ノグチサトキ

名もなきギタリストの物語

善悪と美的感覚

2016-03-30 | 日々徒然

いつもは、24号線を下る帰り路、

今日は、何となく、油小路を通りますと、

ピンクの桜がとても綺麗に咲いている。

・・・

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さて、先日のこと、病院の待合で、ふと、テレビを観たら、

お掃除好きの芸能人が取りざたされておりました。

 

“お掃除を通じて、心の掃除、或いは、懺悔にもなっているのでしょう”云々

 

専門化が分析して、内面に関わるところをあれこれ述べられるのですが、

興味深かったのは、

「脳に於ける善悪の判断と、美的判断の領域は同じ」、というお話。

 

深層心理学者の河合隼雄さんも、生前、

「正しいか正しくないか」の判断を迷った時は、「美しいか美しくないか」

を考えるといい、と言うようなことを述べられていたので、

そのこととも、ぴったりつながったところです。

 

実際、善悪なんてのは、

司法にしたって、宗教にしても、それぞれ自己都合のごじつけが多いし、

極端に言えば、商業的利益が正義ともなり、

本質的な判断がしがたいことも少なくありません。

 

また、勝ち負けについても同じことが言える訳で、

そもそも、生物学的には、弱いものを蹴落として、

強い種族が生き残っている訳ですから、

勝ったことが、イコール正しいとも言えなくもなく、

そんなことを取り出すと、ますます話はややこしい。

 

けれども、先のテレビの専門家、河合先生の話を踏まえ、

あらためて、考えてみますと、

悪事と称するものには、確かに、醜いことが多いもの。

 

美的感覚というのは、やはり、大事かと思えます。

・・・

・・・ 

今日の桜は、ほんと綺麗に見えました。

 

昔は、桜を見たところで、美しいと思うどころか、

むしろ、世の中が、綺麗だと騒ぐこと自体、ある種、虫唾が走るかのような

嫌悪感を持ってた私。

 

ひねくれもいいところ・・・。

 

この歳になって、素直に桜が綺麗だなと思えるようになったのも、

ある意味、多少は、ものの分別も、つくようになった顕れではないかと、

勝手な解釈をしてる今日この頃です。

 

桜のシーズン、花見も良し、一人眺めるもよし、

どなた様も、ご機嫌麗しく。



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