストの物語

『いま、みる、リアル』

2022-01-31 | 家族のこと

久しぶりのおでかけ、

娘と二人で・・・

 

画像1

このさなか、会場内、広くない座席、

隣同士、空きもなく超満員・・・

 

さておき、内容は、先の大会、

上位二校が出演

 

さずが近畿大会出場校、

まるでプロの劇団みたいでした

 

しかし、上手な人っていうのは、

静かな場面や、後ろを向いて話してても、

セリフがよく聞こえる

 

方や聞き取りにくい人も中にはいたり、

専門的なことは、わからないけれど、

舞台に立つってのは、

奥深いなとも思いつつ、

拝見しておりました

 

また、機会あれば、伺いたい今日この頃です

どなた様も、お疲れさまでした

 

・・・2022.1.30 日曜日のこと

北白川 京都芸術大学 秋冬座にて


続 喪に服す

2022-01-07 | 家族のこと

昨年、父が亡くなり、喪中にて・・・

 

さて、そもそも、「喪中」或いは、「喪に服す」とは?

これを機に、あらためて考えてみたく思います。

 

一般的には、死を弔い、

行動を慎むとの意があるかと思いますが、

うちの宗教とされる浄土真宗では、

死して即成仏との解釈上、

喪中という概念そのものがないらしい。

 

かたや、神教、神社系は、

死を穢れと捉えるらしく、

鳥居をくぐるの(参拝)を

避けなければならないらしく。

 

いずれにしても、風習とされているのを

何となく、行っているものかと思います。

 

それが、昔は、法的に定められていたとのこと。

今回、初めて知りました。

 

明治7年に出された太政官布告によると、

父が無くなった場合、

喪に服す期間は、13か月。

行動制限も、具体的に定められています。

 

実際、どれぐらい実行されていたのか、

はたまた、罰則はあったのか等、

詳細は、わかりませんが、

昭和22年には廃止となるまで、

このような定めがあったことが驚きです。

 

ともあれ、身内が亡くなったら、

誰しも、悲しいもの。

各々、「故人を忍び、行動を慎む」

のに意味があるのかと思う今日この頃です。

 

・・・「あけましておめでとう。」

と言われた際、

「うちは、喪中でめでたくない」

などと返す訳にはいきません。

 

前略し、

「今年もよろしくおねがいします。」

と応じてます。

という訳で、

どなた様も、今年もよろしく!


我が家のサンタクロース

2021-12-27 | 家族のこと

・・・12.25、クリスマスの朝、

写真見てから、コルトに乗って出発

 

妻を左京に送った後、西行、峠を越えて、

親戚にお歳暮届け、実家に立ち寄った後、

M氏のショップにて、Up!受取、

妻を迎えに行きました

 

私の予定は、分刻み・・・

 

さて、ある日のこと、

学校は、お休みなのに、

制服を着て出かけて行く娘

 

てっきり、部活に行ったと思ってました

 

・・・クリスマスの朝、

娘から、写真添付のメールが届く

 

ちょっとびっくり!

12月10日、ボランティアに参加してたとのこと

 

お父さん(私)、それ見て初めて知りました

(2021.12.10 北区にて)

 

・・・話は戻り、クリスマスの日、

帰宅して、しばらくしてから、

娘と妻と、イオンシネマに行きました!

 

『劇場版 呪術廻戦0』観覧

 

という訳で、

どなたさまも、ご機嫌よう

では、また


Good by 「COLT+」

2021-12-25 | 家族のこと

コルトは、俺のパスポート・・・

「アンダルシアに憧れて」より

 

2021のイブは、

昨年と同じく、

いつもの洋食屋さんにて

 

食事のあとに、記念撮影、明日でお別れコルトプラス

(大人しい外観とは裏腹に、革ハンドル、6MT切替システム 

 エンジンはジャーマニー:走行距離、この時、115577km、

 色んなところ、行きました)

 

・・・今となっては、全部思い出、

この場を借りて、ありがとう


百箇日法要

2021-12-19 | 家族のこと

天気予報は、・・・。

 

12月17日(金)のこと

「帰省は、今夜のうちに」云々

仕事帰り、弟からのメールにて知る

 

・・・、大雪。

 

予定変更、

夕食、シャワーを済ませ、

雪が舞う中、

自宅を出たのは、午後11時前

 

かなりの雪量、

出発があと少し遅ければ、

などと思いつつ

 

前を走る車

テールランプがにじむ

 

自宅間近、

父の葬儀に使った建物前、

国道から側道へ右折すれば、

辺り一面、真っ白

 

普段なら、緩やかな上り下り坂、

ヘッドライトが、雪に照り返す

駅前通りからキャンパス抜けて、

無事到着

 

翌朝、12月18日(土)、百箇日当日・・・

・・・晴れ時々小雪

 

道路の積雪も溶け、通行に影響なし

 

わざわざ雪の最中に来たのが、

私らしいと云えば、私らしく

 

さておき、予報に反し、

天候にも恵まれた百箇日法要

 

・・・

 

会食が終わり、

思うところ多々抱え、

実家を後にした

 

ちなみに、

一周忌は、令和4年9月17日となる

 

一夜明け・・・

・・・12月19日(日)晴

 

散歩まえに

 

つづく


浄土真宗入門 真宗大谷派(東本願寺)編

2021-11-05 | 家族のこと

同じ日、娘は、文化祭、

演劇部にて、舞台に立っておりました・・・

 

さて、過日、令和3年文化の日は、

父の四十九日法要、

いわゆる満中陰(まんちゅういん)

 

晴天にも恵まれ、おかげで無事、

終えることができました

 

念仏のあとの住職のお話、

今回は、大要、以下の通り

 

「死に逝くのは誰しも同じ

 死なない者はいない

 それよりも大事なのは、生まれたこと

 

 父がいて、母がいたから自分がいる

 父にも母にも、父がいて母がいた

 十世代遡れば、その数、1,024人

 その人達がいたから、自分がいる

 その人達いなかったら、自分はいない

 

 それを思えば、

 生まれてきたことのありがたさ、

 生まれてきたことのすばらしさ、

 あらためて、感じことができるもの」

 

心にしみるお話でした

 

ちなみに、浄土真宗では、

「臨終即往生」として、

阿弥陀様に帰依すれば、

生前の行いに関係なく、

誰もが臨終後、すぐに極楽浄土へ迎えられ、

成仏できると説かれてます

 

「南無阿弥陀仏」とは、

阿弥陀仏に帰依(南無)すること

 

念仏を唱えるのも、仏になるためではなく、

仏になれたことへの感謝を表します

 

依って、葬儀をはじめ法要というのは、

故人の冥福を祈るというより、故人によって、

仏縁、人とのつながりを授かる機会ができた

と捉えます

 

このあたり、今回のお話にも、

よく顕れてると感じました

 

では、これを機に、

浄土真宗とは、どういう宗教か、

地域や菩提寺によって、多少の差異はあるものの、

以下、作法等について、項目毎、

簡単に述べてみます

 

先にも記しましたが、葬儀の際、

亡くなった人は、すでに成仏しているため、

引導や授戒の儀式がありませんし、納棺の際も、

旅支度のような死装束を着せることもありません。

 

「冥福」や「供養」などの言葉も、

浄土真宗の考えにはそぐいません

 

葬儀の後、出棺・火葬・収骨を行いますが、

清めの塩を撒くこともありません

 

また、浄土真宗には、

「肉を食べてはいけない」

「妻帯してはいけない」

といった戒律もなく、ただひたすら、

阿弥陀如来を信じることが求めら、

「信心」という感情自体

阿弥陀如来から授かったものだと考えます

 

初七日は、会場に御本尊を安置し、

法要の後、「お斎(おとき)」

と呼ばれる会食があります

(その後、四十九日までの間、

 毎夜、決まった時間に親族等集まり、

 読経しておりました)

 

四十九日、他の多くの宗派では、

仮位牌を本位牌に換えるのが通例ながら、

浄土真宗の場合、位牌は用意しません。

 

戒名と云わず、法名と云います

 

香典に関して、浄土真宗では、

霊になるという考えはないため、

四十九日前であっても

「御霊前」ではなく「御仏前」

または「御香典」と書きます

 

線香は、

浄土真宗では寝線香と云い、

香炉の大きさに合わせ、

1本の線香を2つや3つに折り、

横に寝かせて供えます

 

数珠は、浄土真宗本願寺派、真宗大谷派等、

派によって持ち方が異なります

このあたり、後ほど

 

焼香については、

焼香をつまんだ後、額におしいだかず、

そのまま香炉にくべます

浄土真宗本願寺派では1回、

真宗大谷派では2回行います

 

続いて、歴史的経過を

 

浄土真宗は、

親鸞聖人が確立した宗派で、

「他力本願」を教えとしています

元仁元年(1224年)、

浄土真宗の根本聖典となる「教行信証」が執筆されたとし、

この年が立教開宗の年とされました

 

親鸞は1173年に生まれ、9歳で得度した後、

20年にわたって比叡山で修業を続けましたが、

次第に比叡山での修行にも行き詰まり、

絶望感から下山することを選びます

 

その後、浄土宗の宗祖である法然を訪ねた際、

法然の教えに感銘を受け、生涯にわたって

「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」

を受け継ぐことになりました

 

親鸞が35歳の時、

当時の政権に圧力をかけられ越後国へ流刑

「承元の法難(じょうげんのほうなん)」

として歴史に残る弾圧事件です

しかし親鸞は、政権の弾圧にもめげず、

1262年に亡くなるまで

法然の教えを伝えることに生涯を捧げました

 

続いて、浄土真宗が現在に至り

真宗大谷派と、

浄土真宗本願寺派に別れた理由について

 

時は、1570年から1580年まで遡ります

織田信長と石山本願寺との争い

いわゆる石山本願寺一揆、

石山合戦に関して、

信長との和睦と徹底抗戦で意見が対立

 

その後、豊臣秀吉の時代に

京都にて本願寺を建立するも、

先の対立が跡継ぎ問題と絡み、

徳川時代になって、浄土真宗本願寺派(西)と

真宗大谷派(東)に分裂しました

 

現在の真宗大谷派は、

京都にある東本願寺が本山です

 

分裂と云うと、イメージよくはありませんが、

互いに切磋琢磨となると捉えればいいのかと、

個人的には思います

 

念仏も

真宗大谷派では「なむあみだぶつ」と読みますが、

本願寺派では「なもあみだぶつ」と読むらしい

 

幼いころから、親戚筋の法要の際、

「おひがしさん」との言い回しのもと、

東に慣れ親しんできましたが、

時折、西の葬儀等で耳にするお経も、

節まわしが違ったりして、

かなり違和感あったりします

 

数珠のかけ方も、これまた違ってて、

本願寺派では、房が下に来るようにして

親指で上を軽く押さえるのに対して、

真宗大谷派では、房の部分を上にして持ち、

房は左手側に垂らします

 

焼香のあげ方もこれまた、

派によって異なるらしく、東は、

焼香は2回つまんで、

額にはおしいただかずに供えます

 

仏壇について

真宗大谷派では、主に金仏壇を使用します

これは蓮如上人が信仰を深めることを説いた際

金仏壇を使用したことに端を発するようです

ちなみに、うちの実家も金箔、

親戚筋も、皆金ぴかです

 

最後に、主な寺院と現況

親鸞の死後、弟子たちが遺骨を葬り、

影像を安置したお廟を建てました

そしてひ孫にあたる覺如(かくにょ)が、

ここに阿弥陀仏を安置し「本願寺」と名付けます

 

これが現在真宗大谷派の総本山

東本願寺(真宗本廟)です

 

御影堂には、親鸞の御真影があり、

阿弥陀堂には、

ご本尊の阿弥陀如来が安置されているとのこと

また、東本願寺を拠点とし、

全国には別院が建てられ全国に52院、

海外にも3院あるようです

 

以上、長くなりましたが、

自分の家の宗教を知らないのもおかしいと思い、

今回、まとめたところです

 

長くなりましたが、という訳で、

父の法要を通じて、自分自身はもとより、

家族とのことも見直すことができました

 

・・・帰宅後、ビデオ鑑賞

 

おかげで元気になりました

ダンスから演劇、ジャンルは変われど、

親の贔屓目ながら、やはり、娘は、舞台がよく似合う

 

父がいて母がいて、この世に生を受け、

大病患うも、幸いにして乗り切り

妻と知り合ったから、娘に恵まれて

これを機に、あらためて今、

生きてることに感謝します


令和3年「文化の日」

2021-11-02 | 家族のこと

その日は、娘の文化祭と重なり・・・

 

さて、父の告別式以降、

おまいりもあることから、

今までになく、頻繁に帰省しては、

遺品整理などもしております

 

派手な人ではなかったものの、

衣類始め、持ち物各種、

次から次、色々出てくるものです

 

それらを見つつ、

人生、何が必要で何が不要か、

ひいては、人間の存在とは

 

などなど、私自身、あらためて、

考える機会ともなってます

 

そのような中、

家屋を取り巻く水回り関係の

不具合見つかり、

大がかりな工事も始まりました

 

葬儀に続き、これまた、出費が重なり、

遺産相続どころか、利を得る話など皆無

 

おかげさま、うちには、

遺族のもめごとも、ありません

 

その点、代々続く家柄

土地に田んぼに山林持ち、

会社経営、店舗経営などなど

資産家は大変だろうと、

少々妬みつつ笑

 

・・・という訳で

明日、11/3は、父の四十九日

 

お墓ないの、どうするか等、

今後の課題はおいといて、

これにて、一区切りの感ありき、

実家には、一人向かいます

 

季節の変わり目、コロナ禍終息、

どなた様も、よき日々を


喪に服す

2021-10-20 | 家族のこと

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

 

「南無」とは、

帰依すること・・・

 

さて、祭壇に置かれた剃刀の意味

 

父の葬儀の際、

業者の方に尋ねたところ

「守り刀として」

「出家への剃髪に」

とのこと

 

刀、剃髪、

逝く人、残された人、

互いの未練を断ち切り、

新たな世界に向かう

そんな意味合いもあるのかと思う

 

・・・父の死を機に断髪

あれから、一か月、

季節は変わり、

長かった髪も、

今では、過去のこと


死ぬということ

2021-10-09 | 家族のこと

介護が必要となってたかもしれないし、

となれば、母の負担も増したであろう・・・

 

告別式の後、初七日のこと

 

僧侶曰く、

死は、自身が決めること

死に方は、その人の象徴

 

いずれにしても、

死に際しては、

意志の範疇を越えているとは思うが、

それを聞いた時、家族としても、

救われた気がしないでもなかった

 

翻って、父入院時、医師曰く、

回復度合いは、直りたいという

本人の意思によるところが大きい

 

今となって、

これら、総体的に捉えたら、

父は、やはり、自らの意思にて、

人生の幕を閉じたのかも知れない

とも思いつつ

 

私自身、あらためて、

死について考える機会となり、

死を考えるということは、

即ち、生を考えることともなり

 

・・・父の死を忍ぶ


9/17(金)父逝く

2021-10-05 | 家族のこと

未だ実感乏しく・・・

 

残業して帰宅途中、母より電話

父容態悪く、すぐ来るよう病院から連絡入ったとのこと

私が向かうには、かなりの時間を要す、

母には、近くに住む叔父に送ってもらうよう伝えた

 

その後、弟へ連絡、

勤務中であったが、直ぐに向かうとのこと

 

自宅とは逆方向の上、雨の渋滞、

いつも以上に時間が掛かるが、

不思議と苛立ちはなかった様に思う

 

色んなことが頭をよぎる

冷静なのか否か、自分でもよくわからないまま

ハンドルを握った

 

ようやく、高速前に差し掛かった辺りにて、

叔父より、電話が入る

 

今しがた、父が息を引き取ったとの報告

 

間に合わなかったが、

母が看取れたことが、せめてもの救い

 

弟は、その少し後、到着したらしい

 

私が到着したのを見計らい、

医師の死亡診断となった

 

他に父を看取れたのは、叔父夫妻、

弟から連絡を受け駆け付けた弟の妻と次男

 

しばらくして、

弟の長男が、滞在先の滋賀より到着した

 

父の顔に触れたが、まだ暖かい

 

父の死を目の当たりにし、

病院へ向かう運転中以上に、

筆舌しがたい気分に覆われた

 

悲しむ余裕はなく

涙は出ない

 

つづく


9/13 父病状

2021-09-13 | 家族のこと

午前3時、枕元に置いた携帯が鳴る・・・

 

病院へ向かう道中、

色んなことが頭をよぎる

 

高速道路がやけに長く感じた

 

私が到着すると、母と弟夫婦が、

主治医の説明を受けている

 

意識は、回復したらしい

 

医師の説明はつづく

 

今後のこととして、延命措置、

家族の意向を確認しておきたい

 

弟は、できうる限り、との意向を伝えたが、

母は、苦しむようなことは、

止めて欲しいと述べた

 

聞けば、心肺が停止したのち、

一旦、管を入れると、

抜き去ることは、法的にできないらしい

 

説明が終わり、

父との面会は、二人づつ

コロナ禍にて、わずかな時間のみ

 

まず、母と私

 

機器の音、酸素マスク越し、

父が話す言葉が、聞き取りづらい

「心配せんでいい」

僅かに聞き取れた

その後、弟夫婦と交代した

 

その後、病院を後にし、

帰宅、少し休んだ後、

いつも通り、仕事に向かった

 

コロナ禍でなければ、

母は、そのまま

付き添いもできたであろう

 

コロナ禍でなければ、

常に、励ますこともできて、

このような事態には

ならなかったかも知れない

 

心境は複雑

 

当初の入院が、

通院の負担軽減が目的であったのが、

なおさら

 

・・・2021(R3)9.13(月)のこと


父 経過報告

2021-09-10 | 家族のこと

泌尿器を患い入院中、背骨、複雑骨折、

なぜ、そのような事態となったのか・・・

 

過日、転院、

脊柱の専門医が受け持つこととなる

 

家族への説明は、(火)の夕刻

その日、仕事を早引し、

病院にて母、弟と合流

 

医師によると、

10番が複雑骨折、オペは、全身麻酔にて、

8番、9番、11番、12番に

それぞれ、ボルトを入れる

回復まで、3か月を要する

歩けるようになるか否かは、リハビリ、

本人次第とのこと

 

不安は募る

 

翌(水)、オペ当日、母と私が立ち合い

13時、オペ室へ、

終了したのは、15時半過ぎ

当初の説明通り、無事終了

 

オペ室から、病棟へ移動の際、同行

到着後は、処置室へ

 

廊下で待つこと、約30分、

面会は、コロナ禍により、わずか5分

 

麻酔が残り、意識は、もうろう。

酸素マスク、苦しそうな表情、

痛々しい

 

父のことは、もちろんのこと、

心配する母のことも、気がかり

 

・・・入院したばかりに、

このような事態になろうとは、

家族の心境は、複雑ながら、

今は、父の回復を祈るばかり

 

つづく


第25回京都府高等学校演劇連盟中部支部大会

2021-08-12 | 家族のこと

第25回 京都府高等学校演劇連盟 

中部支部大会

◎第25回中部支部演劇コンクール

(兼第34回

京都府高等学校演劇大会予選)

於京都府立文化芸術会館ホール

(コロナ禍にて観覧不可)

《プログラム》

【8月11日(水)】

開会式13:10〜


13:20〜 

上演1 京都府立朱雀高等学校
「凡ちゃん」(生徒・顧問創作)

14:35〜 

上演2 京都市立塔南高等学校
「アルストロメリア」(生徒創作)

15:50〜 

上演3 洛星高等学校
「少女と老女のポルカ」(既成)

【8月12日(木)】
10:25〜 

上演4 京都府立鴨沂高等学校
「夕日に沈む」(生徒創作)

11:40〜 

上演5 京都府立桂高等学校
「きっと明日は素直になれる。」

(生徒創作)

13:20〜 

上演6 京都産業大学附属高等学校
「散りゆく蕾」(既成)

14:35〜 

上演7 京都府立北稜高等学校

「となりの小夜子さん」(生徒創作)

【8月13日(金)】
10:25〜 

上演8 京都市立堀川高等学校

「かげろう」(生徒創作)

11:40〜 

上演9 京都市立西京高等学校
「俺たちに明日はある」(生徒創作)

13:20〜 

上演10 同志社高等学校
「くにのばか」(生徒創作)

14:35〜 

上演11 京都府立清明高等学校 
「レイメイ〜free your mind〜」

(生徒創作)

15:50〜 

上演12 京都府立西乙訓高等学校
「デジタルファミリー」(既成)


*このコンクールで選ばれた上位2校が 

11月3日(水・祝)の

「第34回京都府高等学校演劇大会」に

中部支部代表として出場

・・・以上、

京都府高等学校演劇連盟ブログより