朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

祝福をいただけるのだそうです。約束の子として

2014-04-25 23:46:43 | 聖書から
主は

イサクに言われた。

「地上の諸国民は

すべて、

あなたの子孫によって

祝福を得る。」

創世記26:4







兄弟たち、

あなたがたは、

イサクの場合のように、

約束の子です。

ガラテヤ書4:28





(ローズンゲン日々の聖句4/26;土)







あの方とアブラハムとの契約が

息子イサクに受け継がれ、



さらに

ヤコブにと受け継がれ、



ダビデに、

ソロモンに



そして

イエスにまで至るのだそうです。





このイエスによって

諸国民のすべてが

祝福をいただくことができるのだそうです。





イエスによる福音

(喜ばしい、素晴らしいニュース)を

伝える者は、



この祝福を届けていることに

なるのでしょうね。





そして、

この喜ばしい、素晴らしいニュースを

受け入れた人は、



約束の通りに

「子としての身分を与える霊」と

呼ばれる方を

お迎えし、



あの方の

約束の子としていただき、



多くの人に

あの方の祝福を

届けて、



人々を

幸せにするために

用いていただけるのだそうですね。



今日も。



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復活するのですね。私たちも。霊のからだに

2014-04-24 23:54:05 | 聖書から
神は

私の罪を

贖い、



陰府の手から

取り上げてくださる。

詩篇49:16







イエスが

死んで

復活されたと、

私たちは信じています。



神は

同じように、

イエスを信じて

眠りについた人たちをも、

イエスと一緒に

導き出してくださいます。

Ⅰテサロニケ4:14
 



 (ローズンゲン日々の聖句4/25;金)







復活するのですね。

私たちも。



復活したイエスと

同じ

「霊のからだ」に。





それは、

イエスが

私たちを迎えるため、

もう一度、

来られる時に

実現するのだそうです。





まず、最初に、

イエスによる救いをいただいて

死んだ人々が

復活し、



そして、次に、

その時まで

生きている私たちは、

このからだを

一瞬にして、

霊のからだに変えられて、



天に引き上げられ、

いつまでも

主と一緒に居るようになるのだそうですね。





だから、

今の労苦が

無駄になることはないのだそうです。





あの方と

一つにされていくのだそうですから。

全ての面で。



今日も。



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「聖である霊」と呼ばれる方によって生きていたのでしょうね。ペトロは

2014-04-23 23:46:55 | 聖書から
良くても悪くても、

我々は

あなたを遣わして語られる

我々の神である

主の御声に

聞き従います。

エレミヤ書42:6







ペトロへのイエスの言葉:

あなたは、

若いときは、

自分で帯を締めて、

行きたいところへ

行っていた。



しかし、

年を取ると、

両手を延ばして、

他の人に帯を締められ、

行きたくないところへ

連れて行かれる。

ヨハネ21:18
 



 (ローズンゲン日々の聖句4/24;木)

...





自分の理性、

自分の判断を

最善とし、



これを実現しようとする者なのですね。

「善悪を知る者」となった

私たちは。




「良くても悪くても、

聞き従います」と言った人々も、

自分たちの思っていることと違う、

「この地に留まれ」との言葉が来たとき、

手のひらを返したように、

その言葉を退けて、

自分の思っていた通りに

エジプトへ下って行ったのだそうです。




自分の

「生まれた時からの霊」から来る思いに

従って行くなら、

そうなのですが、



自分の「生まれた時からの霊」は、

イエスの十字架刑で、

イエスと一緒に

処刑されたもの、

死んでしまったものと

認めて、



新しく

「聖である霊」と呼ばれる方を

お迎えし、



この方が

心に置いて下さる

あの方の御思いを

我が思いとして、



この思いに従って生きるようになっていた

ペトロは、



イエスが仰ったとおりの死に方、

「年をとったとき、

両手を延ばし、

他の人に帯を締められ、

行きたくないところへ

連れて行かれる」との

言葉のとおりに、



ローマで、

十字架刑に架けられて

処刑されるという死に方を

死んだのだそうです。





「良くても、悪くても、

御声に聞き従う」者

となっていたのですね。

ペトロは。




私たちも、

「聖である霊」と呼ばれる方が

置いて下さる、

あの方の御思いを

我が思いとして、

ついて行きたいものですね。





今日も。



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愛して下さっているのだそうですね。私たちを。あの方のほうで

2014-04-22 22:46:03 | 聖書から
あなたは

心を尽くし、

魂を尽くし、

力を尽くして、



あなたの神、

主を

愛しなさい。

申命記6:5










私たちが

愛するのは、



神が

まず

私たちを

愛してくださったからです。

Ⅰヨハネ4:19





    (ローズンゲン日々の聖句4/23;水)







あの方が、

まず、

私たちを

心を尽くし、

魂を尽くし、

力を尽くして

愛して下さったのですね。





あの方は、

私たちの身代わりにするために、

まず、

独り子である方を

人間として生まれさせ、



この方が

33歳になったころ、



私たちの背きの罪の全部を

この方の上に置いて、

十字架刑で処刑し、



私たちの罪を

処刑済みの者として下さって、



もう一人の方、

聖である霊と呼ばれる方が

来ても、

私たちが

滅びないですむようにして下さったのだそうです。




ついで、

もう一人の方、

妬むほどに愛しておられる方を

私たちの内に派遣して、



この方を受け入れた私たちの心に、

この方によって、

ご自身の思いを書きつけられて、

私たちと

心を一つにする、

愛し合う関係を

構築して下さるのだそうです。





それほどまでに、

私たちを愛し、

求め続けて下さって、



一つになろう、

愛し合う家族になろう。





そして、

心の思いの全てを

明かし合い、

共有し合って生きていこうと

言って下さっているのだそうですね。



今日も。










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新しい霊によって、私たちの口の言葉も変わって来るのだそうですね

2014-04-21 21:33:58 | 聖書から
主よ、

私の口に

見張りを置き、



唇の戸を

守ってください。

詩篇141:3





主のしもべたる者は

争わず、



すべての人に

柔和に接し、



教えることができ、



よく忍ばなければ

なりません。

Ⅱテモテ2:24
    



(ローズンゲン日々の聖句4/22;火)





心にある思いが

言葉として

口から出て来るのだそうです。





だから、

口から出てくる言葉を変えようと思えば、

心を変えればいいのだそうです。





そして、

心の思いは、

内側の霊から来るのだそうです。



それで、

内側の霊を取り換えれば、

心の思いが変わり、

口から出てくる言葉が

変わってくるのだそうですね。






あの方は、

私たちが

あの方と一つ思いになるために、

私たちの内側の霊を

取り換えようとされているのだそうですね。




それで、まず、

私たちの内側で

私たちの心に思いを与えている霊

(生まれた時からの霊)を

死んだ者としようとされているのだそうです。




そのために、

御子である方を、

人間イエスとして私たち人間の世界に派遣され、



この方を、

私たちの身代わりに、

十字架刑で処刑して、



私たちの内の「生まれた時からの霊」を

死んでしまったものと

みなされたのだそうです。




そのうえで、

この方を

死者の中から復活させ、

ご自分の右の座に戻したのだそうです。




そして、今度は、

イエスに代わって、

もう一人の方、

「聖である霊」と呼ばれる方を

私たちの内に派遣し、



この方によって、

内側から、

私たちの心に、

ご自身の思いが来るようにされたのだそうです。





そして、

これを受け取って欲しいと願って、

私たちの前に

差し出しておられるのだそうですね。




それで、今は、

私たちが

この提案を承諾し、

受け入れるなら、



私たちは、

「聖である霊」と呼ばれる方によって、

あの方の御思いを

心に思う者になるのだそうです。



争わず、柔和に接し、親切に教え、忍んで待つ、寛容な心は、

あの方の心なのですね。



それで、

私たちが、

「聖である霊」と呼ばれる方によって、

あの方と思いを一つにしていただくとき、



その思いが

私たちの口の言葉として

出て来るようになるのだそうですね。



今日も。










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