朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

憐れみと赦しをもって接してくださる方に 

2022-09-05 22:17:14 | 聖書から
憐れみと赦しは私たちの神、
主にあります。ダニエル書9:9



徴税人や罪人が、話しを聞こうとして
イエスに近寄って来た。ルカ15:1



 マルコ3:1~10(11、12)

 歴代誌下3:1~17(通読箇所)

   (ローズンゲン『日々の聖句』9/6;火)



     ―――― ☆ ――――



 私たちにあるのは、顔をおおう恥、
神の信頼への裏切りですが、それでもなお、
聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
その私たちにあわれみと赦しをもって
接してくださる方なのですね。





それで、イエスの許には、
その当時のユダや社会では律法を守らない者として
軽蔑され、つまはじきされていた
ローマ帝国のために税金を取り立てる徴税(取税)人たち、
罪人と呼ばれる人たちがやって来て、
イエスの話しを喜んで聞いていたのだそうです。

また、病人たちや悪霊に憑(つ)かれた人たちが
連れて来られて。





 ある安息日に、イエスは会堂に入られました。
すると、そこに片手の萎(な)えた人がいしまた。
人々は、イエスがこの人を安息日に治すかどうか、
じっと見ていた。
イエスを、
(安息日を破って仕事をしたとして)訴えるためであった。



イエスは、片手の萎(な)えたその人に言われた。
「真ん中に立ちなさい。」


それから彼らに言われた。
「安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか、
それとも悪を行うことですか。
いのちを救うことですか。それとも殺すことですか。」



彼らは黙っていた。
イエスは怒って彼らを見回し、
その頑(かたく)なさを嘆き悲しみながら、
その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。
彼が手を伸ばすと、手は元どおりになった。

パリサイ人たちは出て行ってすぐに、
ヘロデ党の者たちと一緒になって、
どうやってイエスを殺そうかと相談し始めた。



それから、イエスは弟子たちとともに
湖(ガリラヤ湖)の向こうに行かれた。
すると、
ガリラヤから出て来た非常に大勢の人々がついて来た。
また、ユダヤから、エルサレムから、イドマヤから、
ヨルダンの川向うや、ツロ、シドンのあたりから、
非常に大勢の人々が、
イエスが行っておられることを聞いて、みもとにやって来た。



イエスは、群衆が押し寄せて来ないように、
ご自分のために小舟を用意しておくよう、
弟子たちに言われた。
イエスが多くの人を癒されたので、
病気に悩む人たちがみな、イエスにさわろうとして、
みもとに押し寄せて来たのである。


汚(けが)れた霊どもは、
イエスを見るたびに御前にひれ伏して、
「あなたは神の子です」と叫んだ。
イエスはご自分のことを知らせないよう、
彼らを厳しく戒められた。(マルコ3:1~12)





このように、神、【主】が、
ご自身と思いを一つにして生きる者をと
願われた(創世記1:26)創造の目的から「的外れ」になり、
「神の一人のようになり、神と対立、対抗して
自分の理性の判断によって
善悪を決定する者」となっている、私たち、一人ひとりに
あわれみと赦しをもって接してくださり、
特に、人々からのけ者にされ、
社会から疎外されている者や病人に
心を向けていてくださる方なのですね。



私たちも、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の御思いと
思いを一つにして生きる生き方を。

今日も。



    ~~~~~~~~~~~~~~~


(聖書のことばへの疑問やご意見
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)





〈クリスチャンの結婚相談所
 Lita marriage service 〉



〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉



〈(株)ブレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)



〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ



[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]



[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ

主は、私の助け

2022-09-05 07:39:45 | 聖書から
母親が
自分の乳飲み子を忘れるだろうか。
自分の胎内の子を
憐れまずにいられようか。
母親たちが忘れても、
わたしはあなたを忘れない。イザヤ書49:15



だから、私たちは
はばからずにこう言うことができます。
「主は私の助け。
私は恐れない。」ヘブル書13:6



 マタイ9:27~34

 歴代誌下1:18~2:17(通読箇所)

   (ローズンゲン『日々の聖句』9/5;月)



     ―――― ☆ ――――



 私たちは神から見捨てられたように感じる時があります。
しかし、聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は言われます。
「母親が自分の乳飲み子を忘れ、
自分の胎の実を憐れまないようなことがあったとしても、
わたしはあなたを忘れない」と。



あなたがたに対するわたしの愛は、人間の愛の中で最も強いと言われている母親の愛よりも強い、と。



それで私たちは言うことができます。
「主は私の助け手、私は恐れない」と。
私たちは、イエス・キリストにあって、はばかることなく、
神を「お父さん」と呼べる身分を
与えていただいているのですから。

そして、私たちが頼るイエスは、
権威と力をもった方なのですから。



 イエスが、
もう、死んでしまった会堂司の小さな娘を生き返らせたあと、
そこから進んで行くと、
目の見えない二人の人が、
「ダビデの子よ、私たちをあわれんでください」と
叫びながらついて来た。


イエスが家に入られると、その人たちがみもとに来た。
イエスが、
「わたしにそれができると信じるのか」と言われると、
彼らは「はい。主よ」と言った。



そこでイエスは彼らの目にさわって、
「あなたがたの信じるとおりになれ」と言われた。
すると、彼らの目が開いた。


イエスは彼らに厳しく命じて、
「だれにも知られないように気をつけなさい」と言われた。
しかし、彼らは出て行って、その地方全体に
イエスのことを言い広めた。



その人たちが出て行くと、見よ、人々はイエスのもとに、
悪霊に憑かれて口のきけない人を連れて来た。
悪霊が追い出されると、
口のきけない人がものを言うようになった。
群衆は驚いて、「こんなことはイスラエルで、
いまだかって起こったことがない」と言った。



しかし、パリサイ人たちは、
「彼は悪霊どものかしらによって
悪霊どもを追い出しているのだ」と言った。(マタイ9:27~34)





 このパリサイ人たちのように、
神からのプレゼントを拒否する者ではなく、
この二人の盲人のように、
信頼して、受け取っていきたいですね。
 「主は私の助け。私は恐れない」と告白して。

今日も。



    ~~~~~~~~~~~~~~~


(聖書のことばへの疑問やご意見
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定



〈クリスチャンの結婚相談所
 Lita marriage service 〉



〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉



〈(株)ブレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ



[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]



[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ