朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

赦そうと心に決めていて下さったのですね。あの方は、私たちを。

2013-02-19 23:28:42 | 聖書から
神のことば:

わたしは、

とこしえに

責めるものでは

ない。



永遠に

怒りを燃やすものでも

ない。

イザヤ書57:16






イエスは

中風の人を

見て、



「子よ、

あなたの罪は

赦された」



言われた。

ルカ5:20




(ローズンゲン日々の聖句2/20;水)






赦したいと思って下さっているのですね。

私たちを。

あの方は。




独り子に

私たちが受けるはずの

罰を

全部

背負わせてでも。




私たちは、

永遠に

罪を責められ、

怒られても、

申し開きの出来ない者だったのに、



あの方は、

なお、

惜しんで下さったのですね。




御子である方が

十字架に架かって、

私たちの罪の

罰を



全部

受け取って下さり、





聖なる霊と呼ばれる方を

お迎えした

今は、



このままで、

誰にはばかることなく、

「天の父よ」



あの方の前に

出ていいのだそうですよ。



今日。








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熱心だったのですけれどね。それがかえって反抗につながった。

2013-02-19 12:03:12 | 聖書から
身分の低い者から

高い者に至るまで、

皆、

利をむさぼり、



預言者から

祭司に至るまで

皆、

欺く。



彼らは、

わが民の破滅を

手軽に治療して、



平和がないのに

「平和、平和」と

言う。

エレミヤ書6:13~14






私たちは、

主の前だけではなく、

人の前でも

公明正大にふるまうように

心がけています。

Ⅱコリント8:21
     



 (ローズンゲン日々の聖句2/19;火)






あの方の前に

私たちの判断を

先立てて、



あの方に

相談しないで、



私たちの

信仰や経験、知識を先立てて行くところ、



宗教行事は盛んになっても

あの方の御思いとは

大きくかけ離れてしまうこともあるようですね。





どんなに

信仰に熱心であっても、



私の内から出るものは、

私の信仰を立派にしていこうとする思いばかりですしね。





あの方の御思いが実現することを

求める

思いは、



新しい霊によって

はじめて

起こされるものなのでしょうか。






また、

あの方は、

私たちの行動で

人をつまずかせることのないように配慮するよう、

願っておられるようですね。





神様の前に正しければいいと、

人に対しての配慮を忘れて、

そのために

一人でも

滅びることがないようにと。



今日も。








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