朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

うなだれ、うちしおれて歩くとき、あの方が私たちの救い主

2014-07-25 23:42:15 | 聖書から
私の神よ。



私の魂は

うなだれて、

あなたを

思い起こす。

詩編42:7
 





イエスの言葉:

わたしのもとに来る人を、

わたしは

決して

追い出さない。

ヨハネ6:37
    



(ローズンゲン日々の聖句7/26;土)







弱さの中で、

あの方が、

共にいて下さることが

見えなくて、



人が

「お前の神はどこにいるのか」と

言う時、



私たちは

うなだれてしまいますが、



イエスは

私たちを

捨てたり、追い出したりされることは

ないのですね。



イエスを呼び求めるなら、

イエスは

天の御座から、

聖である霊と呼ばれる、

もう一人の助け主を

派遣して下さって、



その方が、

どんな場所でも、

いつまでも

私たちと共にいるように

して下さるのだそうです。




この方によって、

あの方のしようと思っていらっしゃることの中に

踏み出していくことになるのだそうです。



正義と公正

愛と憐れみの

御業の中に。



今日も。





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最も小さい者を大事にする思いが来るのだそうですね。

2014-07-24 23:31:44 | 聖書から
死に捕えられている人を

救い出さず、



殺されそうになっている人を

助けず、



「できなかったのだ」などと

言っても、

心を調べる方は

見抜いておられる。

箴言24:11〜12
 





イエスの言葉:

はっきり言っておく。

この

最も小さな者の一人に

しなかったのは、



わたしにしてくれなかったこと

なのである。

マタイ25:45





(ローズンゲン日々の聖句7/25;金)






捕えられ、殺されようとしている者を

救い出し、



虐殺されようとしている貧困者を

助け出して欲しいのだそうです。

あの方。




もし、

知らなかった、

できなかったと

言い訳をしても、



あの方は、

私たちの心を

見抜いておられるのだそうです。





確かに、

私という生まれた時からの霊から来る思いは、

りっぱな服装をした人には、

「あなたは、

こちらの良い席にお坐りなさい」と

言い、



貧しい人には、

「あなたは、

そこで立っていなさい。

でなければ、

私の足もとに座りなさい」

(ヤコブ2:2~3)

という思いが

あるのですね。



上辺だけは

公平そうに振舞えても、



あの方は

心を

調べる方

なのだそうですから。




それで、

あの方は、

私たちの心を

一新しようされ、



そのために

私たちの霊を入れ替えるよう

準備され、



ついに、

そのご計画の時が来て、

それを

実行されたのだそうです。




永遠の初めから

共におられた

御子である方を、

人間イエスとして

人間の世に生れさせ、



およそ33歳の頃、

この方を十字架刑で処刑することで、

私たち、

すべての人間の刑罰は

終ったものとし、



「生まれた時からの霊」と呼ばれる

私たち自身を

死んだもの、

処刑された者として、



私たちの死亡手続きを

完了して下さっているのだそうです。




墓に葬らせ、

3日目に死人のうちからよみがらせ、

40日に渡って

何度も弟子たちに

ご自身を示させて、



確かに復活したことを見せたうえで、

弟子たちの見ている前で

天に帰らせ、



天の御自身の右の位に

就かせられた

あの方は、



今度は、

その御子である方を通して、

もう一人の方、

「聖である霊」と呼ばれる方を

私たちのうちに派遣されて、



この方によって、

ご自身の思いを

私たちの心に置くように

して下さるのだそうです。

(エゼキエル36:27)




それで、

私たちの心にも、

弱い者、貧しい者を思いやる、

あの方の思いが

来るようになるのだそうです。




「生れた時からの霊」という私は

死んだものと認め、計算し、



その新しい思いに

ついて行って欲しいのだそうです。



羊が

自分の羊飼いの声を聞き分けて、

自分の羊飼いについて行くように。



今日も。





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来て、そして、見なさい!

2014-07-23 23:36:57 | 聖書から
強情になっては
ならない。

主に服従し、
主の聖所に
来なさい。
歴代誌下30:8



 フィリポが
「モーセが律法に記し預言者らも書いた
ナザレの人、
ヨセフの子イエスに

出会った」と
言うと、

ナタナエルは
「ナザレから何か良いものが出るか」と
言ったので、

彼は、
「来て、見なさい」と
言った。
ヨハネ1:45~46
    

(ローズンゲン日々の聖句7/24;木)



強情、
それは
自分の判断を最善なものとし、
他の言うことを聞かない心。


あの方がよく、
うなじの強い民と嘆いておられる
あの強情な心なのでしょうね。


これは、
善悪を知る者となった、
自分の理性を過信している者の
特徴でもあるのでしょうか。


「ナザレからは、
何の良いものも出ない」との
言い伝えられた先入観念。

それを
打ち壊すものは
あの方の側でなされる事実。

その事実を、
「来て、
そして
見なさい」と
言うのですね。

イエスも、
わたしを信じられなければ、
父がわたしのうちにおられて、
わたしをとおして為される、
その業によって
信じなさいと
言っておられるのですね。


聖書が啓示している神が、
生きて、
今日、働いておられる
本当の神であること、
言葉での説明では、
頭で考えても
分からなければ、

その業を、
その事実を、
「来て、
そして、
見なさい」と
言うのですね。

今日も。





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出会うのですね、あの方に。苦難や悲しみをとおして

2014-07-21 23:34:07 | 聖書から
苦難の襲うとき、

私は

主を求めます。



夜、

私の手は

疲れも知らず

差し出され、



私の魂は

慰めを

受け入れません。

詩編77:3
 





悲しむ人々は、

幸いである。



その人たちは

慰められる。

マタイ5:4
    (ローズンゲン日々の聖句7/2;月)







苦難の日に

手を差し延ばす相手は

誰。



受け止め、

慰めてくれるのは。



悲しみを

そのままに

あの方の前に注ぎだすとき、





あの方は

親しく聞いて、

お声をかけて下さるのですね。

優しく。




自分の、

悲しむべき実態に気がついたとき、

自分で自分を

悲しむべき状態ではなくする必要はないのだそうです。



むしろ、

悲しみを

悲しいままに、

あの方の前に差し出すことを

あの方は喜ばれるのだそうです。


差し延ばすあなたの手を、

あの方は

しっかり握って下さるのだそうですから。



今日も。
(昨日、火曜日の分を載せてしまいました。)



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土の器でいいのですね。中に入っている宝が素晴らしければ

2014-07-20 22:47:18 | 聖書から
主は

私たちを、

どのように造るべきかを

知っておられた。



私たちが

塵にすぎないことを、

御心に留めておられる。

詩編103:14
 





私たちは、

このような宝を

土の器に

納めています。



この

並はずれて偉大な力が

神のものであって、



私たちから

出たものでないことが

明らかになるために。

Ⅱコリント4:7
   

 (ローズンゲン日々の聖句7/22;火)






あの方は、

私たち人間を

御思いのとおりに

造られたのだそうです.

(創世記2:7)



どのように造るのか、

思い描かれたとおりに。





ですから、

私たちのからだが

地の塵にすぎないことを

知っておられ、



心に留めていて下さるのだそうです。





それで、

私たちのことを

いつまでも怒っておられることはせず、

私たちの咎にしたがって

私たちに報いることもなさらないのだそうです。



父が

その子を憐れむように、

私たちを

憐れんで下さっているのだそうですね。







土の器の中に

宝物を納めるように、



あの方は、

私たちのからだ、

地の塵から造られた私たちのからだの

うちに、

聖である霊とか、

主の御霊とか呼ばれている方を

派遣して、

住まわせなさるのだそうです。



そして、

その方によって、

ご自身の思いを

私たちの心に置き、

私たちを御自身と思いを一つにする者に

して下さるのだそうですね。





御子である方が、

御父と

完全に

思いを一つにし、



その御思いだけを為して行かれたように

(ヨハネ5:19、30、8:28)、

なのだそうです。





御子である方が持っておられた

あの方との一つという関係と

同じ、

一つの関係にまで変えていってくださるのだそうですね。



御霊と呼ばれる方の働きによって。



今日も。





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