朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

なんの功績もない者を、力と知恵と義と聖と贖いで包み

2015-11-25 23:00:17 | 聖書から
主はご自分の民の裁きを行い、

 僕らを力づけられる。詩編135:14




神によってあなたがたは

 キリスト・イエスに結ばれ、

このキリストは、私たちにとって神の知恵となり、

 義と聖と贖(あがな)いとなられたのです。Ⅰコリント1:30




       (ローズンゲン日々の聖句11/26;木)




 ご自分の民から、一人一人、そのして来た行いに応じて、

えこひいきなく、正しく、公平に裁かれるのだそうです。

「われわれのかたちとして、われわれに似せ」(創世記1:26)られた生活を、

どれだけして来たかが量られるのですね。




 しかし、天の神、主は、

「彼らはみな、離れて行き、誰もかれも腐り果てている。

善を行う者はいない。ひとりもいない」(詩編14:3)ことをよくご存じで、

私たち一人一人を憐れみ、御自身の側で救いの道を用意してくださったのだそうです。




 「独り子である神」、「御子である神」と呼ばれる方を、人間イエスとして人の世に生れさせ、

この方がおよそ33歳の頃、この方を、私たち人間の身代わりとし、

私たち人類の罪のすべてをこの方の上に置いて、この方を十字架刑で処刑し、

罪人、神に呪われた者として天と地との間に高く掲げられたのだそうです。




 それで、望む者は、このイエスに合わせられた者とし、

私たち自身である「生まれたときからの霊」を十字架刑で処刑された者との

手続きを済ませてくださるのだそうです。




 そのうえで、新たに、一人一人に、もう一人の方、

「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださって、

この方の働きによって、「父である神」と呼ばれる方、

御子であるイエス・キリストが私たち一人一人に思っていてくださる御思いを

私たち、それぞれの心の思いに置いてくださって、同じ思いを思う者にし、

キリスト・イエスの知恵を我が知恵とし、

イエスの義と聖と贖いを、私の義、私の聖、私の贖いとしてくださるのだそうです。




 望む者は誰でも、憐れみをいただき、力を受け、

言葉においても、イエスが話されるとおりの、

いつも親切で、塩味のきいたことばを話すようにしていただけるのだそうですね。

今日も。


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感謝の献げものを。この方に

2015-11-25 08:55:27 | 聖書から
収穫物の初物をささげて主を敬え。箴言3:9




イエスが話したとえ話の中で、金持ちが言った言葉。

「さあ、これから先、

 何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。

  ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ。」

しかし神は彼に

 「愚かな者よ」と言われた。ルカ12:19  




     (ローズンゲン日々の聖句11/25;水)




 天の神、主は、私たち人間を造ろうとされたとき、

まず、天と地を創造し、

光を造って、光と闇を分け、

大空の上の水と大空の下の水とを分け、

大空の下の水の境界を定めて、陸地と海とを分け、

地に、種類にしたがって植物を生じさせ、

昼には太陽が、夜には月と星が地上を照らすようにさせ、

水の中に生き物を、地の上、空を飛ぶ鳥を種類にしたがって創造し、

地が、種類にしたがって生き物、家畜、はうもの、野の獣、を生じるようにさせ、

人間が暮らすのに、何一つ不自由のない環境を造った上で、

「さあ、人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」と

おっしゃられたのだそうです(創世記1章)。




 また、母親の胎の中で私たち一人一人を組み立てたのは、「わたしだ」とおっしゃるのだそうです(詩編139:16)。




 私たち人間は、自分が生きていくために、自分で創造したものは何一つなく、全部、天の神、主が用意していて下さるものを利用しているだけ、のようですね。




 それで、私たちが、そのことを認め、「全部、あなたが用意してくださったものです」と、感謝の表れとして、財産とすべての収穫の初物を献げるのは、人間として正しい在り方なのだそうです。




 天の神、主は、倉を豊かに満たされ、酒ぶねは新しいぶどう酒で溢れさせてくださるのだそうです(箴言3:10)。




 しかし、この方を認めない者は、自分の力だけで生きているかのように思い、自分の力で将来のための全部を用意しなければならないと考えます。

それで、貪欲に、自分のものを確保しなければ、と奔走することになります。




 イエスは、「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」と言われて、この、豊作で作物がたくさんできて、倉を建て替え、作物をたくさんしまい込んで、安心している農夫の話しをされ、その考え方は愚かだとおっしゃられたのだそうです。

「おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。

そうしたら、おまえの用意した物は、いったいだれのものになるのか。

自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」と。




 そして、「何はともあれ、あなたがたは、神の国(支配、働きの現れ)を求めなさい。そうすれば、これらの物(食べる物、着る物)は、それに加えて与えられます」と仰られたのだそうです(ルカ12:13~31)。




 私たちの罪を背負って十字架刑で処刑されてくださり、復活し、天の父である神の右の座に着かれているイエスが派遣してくださる、「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、「天の父」と呼ばれる方の、私たち一人一人に思っていてくださる御思い、ご計画の中を生きて、その結果を、「あなたの働きの現れです」と感謝していきたいですね。

今日も。


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悪い者から救ってください

2015-11-24 05:36:16 | 聖書から
だれもかれも背き去った。
 皆ともに、汚れている。
  善を行う者はいない。ひとりもいない。詩編14:3

悪い者から私たちを救ってください。マタイ6:13
...

      (ローズンゲン日々の聖句11/24;火)

 心の中で「神はいない」と言っている人、
天の神、主は、そのような人は愚かだと言われるのだそうです。

主は、天から人の子らを見おろして、
神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。
彼らはみな、離れて行き、
だれもかれも腐り果てている。
善を行う人はいない。ひとりもいない。」(詩篇14:1~3)

 天の神、主と、思いを一つにし、心を一つにしていく者と望まれて造られながら、その生き方を嫌い、

神のひとりのようになり、自分一人で善悪を判断し、決めていくものになろうとした者の子孫である私たち。
「神はいない。自分は自分で生きている」と豪語するのですね。

「悪い者」、外からの悪いもの、悪の力があり、それから守ってくださいということもあるのでしょうが、

自分のうちの、自分自身、「生まれたときからの霊」と呼ばれる自分自身が「悪い者」、

創造の目的から的はずれになってしまった悪い者なのでしょうね。

 「生まれたときからの霊」は、イエスの十字架刑の処刑に合わせていただいて「死んだもの」とされていますが、
絡まりつき、まとわりついて、死んでいない、それが本当の自分であるかのように思わせて、

その死んでいる自分を改善し、立派にし、信仰深くしなければいけないかのよう思い込ませるのですね。

 この「悪い者」から救ってください。
はっきりと、「生まれたときからの霊」という私は死んでいるものと認めて、

「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、

この方に働いていただいて、

「父である方」の御思いを心に書き付けていただき、

その思いに導かれて生きていく生き方が始まっているのだそうですから(ガラテヤ5:24~25)。
今日も。


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平和を実現する者に。自分自身の内にも、周りにも

2015-11-23 08:44:59 | 聖書から
忍耐は力の強さにまさる。
 自制の力は町を占領するにまさる。箴言16:32

平和を実現する人々は、幸いである。
 その人たちは神の子と呼ばれる。マタイ5:98
...
      (ローズンゲン日々の聖句11/23;月)

 怒りを抑え、忍耐する者は勇士にまさり、自分の心を治め、

自制する者は町を攻め取る者にまさるのだそうです。

 私たち、天の神、主と思いを一つにしていくことを止め、自分を「神の一人のようになり、善悪を知る者になっている」(創世記3:22)者の子孫として、自分の判断が一番正しいとし、自分の思いのままに生きたい性質を受け継いでいますから、自分の心を治めることは難しいのでしょうね。

 主の兄弟ヤコブは、「舌は火であり、不義の世界です。舌を制御することはだれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。」ヤコブ3:2~8)と書き残していますが、自分の心を自分で制御することは難しいようです。

 天の神、主は、そのことをよくご存じで、ことばの出どころである心の思い、その出どころである「生まれたときからの霊」と呼ばれる私自身を、イエスの十字架刑での処刑に合わせて、死んだものと手続きしてくださったのだそうです。
 そのうえで、これを受け入れる人の内に、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださって、この方の働きによって、御自身の思いを、受け入れる者一人一人の心に置いてくださるのだそうです。

 それで、これを受け入れる者は、「生まれたときからの霊」という私自身から出て来る思いを「死んでしまっている者から出て来た思い」として、横に眺めながら、「聖である霊」と呼ばれる方から来る思いのほうを、自分の思いとし、この思いについて行く生き方をする者となり、日々、刻々に、「心の一新」(ロマ12:2)をいただいていく者としていただけるのだそうです。

 そのような生き方を受け取る者に対して、イエスは、「わたしの行うわざを行い、それよりもさらに大きなわざを行う」(ヨハネ14:12)とおっしゃるのですね。
平和を実現するわざを。

天の神、主との関係に平和が来、自分自身の心の内に平和が来、周りに平和が来るのだそうです。
今日も。


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本国へ帰れるのだそうですね。その日には

2015-11-21 23:05:38 | 聖書から
腰に帯を締め、

ともし火をともしていなさい。ルカ12:35(11/22の週の聖句)




あなたは慈しみをもって贖われた民を導き、

御力をもって聖なる住まいに伴われた。出エジプト記15:13




私たちの本国は天にあります。

そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、

  私たちは待っています。フィリピ書3:20




      (ローズンゲン日々の聖句11/22;日)





本来、神なく望みなく、もろもろの約束とも関わりのないはずの私たちを、あの方は、なお、愛し、慈しみ、大切に思い、追いかけ続けてくださって、御自身の独り子である方を、人として人間の世に遣わし、この方を私たちに代わって罪人として処刑して、この方のいのちを贖い代(あがないしろ)として支払い、私たちの罪のすべてを処罰済みのものとしてくださっているのだそうです。






そのうえで、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を、受け入れる者に派遣してくださり、御自身の、私たち一人一人に関する思いを、私たち一人一人の心に書き付けてくださって、私たちを御自身と一つ思いを思う者にし、御自身の子(養子)とし、天の御国の国籍を持つ者としてくださるのだそうです。






 それで、私たちは、この世にありながら本国を天に持つ者としていただき、二度目にイエスが来られるとき、天に携え挙げられる者としていただけるのだそうです。







 その日を自分の希望とし、その日を待ち望んでいる者は、この世だけがすべてである従来の生き方とは違う、父である方、御子である方、聖である霊と呼ばれる方との交流の中で生きる生き方をするようにしていただけるのだそうですね。






日々、聖である霊と呼ばれる方をお迎えし、この方に御思いのとおりに働いていただけるのだそうです。



ちょうど、ともし火の油が灯心を通して炎となり、光となって回りを照らすように。



この新しい週も。


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