登山と言えば、かなりの山道を歩くスポーツ的な行動ぐらいとしか思っていなかった私である。それが三浦千鶴子さんの 『山恋記』 を読んで、登山の奥深さを知らされることになり愕然としている。
もちろん、三浦んの文章のお蔭でそこに誘われたのである。
その文章は淡々として、主婦でもある女性により日記を綴るように書かれていると私は思うのだけれど、読後なにかしんみりとしたものが残るという経験は捨てがたく、それをまたどのように表現したものだろうかと悩むのも愉しい。
一介の老人としての私がその読書体験からその世界を語るには、あまりにも貧弱な筆力である。それでもその魅力を誰かに伝えたいという気持ちを抑え切れない。
著者略歴によれば、三浦さんは1930年のお生まれである。私より4年も早い。
1967年ごろ立川市のけやき台団地に住むようになり、10年後山登りを始めたとあるから三浦さんはこの時47歳である。
このK団地に住みついてから十年になる私は、奥多摩の山々をいつもベランダから眺めていた。晴れた日の明るい藍色。雲が多いと少し陰った藍になり、雨の日はその藍色が、灰色の膜をかぶって隠れてしまう。いつ見ても倦(あ)きない山の表情だった。一人娘が中学生になると、私は早速同好会に参加した。初めのうちは、夫や娘も一緒についてきたが、次第に行くのを渋るようになり、近頃はほとんど私一人が出かけるようになっていたのである。
けやき台の登山同好会会員になり登山家として出発した三浦さんは、その30年ほど前に、同人誌 『文学地帯』 に加入していられるので、その経歴から、登山経験とその文学的結果のお蔭で、私は三浦さんに大いに影響されることになったわけである。
その文章は淡々として、主婦でもある女性により日記を綴るように書かれていると私は思うのだけれど、読後なにかしんみりとしたものが残るという経験は捨てがたく、それをまたどのように表現したものだろうかと悩むのも愉しい。
一介の老人としての私がその読書体験からその世界を語るには、あまりにも貧弱な筆力である。それでもその魅力を誰かに伝えたいという気持ちを抑え切れない。
著者略歴によれば、三浦さんは1930年のお生まれである。私より4年も早い。
1967年ごろ立川市のけやき台団地に住むようになり、10年後山登りを始めたとあるから三浦さんはこの時47歳である。
このK団地に住みついてから十年になる私は、奥多摩の山々をいつもベランダから眺めていた。晴れた日の明るい藍色。雲が多いと少し陰った藍になり、雨の日はその藍色が、灰色の膜をかぶって隠れてしまう。いつ見ても倦(あ)きない山の表情だった。一人娘が中学生になると、私は早速同好会に参加した。初めのうちは、夫や娘も一緒についてきたが、次第に行くのを渋るようになり、近頃はほとんど私一人が出かけるようになっていたのである。
けやき台の登山同好会会員になり登山家として出発した三浦さんは、その30年ほど前に、同人誌 『文学地帯』 に加入していられるので、その経歴から、登山経験とその文学的結果のお蔭で、私は三浦さんに大いに影響されることになったわけである。