いつもは、24号線を下る帰り路、
今日は、何となく、油小路を通りますと、
ピンクの桜がとても綺麗に咲いている。
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さて、先日のこと、病院の待合で、ふと、テレビを観たら、
お掃除好きの芸能人が取りざたされておりました。
“お掃除を通じて、心の掃除、或いは、懺悔にもなっているのでしょう”云々
専門化が分析して、内面に関わるところをあれこれ述べられるのですが、
興味深かったのは、
「脳に於ける善悪の判断と、美的判断の領域は同じ」、というお話。
深層心理学者の河合隼雄さんも、生前、
「正しいか正しくないか」の判断を迷った時は、「美しいか美しくないか」
を考えるといい、と言うようなことを述べられていたので、
そのこととも、ぴったりつながったところです。
実際、善悪なんてのは、
司法にしたって、宗教にしても、それぞれ自己都合のごじつけが多いし、
極端に言えば、商業的利益が正義ともなり、
本質的な判断がしがたいことも少なくありません。
また、勝ち負けについても同じことが言える訳で、
そもそも、生物学的には、弱いものを蹴落として、
強い種族が生き残っている訳ですから、
勝ったことが、イコール正しいとも言えなくもなく、
そんなことを取り出すと、ますます話はややこしい。
けれども、先のテレビの専門家、河合先生の話を踏まえ、
あらためて、考えてみますと、
悪事と称するものには、確かに、醜いことが多いもの。
美的感覚というのは、やはり、大事かと思えます。
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今日の桜は、ほんと綺麗に見えました。
昔は、桜を見たところで、美しいと思うどころか、
むしろ、世の中が、綺麗だと騒ぐこと自体、ある種、虫唾が走るかのような
嫌悪感を持ってた私。
ひねくれもいいところ・・・。
この歳になって、素直に桜が綺麗だなと思えるようになったのも、
ある意味、多少は、ものの分別も、つくようになった顕れではないかと、
勝手な解釈をしてる今日この頃です。
桜のシーズン、花見も良し、一人眺めるもよし、
どなた様も、ご機嫌麗しく。