朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

慈しみと誠実は出会い、義と平和が口づけする中を

2022-07-15 05:00:01 | 聖書から
神の救いは彼を畏れる者に近く、
慈しみと誠実は出会い、
義と平和が口づけする。詩篇85:10、11

私たちは
信仰(信頼)によって義とされた今、
私たちの主イエス・キリストを通して
神との間に平和を得ています。ロマ書5:1

 フィリピ書2:1~5
 ヨハネ6:1~15(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/15;金)



    ―――― ☆ ――――


 神から来る救いは、神を畏れ敬う者に近く、
この方のもとで慈しみと誠実、恵みとまことはともに出会い、
義と平和は口づけするのですね。
神との平和な関係の中で。



ご自身と一つ思いになって生きてほしいとの
神の創造の目的から「的外れ」になって
「神のひとりのようになり、
自分の理性の判断を絶対化し、
自分一人で善悪を決めていく者」となっている私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いは、
利己的で虚栄心に満ちています。

【父である神】は、
その、〔生まれたときからの私〕という霊を
イエスの十字架刑での死に合体させてくださって、
処刑されたもの、
死んだものとしていてくださるのですから。

だから、私の
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いは、
死んだ者から出て来た思いであると認めて、
イエスの御前に投げ捨てながら歩むのですね。



さらに神は、
死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
天の、ご自身の右の座に復帰されたイエスを通して、
もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方を
私たち一人ひとりにお遣わしくださって、
この方によって私たち一人ひとりの心に
ご自身の御思いを置き、書き記してくださって、
私たちのうちにご自身の御思いがあるようにしてくださり、
私たちがご自身と一つ思いになって生きていけるように
してくださるのですから。



それで私たちの心にもキリストにある励まし、
愛の慰め、
御霊、【聖である霊】と呼ばれる方との交わり、
愛情、あわれみがあるようにしていただけ、
同じ思い、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、
思いを一つにして生きるようにしていただけるのだそうです。

へりくだって、
互いに人を自分よりすぐれた者と思うようになり、
自分のことだけでなく、
ほかの人のことも顧みるようにしていただけて。


イエスのうちにある思いと同じ思いが
私のうちにあるようにしていただけて。(エペソ5:1~5) 


慈しみと誠実は出会い、
義と平和が口づけする中を。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~~


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正しくない者にも、太陽を昇らせ、雨を降らせてくださる方が

2022-07-14 10:59:08 | 聖書から
主はすべてのものに恵み深く、
その憐みは
造られたものすべての上に及ぶ。詩篇145:9

父は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも
雨を降らせてくださる。マタイ5:45

 使徒4:32~37
 ヨハネ5:41~47(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/14;木)

    ―――― ☆ ――――

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちが住んでいるこの宇宙、地球の自然環境、
そして私たち人間、それらすべてを造られた方。

それゆえに、そのすべてのものに恵み深く、
憐れみをもって接してくださっている方。



 それでイエスは言われました。
「父は、善人にも悪人にも太陽を昇らせ、
正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださる」と。

だからあなたがたも、
イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって
心に【父である神】の御思いを置いていただくとき、
その、【父】の御思いと一つ思いになって、
「あなたの隣人だけではなく、敵をも愛し、
自分を迫害する者のためにとりなすようにもなる、と。


 それで、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えし、
この方が心に置いて下さる【父である神】の御思いと
思いを一つにして生きるようになったエルサレムの人々は、
心と思いを一つにして、
だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、
すべてを共有していたのだそうです。

使徒たちは、主イエスの復活を大きな力をもって証しし、
大きな恵みが彼ら全員の上にあった。
彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。
地所や家を所有している者はみな、それを売り、
その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
その金が、必要に応じて
それぞれに分け与えられたのであった、
のだそうですから。(使徒4:32~35)



 
 正しい者にも正しくない者にも恵み深い天の神、【主】は、
正しくない生き方、
ご自身と思いを一つにして生きてほしいとの
創造の目的、(創世記1:26)から外れ、
「神の一人のようになり、善悪を知る者」になっている
私たちにも、
ご自身に立ち返って、
ご自身と思いを一つにして生きる者になってほしいと
願っていてくださるのだそうです。

ご自身の思い、
正義と公正、そして互いに互いを思い合う生き方を
受け取ってほしいと。

今日も。





     ~~~~~~~~~~~~~~~


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いのちと平安を私たちに与えるために

2022-07-09 13:20:42 | 聖書から
主が彼らに乾いた地を行かせた時も、
彼らは渇かなかった。
主は彼らのために
岩から水を流れ出させた。イザヤ書48:21

イエスは言う:
渇いている人は誰でも、
わたしのもとに来て飲みなさい。ヨハネ7:37

 ロマ書8:1~6
 ルツ記4:1~22(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/9;土)



    ―――― ☆ ――――


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
エジプトを脱出したイスラエルの人々が
水のない荒野を行くとき、
民のつぶやきに応え、岩から水を出させて
民の渇きをいやしてくださいました。

イエスは言われました。
「義に飢え渇く者、
神との正しい関係を飢え渇くように願い求めている者は
幸いです。
その人たちは満ち足りるからです」(マタイ5:6)と。

そして、渇きを覚え、イエスに求めていく者に
イエスは
「いのちの水」と言われる【聖である霊】と呼ばれる方を
お遣わしくださり、
「永遠のいのちへの水」が私たちの腹から湧き出で、
大きな川となって流れ出るように
してくださるというのですから。
だから「わたしに来て、飲め」と。


「今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは
決してありません。
なぜなら、
キリスト・イエスにあるいのちの御霊(みたま)の律法が、
罪と死の律法からあなたがたを解放したからです。

肉(生まれたときからの私)によって弱くなったため、
律法にはできなくなったことを、神はしてくださいました。

神はご自分の御子を、
罪深い肉と同じような形で、
罪のきよめのために遣(つか)わし、
肉において罪を処罰されたのです。

それは、肉に従わず
(〔生まれたときからの私〕という霊の思いに従って生きず)、
御霊に従って歩む私たちのうちに、
律法の要求が満たされるためなのです。

肉に従う者は肉に属することを考えますが、
御霊に従う者は御霊に属することを考えます。
肉の思いは死ですが、
御霊の思いはいのちと平安です」(ロマ8:1~6)と。




 ベツレヘムから飢饉を避けてモアブの野に行き、
そこに寄留したエリメレクの家族。

エリメレクは死に、
モアブの女を妻に迎えた息子たち、
マロンとキルヨンも死に、
干ばつによる飢饉が終わったベツレヘムに帰って来た
エリメレクの妻ナオミと嫁のモアブ人ルツ。

天の神、【主】は、そのルツを、
買い戻しの権利のある親戚のボアズと出会わせて、
ボアズによって
エリメレクに属するものすべてを買い戻させ、
このボアズとルツからダビデの父であるオベデを
生まれさせられました。(ルツ記1章~4章)

そして、このダビデ王の子孫であるマリアをとおして
イエスは人となられました。

モアブ人は、兄弟民族でありながら、
エジプトを脱出して40年、
いよいよこれから、約束のカナンの地に入ろうとする
イスラエルに敵対し、
これを滅ぼそうとしたので、
「モアブ人は【主】の会衆に加わってはならない」
(申命記23:3~6)とまで言われています。

【父である神】は、その異邦人、
モアブ人であるルツを、
【御子である神】が救い主として人となられる、
そのイエスの系図に加えておられるのですね。


この私たちの身代わりとなって十字架刑での死刑を受け、
墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守るなか、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエス。

【父である神】は、そのイエスを通して私たちにも、
「いのちの水」である【聖である霊】と呼ばれる方を
お遣わしくださり、
この方によって私たちの心に
ご自身の御思い置き、書き記して、
ご自身の御思いが私たちのうちにあるようにし、
私たちが、肉、
(〔生まれたときからの私〕という霊)から
出てくる思いによって生きるのではなく、

この【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】と思いを一つにしながら生きる生き方を
させてくださるのですから。

「渇いている人はだれでも、
私のもとに来て飲みなさい」と。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~~


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大いなる者、力ある者と弱い者をしてくださる方

2022-07-07 12:17:31 | 聖書から
主よ、あなたは、
あなたの御手によって
あらゆる者を大いなる者、
力ある者となさいます。歴代誌上29:12

イエスは子どもたちを抱き寄せ、
手を置いて祝福された。マルコ10:16

 マタイ16:13~19
 ルツ記2:1~23(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/7;木)



わたしは
あなたがたの業(わざ)が
結ぶ実にしたがって、あなたがたに報いる
——主の仰せ。エレミヤ書21;14
 
失望せずに善を行いましょう。
あきらめずに続ければ、
時が来て刈り取ることになります。ガラテヤ書6;9

 ガラテヤ書3;6~14
 ルツ記3:1~18(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/8;金)



    ―――― ☆ ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
幼い子どもたちを喜び、祝福してくださる方。

弱い者、貧しい者を立たせ、引き上げ、
大いなる者、力ある者となさる方。

イエスを通して私たちに来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
ご自身の御思いがどれだけ実を結んだかにしたがって
私たちに報いてくださる方。

だから、失望せずに、あきらめずに、
神の御思いについて行くようにとパウロは勧めます。


【父である神】は、この方、
【聖である霊】と呼ばれる方によって私たちに
イエスこそが生ける神の子キリストであることを
分からせてくださり、
私たちが【父である神】の御思いのとおりにつなぎ、
また、解くことをさせてくださるのですから。(マタイ16:13~19)


 【父である神】は、
神の選びの民、ユダヤ人ではない私たちをも、
神と思いを一つにし、神に信頼して生きる者として、
信頼関係によるアブラハムの子孫とするために、
イエスを
神に呪われた者として木(十字架)にかけてくださり、
私たちを律法の呪いから贖(あがな)い出し、
アブラハムへの祝福が私たちにも及ぶようにし、
約束のとおりに
私たちが【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えして、
この方によって神の御思いを心に持つ者とし、
神がしようと思われることをしていく者に
してくださるのですから。

そして、その結ぶ実にしたがって私たちに報いようと。

今日も。



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私の光、私の誉れとなっていてくださる方

2022-07-06 15:46:55 | 聖書から
あなたにとって、
主がとこしえの光となり、
あなたの神が
あなたの誉れとなる。イザヤ書60:19

私たちがイエスから聞いて、
あなたがたに伝える知らせとは、
神は光であり、
神には闇(やみ)が全くない
ということです。Ⅰヨハネ1:5

 ヨハネ5:1~16
 ルツ記1:1~22(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/6;水)



    ―――― ☆ ――――


 私たちの誉れは、神なのですね。
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)御自身が、
私たちをご自身と同じ栄光で包もうと
思っていてくださるのですから。

私たちをも、ご自身と同じに、光そのものとし、
闇が、暗いところが全くない者に
してくださるのだそうですから。



 
 イエスが、ユダヤ人の祭りがあって
エルサレムに上られたときのことです。
エルサレムには、羊の門の近くに、
ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があり、
五つの回廊がついていた。
その中には、病人、目の見えない人、足の不自由な人、
からだに麻痺のある人たちが大勢、横になっていた。

そこに、38年も病気にかかっている人がいた。
イエスは彼が横になっているのを見て、
すでに長い間そうしているのを知ると、彼に言われた。
「良くなりたいか。

」病人は答えた。
「主よ。水がかき回されるとき、
池の中に入れてくれる人がいません。
行きかけるとほかの人が先に下りて行きます。」

イエスは彼に言われた。
「起きて床(とこ)を取り上げ、歩きなさい。」
すると、すぐにその人は治って
床(とこ)を取り上げて歩き出した。

ところが、その日は安息日(土曜日、
一週間のうち仕事をしてはいけないとされる日)であった。
そこでユダヤ人たちは、その癒された人に、
「今日は安息日だ。床を取り上げることは許されていない」
と言った(床を取り上げることは仕事をしたことになると)。

しかし、その人は彼らに答えた。
「私を治してくださった方が、
『床を取り上げて歩け』と私に言われたのです。」


彼らは尋ねた。
「『床を取り上げて歩け』とあなたに言った人は
だれなのか。」

しかし、癒(いや)された人は、
それがだれであるかを知らなかった。
群衆がそこにいる間に、イエスは立ち去られたからである。

後になって、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。
「見なさい。あなたは良くなった。
もう罪を犯してはなりません。
そうでないと、
もっと悪いことがあなたに起こるかもしれない。」

その人は行って、ユダヤ人たちに、
自分を治してくれたのはイエスだと伝えた。
そのためユダヤ人たちは、イエスを迫害し始めた。
イエスが安息日に
このようなことをしておられたからである。(ヨハネ5:1~16)




 このユダヤ人の指導者たちのように
先入観と固定観念による思い違い、
神の御思いから外れた暗闇にいる私たちですが、
【父である神】は、十字架刑での死と
三日目の新しいからだへの復活、
そして、天の、【父である神】の右の座に
復帰されたイエスを通して
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちにお遣わしくださり、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置き、
書き記してくださって、
私たちの心にご自身の御思があるようにし、
私たちがご自身と思いを一つにして生きるように
してくださるのだそうです。
光の中を歩む者へと。

イエスと同じように、
私たちが、自分の思いを行うのではなく、
【父である神】の御思いを行っていく者へと。

【父である神】の御思いのとおりに、
38年も病に閉じ込められていた人を解放し癒(いや)した
イエスのように。

今日も。



   ~~~~~~~~~~~~~~~



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