朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

幸いなのですね。この方を自分の神とする人は。

2017-01-24 22:53:49 | 聖書から
いかに幸いなことか、
主を神とする国、
主が嗣業として選ばれた民は。詩編33:12

 光の中にある聖なる者たちの相続分に、
あなたがたがあずかれるようにしてくださった
御父に感謝しなさい。コロサイ書1:12

 ルツ記1:1~8(9~15)16~19a(19b~21)
 ルカ7:1~10(通読箇所)
    (ローズンゲン日々の聖句1/25;水)

 幸いなのですね。
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方を自分の神として選ぶ、その国は。
そして、天の神、主からご自分の民として選ばれる、その民は。

 モアブ人のルツ。
イスラエルの地の飢饉を避け、モアブの地に来ていた姑のナオミが、夫のエリメレクと二人の息子に先立たれユダヤに帰ろうとするとき、
ナオミは、ふたりの息子の妻をそれぞれの実家に帰そうとしたのだそうです。

 そのときルツは姑のナオミに言ったのだそうです。
「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。
あなたの行かれるところに私も行き、あなたの住まわれる所に私も住みます。
あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」(ルツ1:16)と。

 こうして、異邦人のルツは、姑の属する民に加わり、姑が信じる神を自分の神をすることを選んだのだそうです。
そして、姑ナオミとともに、ユダヤのベツレヘムに帰ったのですね。

 そして、やがて、買い戻しの権利のある親戚のボアズと結婚。
ダビデ王の祖父、オベデを産み、異邦人でありながらイエス・キリストの系図に名を残す者となったのだそうです。


 また、イエスの時代、ローマ軍の百人隊長は、イエスを、言葉一つで、病気で死にかけているしもべをいやす権威をもつ方、キリストとし、言葉をいただいてしもべをいやしてもらったのだそうです(ルカ7:1~10)。

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方も、ご自分を自分の神と受け入れた者を、ご自分の民、ご自分の家族としてくださり、光の中にある聖なる者たちの相続分を受け継ぐ者としていてくださるのだそうです。
今日も。
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何事もみ旨のままに行われる方の御思いによって

2017-01-24 09:07:27 | 聖書から
天において、
地において、
海とすべての深淵において、
主は何事をも御旨のままに行われる。詩編135:6

 人々は驚いて、
「いったい、この方はどういう方なのだろう。
風や湖さえも従うではないか」と言った。マタイ8:27

 ロマ15:7~13
 ルカ6:43~49
    (ローズンゲン日々の聖句1/24;火)

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、
何事も、望むことを御旨のままに行われる方。
地の果てから、雲を上らせ、雨のために稲妻を造り、その倉から風邪を出される方。

 それで、イエスが、漁師も死を覚悟するようなガリラヤ湖の嵐を、神の御子の権威をもってしかりつけ、「黙れ。静まれ」と命じられると湖はたちまちおおなぎになったのだそうです。

 この方は、すべての人の望みの神。
受け入れる者を信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、
〔聖である霊」と呼ばれる方によって望みにあふれさせてくださる方(ロマ15:13)。


 木はどれでも、その実によって良い木か悪い木かわかります。
悪い実を結ぶ良い木はないし、よい実を結ぶ悪い木もないのですね。

 そのように、良い人は、その心の良い蔵から良い言葉を出しますが、
悪い人は、悪い蔵から悪い言葉を出すものなのだそうです(ルカ6:43~45)。
だから、蔵(心)が良いか悪いかで、良い言葉が出てくるか悪い言葉が出てくるかが決まってしまうようです。

 そして、心の思いは、人の内の〔霊〕から出て来るようです。
心の思いの良し悪しは、その思いがどの霊から来た思いなのかで決まるということのようです。
私たちの〔生まれた時からの霊〕は、アダムのそむきを引き継いでいて、
神と思いを一つにしていく生き方を嫌い、神に対抗し、善悪を自分一人の理性の判断で決める者になっているのだそうです。

 それで、この、〔生まれた時からの霊〕から心に来る思いは、神に対抗する思いなのだそうです。
だから、アダムの子孫である私たちが〔良い木〕になるためには、この、〔生まれた時からの霊〕を死んだものとし、天の〔父である神〕と思いを一つにしている、良い、〔新しい霊〕を迎え、この〔新しい霊〕から来る思いで心が満たされなければならないのだそうです。

 それで、私たちの〔生まれた時からの霊〕を死んだものとし、〔新しい霊〕、〔聖である霊」と呼ばれる方が私たちに来てくださるために、神の御子である方が、人間イエスとして人の世に来られたのだそうです。

 そして私たちすべての人間の身代わりとなって、十字架刑での処刑を受けてくださり、私たちの〔生まれた時からの霊〕を死んだものとし、〔聖である霊〕と呼ばれる方を私たちに派遣してくださる道を開かれたのだそうです。

 この方をお迎えし、この方が心に来させてくださる御思いによって生きていくとき、その人は良い言葉を口から出す〔良い木〕ともなり、地面を深く掘り下げ、岩盤の上にまで杭を届かせて家を建てた人のようにもならせていただけるのだそうですね(ルカ6:48~49)。
今日も。
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人の奴隷となってはいけません

2017-01-23 09:08:20 | 聖書から
あなたは6日間働き、

  7日目には仕事をやめねばならない。出エジプト記34:21




 あなたがたは、キリストによって

身代金を払って買い取られたのです。

人の奴隷となってはいけません。Ⅰコリント7:23




 使徒16:9~15

 ルカ6:36~42

    (ローズンゲン日々の聖句1/23:月)




 人の奴隷になってはいけない、のですね。

今、私たちは、自分自身である〔生まれたときからの霊〕の〔からだ〕として、〔生まれたときからの霊〕の善悪の判断のままに(創世記3:5、22)動いています。

奴隷が主人に従属するように。




 しかし、私たちをご自分の〔子〕にしようと願われる天の神、主、〔わたしはあるという者」と名乗られる方は、身代金を払って、私たちを買い取られたのだそうです。




 預言の言葉のとおりに、御子である方を人間イエスとして人の世に遣わし、この方がおよそ33歳の頃、十字架刑で処刑し、御子イエスのいのちを、私たちの贖(あがな)い、買戻しの代金として支払って。




 だから、もう、再び、〔生まれたときからの霊〕の〔からだ〕、奴隷となってはいけませんよ、と言っておられるようですね。




 普通、奴隷の主人は、奴隷の生殺与奪の権利を持っており、奴隷を家畜のようにこき使うもののようです。




 しかし、この、新しい、というか、もともとの、主人は、1週間のうち、6日間は働くけれど、7日目は仕事をしないようにと言われる方なのですね。




仕事を休んで、ご自身とゆっくり、一緒にすごそうと。

奴隷、労働力とするために買い戻されたのではなく、

〔子〕とし、家族として、




思いを同じくし、心を一つにし、一緒にいることを喜び合う関係になりたいのだそうですから。




 だから、〔父である神〕は、私たちに、ご自分の右の座、〔御子である神〕の位に帰られたイエスが派遣される〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れ、お迎えしてほしいのだそうです。




 この方によって〔父である神〕が、ひとりひとりに思っておられる御思いを私たちの心に置き、書きしるして、私たちが御自身と思いを同じくし、心を一つにして、生きていって欲しいと願っておられるのだそうです。




 古い〔生まれたときからの霊〕の〔からだ〕として、その判断によって生きるのではなく、

御子イエス・キリストの〔からだ〕、肢体として、御思いを実現するために生きて欲しいと。




 ちょうど、使徒パウロが、幻で示されて、すぐ、エーゲ海を渡りマケドニヤ、ギリシャに渡って行ったように(使徒16:9~15)。




 そして、私たちも、天の父の憐れみ深い御思いが心に来るものにしていただけるのだそうです。




 天の父が、人を罪に定めるときを先延ばしにして、ご自身で用意した赦しを受け取るよう願っておられる、その御思いが私たちの心にも来て、私たちも、罪に定めるよりも赦す心にもしていただけるのだそうです。

すぐ、人を罪に定める私たちも。




 また、〔父である神〕から豊かにいただいたものを、他の人にも分け合う心にも(ルカ6:36~38)。

今日も。


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母がその子を慰めるように

2017-01-22 08:39:07 | 聖書から
人々は、東から西から、また南から北から来て、

  神の国で宴会の席に着く。ルカ13:29(1/22の週の聖句)




 母がその子を慰めるように、

わたしはあなたたちを慰める。イザヤ書66:13




 私たちの主イエス・キリスト御自身、

ならびに、私たちを愛して、

永遠の慰めと確かな希望とを

恵みによって与えてくださる、

私たちの父である神が、

あなたがた心を励まし、また強め、

いつも善い働きをし、

善い言葉を語る者としてくださるように。Ⅱテサロニケ2:16~17




 マタイ8:5~13

 詩編3篇

    (ローズンゲン日々の聖句1/22:Ⅳ日)




 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、

私たちを、母親が、泣きじゃくるその子を慰めるように慰めてくださるのだそうです。




 その慰めを受ける者は、大きく流れる川のように繁栄を、あふれる流れのように富を与えていただくのだそうです。

そして、心喜び、その骨は若草のように生き返るのだそうです(イザヤ66:12~14)。




 キリスト(神の子、救い主)であるイエスと父である神から、

恵みとして、

永遠の慰めと確かな、すばらしい、希望をいただけるのだそうです。




 神の御子であられたイエスは、預言の言葉のとおりに、人となり、人の世に来られた方なのだそうです。




 そして、私たちに代わって、

私たちすべての人間のすべてのそむきの責任を取って十字架に架かられ、

墓に葬られて陰府にまで下り、

三日目に墓より、霊の新しいからだに復活し、

40日に渡って弟子たちに何度も現れ、神の国のことを語ったのち、

オリーブ山から弟子たちの見ている前で天の父である神の右の座、神の御子の位に帰られた方なのだそうです。




 父である神は、このイエスを通して、

もう一人の助け主である、〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださるのだそうです。




 父である神とイエスから派遣されたこの方は、受け入れる者のうちに来て、受け入れる者の心に〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを置き、書きしるしてくださるのだそうです。




 それで、受け入れる者は、心に励ましを受け、強めていただき、〔父である神〕の御思いを自分の思いとして善い働きをするようになり、〔父である神〕が語ろうとしておられる善い言葉を語るようにしていただけるのだそうです。




 今、この、〔父である神〕と〔御子イエス〕と〔聖である霊〕と呼ばれる方が心を一つにしていらっしゃる、その一つに加わって欲しいとの願いを受け取り、この〔一つ〕に加わる者が、東から西から、南から北から起こっているのだそうですね。

やがて実現する〔神の国〕での宴会に参加させていただける希望を持って。

今日も。


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平和の主、平和を与えてくださる方

2017-01-21 08:31:47 | 聖書から
主は彼に言われた。

「安心せよ。恐れるな。

あなたが死ぬことはない。」

ギデオンはそこに主のための祭壇を築き、

「平和の主」と名づけた。士師記6:23~24




 イエスの言葉:

わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。

わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。

心を騒がせるな。おびえるな。ヨハネ14:27 




申命記33:1~4(7、12~16) 

ルカ6:27~35(通読箇所)

    (ローズンゲン日々の聖句1/21;土)





 汚(けが)れた者、罪ある者が、聖なる者にふれると滅びてしまうのだそうです。

それで、直接、神の使いに出会い、話をしたギデオンは、その方が神の使いであることが分かったとき、天の神、主、に申し上げたのだそうです。

「ああ、神、主よ。私は面と向かって、天の神、主の使いを見てしまいました」と。




 けれども、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、このように、「安心せよ。あなたが死ぬことはない」と言ってくださったのだそうです。




 イエスは、明日には、自分は十字架刑での処刑を受けるという前の晩の晩餐の席で弟子たちに言われました。

「平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える」と。




 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、「平和の主」、「平和の神」なのですね。




 この方は、国々の民を愛する方。

彼らを足元に集め、御心を明かされる方。

敵から助け出し、かばい、ご自分のそばに安らかに住まわせてくださる方。

産業を祝福し、良いもので満たしてくださる方(申命記33:1~16)。







 イエスの十字架刑での処刑に合わせて、受け入れる者の〔生まれたときからの霊〕を処刑済みのもの、死んだものとしてくださる方。




 そのうえで、受け入れる者のうちに〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、この方の働きで、〔父である神〕がひとりひとりに思っておられる御思いを心に置いてくださる方(エゼキエル36:25~31)。

受け入れる者の心を一新して(ロマ12:1~2)、ご自分と思いを同じくし、心を一つにする者にしくださる方なのだそうです 。




 それで、受け入れる者は、この方と同じ心に、敵を愛し、自分を憎む者に、仕返しではなく、善を行い、自分を呪う者を祝福し、自分を侮辱する者のために執り成し祈る者にもしていただけるのだそうです。




 恩知らずの者にもあわれみ深い、いと高き方の子どもとして(ルカ6:27~35)、イエスに似た者に。

今日も。







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