朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

喜びの源泉であるこの方が

2023-08-12 09:51:37 | 聖書から
私の心は
主にあって喜びます。サムエル記上2:1



あなたがたの名が
天に書き記されていることを
喜びなさい。ルカ10:20



 ルカ12:42~48
 マタイ10:5~15(通読箇所)
    (ローズンゲン『日々の聖句』8/12;土)



   ―――― α&ω ――――



 サムエルを与えられたハンナがうたったように、
聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、素晴らしいお方。



この方と一緒にいるだけで、
そのお心に覚えていただいているだけで、
私たちの心は喜びがあふれるのですね。



イエスが言われるように、
この方に名前を憶えていただいていることは
大きな喜びなのですね。



私たちは、イエスによって、この方の名をもって呼ばれ、
この方の家族、国民としていただけるのですから。





 イエスは、私たちがいつもイエスと一緒にいるようにと、
(Ⅰテサロニケ4:17)
私たちを迎えるために、また来ると言われました。

(ヨハネ14:1~3)



 そして言われました。
「では、主人によって、
その家の召し使いたちの上に任命され、
食事時には彼らに決められた分を与える、
忠実で賢い管理人とは、いったいだれでしょうか。
主人が帰って来たときに、
そのようにしているのを見てもらえるしもべは幸いです。
まことに、あなたがたに言います。
主人はその人に自分の全財産を任せるようになります。



もし、そのしもべが心の中で、
『主人の帰りは遅くなる』と思い、
男女の召し使いたちを打ちたたき、
食べたり飲んだり、酒に酔ったりし始めるなら、
そのしもべの主人は、
予期していない日、思いがけない時に帰って来て、
彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ報いを与えます。



主人の思いを知りながら用意もせず、
その思いどおりに働きもしなかったしもべは、
むちでひどく打たれます。



しかし、主人の思いを知らずにいて、
むち打たれるに値することをしたしもべは、
少ししか打たれません。
多く与えられた者はみな、多くを求められ、
多くを任された者は、
さらに多くを要求されます。」(ルカ12:42~48)





 マタイによるイエスの記事は続きます。

イエスはこの12人を遣わす際、彼らにこう命じられた。
「異邦人の道に行ってはいけません。
また、サマリア人の町に入ってはいけません。
むしろ、イスラエルの家の
失われた羊たちのところに行きなさい。


行って、「天の御国は近づいた」と宣べ伝えなさい。
病人を癒し、死人を生き返らせ、
ツァラアト冒された者をきよめ、
悪霊どもを追い出しなさい。


あなたがたはただで受けたのですから、
ただで与えなさい。
同巻きに銀貨も銅貨も入れて行ってはいけません。
袋も二枚目の下着も履き物も持たずに、旅に出なさい。
働く者が食べ物を得るのは当然だからです。


どの町や村に入っても、
そこでだれがふさわしい人かを良く調べ、
そこを立ち去るまで、その人のところにとどまりなさい。
その家に入るときには、平安の挨拶をしなさい。
その家がそれにふさわしければ、
あなたがたの祈る平安がその家に来るようにし、
ふさわしくなければ、その平安が
あなたがたのところに返って来るようにしなさい。



だれかがあなたがたを受け入れず、
あなたがたのことばに耳を傾けないなら、
その家や町を出るときに足のちりを払い落しなさい。
まことに、あなたがたに言います。
さばきの日には、ソドムとゴモラの地のほうが、
その町よりもさばきに耐えやすいのです。」(マタイ10:5~15)





 イエスご在世のときは、このようだったのですね。
しかし、十字架刑を受けられる前の晩の、晩餐の席で
イエスは言われました。
「わたしがあなたがたを、
財布も袋も履き物も持たせずに遣わしたとき、
何か足りない物がありましたか。」

彼ら(12弟子たち)は、
「いいえ、何もありませんでした」と答えた。

すると言われた。
「しかし今は、財布のあるものは財布を持ち、
同じように袋も持ちなさい。
剣のない者は上着を売って剣を買いなさい。


あなたがたに言いますが、
『彼は不法な者たちとともに数えられた』
と書かれていること、
それがわたしに必ず実現します。
私に関わることは実現するのです。」(ルカ22:35~37)





 また、
イエスが受けられるべき十字架刑での処刑が完了し、
死んで墓に納められたイエスが、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語った後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰された今、



また、そのイエスを通して
【聖である霊】と呼ばれる方が受け入れる者に来られ、
【父である神】の御思いを受け入れる者の心に置き、
受け入れる者が
【父である神】と思いを一つにしながら生きるという、
新しい契約(エレミヤ31:31~34、
エゼキエル11:19~20、36:25~28、ヨハネ17::21~23)
が発効している今は、
「全世界に出て行き、
すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)
と命じられているのですね。





 私たちも、イエスを通して来てくださっている
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】と思いが通じ合える喜びを、
もっともっと経験していく一日を。
イエスが迎えに来てくださるその日まで。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 


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光は、闇の中に輝くのですから

2023-08-11 09:40:24 | 聖書から
神は闇にあるものを知り、
光が御もとに宿ります。ダニエル書2:22

光は闇の中で輝いている。ヨハネ1:5



 エレミヤ書1:11~19

 マタイ9:35~10:4(通読箇所)

    (ローズンゲン『日々の聖句』8/11;金・祝)



   ―――― α&ω ――――



 聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
闇の中にあるものも知っておられ、
光を宿されている方。
それで、この方のおられるところ、光が輝くのですね。





 この方、天の神、【主】は、
エレミヤを預言者として立てて言われました。



「エレミヤ、あなたは何を見ているのか。」
私(エレミヤ)は言った。
「アーモンドの枝を見ています。」
すると【主】は私に言われた。
「あなたの見たとおりだ。
わたしは、わたしのことばを実現しようと見張っている。」
(アーモンドは1~2月ころに白い花を咲かせる。
他に先立って咲くので、「見張り」の象徴的意味を持つ。)



 再び【主】のことばが私にあった。
「あなたは何を見ているのか。」
私は言った。
「煮え立つ釜を見ています。
それは北からこちらに傾いています。」



すると【主】は私に言われた。
「わざわいが北から、この地の全住民の上に降りかかる。
今わたしは、北のすべての王国の民に呼びかけている。
——【主】のことば——
彼らはやって来て、
エルサレムの門の入り口で、
周囲のすべての城壁とユダのすべての町に向かい
それぞれ王座を設ける。


わたしは、この地の全住民の悪に対して
ことごとくさばきを下す。
彼らがわたしを捨てて、ほかの神々に犠牲を供え、
自分の手で造った物を拝んだからだ。



さあ、あなたは腰に帯を締めて立ち上がり、
わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。
彼らの顔におびえるな。
さもないと、
わたしがあなたを彼らの顔の前でおびえさせる。



見よ、わたしは今日、あなたを全地に対して、
ユダの王たちを、首長たち、祭司たち、民衆に対して
要塞の町、鉄の柱、青銅の城壁とする。
彼らはあなたと戦っても、あなたに勝てない。
わたしがあなたとともにいて
、——【主】のことば——
またあなたを救い出すからだ。」





 マタイのイエスについての記事は続きます。

それからイエスは、
すべての町や村を巡って、会堂で教え、
御国の福音を宣べ伝え、
あらゆる病気あらゆるわずらいを癒された。


また、群衆を見て深くあわれまれた。
彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、
弱り果てて倒れていたからである。



そこでイエスは弟子たちに言われた。
「収穫は多いが、働き手が少ない。
だから、収穫の主に、
ご自身の収穫のために働き手を送ってくださるよう、
祈りなさい。」



 イエスは12弟子を呼んで、
汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。
霊どもを追い出し、
あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒すためであった。



12使徒の名は次のとおりである。
まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、
ゼベタイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、
アルパヨの子ヤコブとタダイ、
熱心党員のシモンとイエスを裏切ったユダである。(マタイ9:35~10:4)





 天の神、【主】は、
私たちの心の闇の中にしまい込んでいる思いも
全部見ておられ、知っておられる方なのですね。



神の民をなっているエルサレムの住民、ユダの住民が
ご自身をないがしろにして、
自分の好む他の神々を拝み、仕えていることも。



それで、神、【主】は、エルサレムとユダの人々が
このまま「的外れ」な生き方を続けて
滅びに至ることがないようにと、
エレミヤを御自身の預言者として立て、
エルサレムとユダの人々に警告を発し、
ご自身に立ち返ることを勧めます。



もし、立ち返ることをしないで
自分の好むままに他の神々に仕えているなら、
北のすべての王国(バビロン帝国)の民に呼びかけて
エルサレムとユダに攻めて来させ、
彼らを用いてエルサレムとユダの住民にさばきを下すと。





 イエスは、
神の国(神の統治)が来ていることを人々に知らせ、
自分の思いだけで歩んでいる人々に、
神に立ち返り、神と思いを一つにして生きる生き方、
神の統治の中での生き方に帰るよう人々に知らせました。



そして、その働き手として、弟子の中から12人を選び、
使徒として立てられたのだそうです。
汚れた霊どもを制する権威を授け、
【父である神】の御思いのとおりに、悪霊どもを追い出し、
あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒して
神の統治が到来していることを現すように、と。

闇の中に輝く光として。





 【父である神】は、
「われわれのかたちとして、
われわれの似姿に」(創世記1:26)人を造った、
その神の創造の目的から、
「神の一人のようになり、
善悪を知る者」(創世記3:22)になっている、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わったもの、死んだものとするために、
御子である神を人間イエスとして
私たち人間の世にお遣わしになりました。



イエスは、およそ33歳の頃、
その【父である神】の御思いのとおりに、
神に呪われた者として、十字架刑での死刑を受けられ、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わったもの、死んだものとしてくださいました。



そのうえで、死んで墓に納められたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語った後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に帰られました。



そしてその10日後、ペンテコステ(五旬節、
シナイ山での律法授与による古い契約締結の記念日)
の祭りの日に、
約束の【聖である霊】と呼ばれる方が弟子たちに来られて、
弟子たちが、
この方が心に置かれる【父である神】の御思いのとおりに
行動するという新しい契約を実行されたのですね。



そしてこの新しい生き方は、イエスの言葉のとおりに、
弟子たちを通して、
エルサレムから始まってユダヤとサマリヤの全土、
さらに地の果て、
東の果ての日本の私たちにまで伝えられ、
自分自身である、
「的外れ」になっている〔生まれたときからの私〕を
死んだものとしていただき、
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えして、
この方によって心に来る【父である神】と
思いを一つにして生きる新しい生き方が
始まっているのですね。



混迷がいよいよ深くなるこの世界で輝く光として。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 


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人は、天の神、【主】への信頼によって生きるのですから

2023-08-10 10:07:57 | 聖書から
見よ、頑迷な者は、
その心に安らぎを得ることがない。
正しい人は
その信仰(神への信頼)によって
生きる。ハバクク書2:4(独)



それゆえ、
あらゆる汚れや甚だしい悪を捨て去り、
植え付けられた御言葉を
謙虚に受け入れなさい。
御言葉は、あなたがたの魂を
救うことができます。ヤコブ書1:21



 Ⅰテモテ4:6~16
 マタイ9:27~34(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/10;木)



   ―――― α&ω ――――



 頑迷な者、自分の考えに自信があり、うぬぼれている者、
自分の考えに立つ者は、心が直ぐでなく、
安らぎがないのですね。



しかし、神のことばに柔軟で、信頼してついて行く人は、
正しい、あるべき場に自分を置き、
生きることができると言われています。



 イエスが受けてくださった
十字架刑での死刑に合わせていただいて、
創造の目的から「的外れ」になっている
私自身である〔生まれたときからの私〕という霊を
死刑になったもの、死んだものとしていただいた者。

そして、死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
自分が確かに生きていることを見せた後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエス。



そのイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方。



その方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いで生きるようになった者は、
あらゆる汚(けが)れ、
あふれ出て来る甚(はなは)だしい悪を
イエスの御前に投げ捨てながら、
心に来た【父である神】の御思いで生きるように
していただけるのですね。
それを素直に受け入れて。



みことば、【父である神】の御思いは、
私たちのたましいを救ってくれるのですから。





 パウロは、若い弟子テモテに書き送っています。

これらのことを兄弟たちに教えるなら、
あなたは、信仰のことばと、
自分が従って来た良い教えのことばで養われて、
キリスト・イエスの立派な奉仕者になります。

俗悪で愚にもつかない作り話を避けなさい。
むしろ、敬虔(けいけん)のために自分自身を鍛錬しなさい。
肉体の鍛錬は少しは有益ですが、
今のいのちと来るべきいのちを約束する敬虔は、
すべて有益です。



このことばは真実であり、
そのまま受け入れるに値するものです。
私たちが労苦し、苦闘しているのは、
すべての人々の救い主である生ける神に、
望みを置いているからです。



あなたはこれらのことを命じ、また教えなさい。
あなたは、年が若いからといって、
だれにも軽くみられないようにしなさい。

むしろ、ことば、態度、愛、信仰、純潔において
信者の模範となりなさい。



私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。
長老たちによる按手を受けたとき、
預言によって与えられた、
あなたのうちにある賜物を軽んじてはいけません。



これらのことに心を砕き、ひたすら励みなさい。
そうすれば、あなたの進歩は
すべての人に明らかになるでしょう。
自分自身にも、教えることにも、よく気をつけなさい。
働きをあくまでも続けなさい。
そうすれば、自分自身と、あなたの教えを聞く人たちとを、
救うことになるのです。(Ⅰテモテ4:6~16)





 マタイのイエスについての記事は続きます。

イエスがそこから進んで行くと、
目の見えない二人の人が、
「ダビデの子よ、私たちをあわれんでください」
と叫び続けながらついて来た。



イエスが家の入られると、その人たちがみもとに来た。
イエスが、
「わたしにそれができると信じるのか」と言われると、
彼らは「はい、主よ。」と言った。



そこでイエスは彼らの目にさわって、
「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。
すると、彼らの目が開(あ)いた。
イエスは彼らに厳しく命じて、
「だれにも知られないように気をつけなさい」と言われた。
しかし、彼らは出て行って、
その地方全体にイエスのことを言い広めた。



 その人たちが出て行くと、
見よ、人々はイエスのもとに、
悪霊に憑かれて口のきけない人を連れて来た。
悪霊が追い出されると、
口のきけない人がものを言うようになった。
群衆は驚いて、「こんなことはイスラエルで、
いまだかって起こったことがない」と言った。

しかし、パリサイ人たちは、
「彼は悪霊どものかしらによって
悪霊どもを追い出しているのだ」と言った。(マタイ9:27~34) 





 イザヤ書35章5、6節には、
「そのとき、目の見えない者の目は開かれ、
耳の聞こえない者の耳は開けられる。
そのとき、足の萎(な)えた者は鹿のように飛び跳ね、
口のきけない者の舌は喜び歌う。
荒野に水が流れ出し、荒地に川が流れるからだ」

とあります。



このような、イエスの、キリストとしての
すばらしいしるしとしての御業(みわざ)を見ても、
先入観、自分の聖書の知識の不足のゆえに、
イエスを拒否し反対するパリサイ人たち。
頑迷さの見本のようです。



 私たちも、自分が知っているところは、
ほんの一部分でしかないことを認めて、
柔軟な心で神の御業を受け入れていきたいですね。
イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方は、
【父である神】の御思いを
私たちの心に置いてくださるのですから。



聖書をよく読み、みことばを謙虚に受け入れ、
聖書のことばによる裏付けを得ながら。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 


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あなたを、良いもので満たしてくださる、と

2023-08-08 07:18:30 | 聖書から
わたしの民を良いもので飽かせる
——主の仰せ。エレミヤ書31:14



あなたがたは、それぞれ
賜物を授かっているのですから、
神のさまざまな恵みの
善い管理者として、
その賜物を用いて
互いに仕えなさい。Ⅰペトロ4:10



 列王記上3:16~28
 マタイ9:14~17(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/8;火)



   ―――― α&ω ――――



  「わたしの民を良いもので、
飽きるほどに満ち足らせよう。」

それが、聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が
思っておられることなのですね。



そして、良き管理者として、
それぞれが任せられているものを、
相手に対して、神が思っていらっしゃるとおりに用いて、
互いに仕え合うように、と。





 若い時のソロモン王は、神からの賜物の
良き管理者の模範の人のようでした。

あるとき、二人の遊女がソロモン王のところに来て、
裁判を願ったのだそうです。

列王記の記者はその時の様子を次のように記しています。



 そのころ、二人の遊女が王のところに来て、
その前に立った。

その一人が言った。
「わが君、お願いがございます。
実は、私とこの女とは同じ家に住んでいますが、
私はこの女と一緒に家にいるとき、子を産みました。
私が子を産んで三日たつと、この女も子を産みました。
家には私たちのほか、だれも一緒にいた者はなく、
私たち二人だけが家にいました。



ところが、夜の間に、この女の産んだ子が死にました。
この女が自分の子の上に伏したからです。
この女は夜中に起きて、
このはしためが眠っている間に、
私のそばから私の子を取って自分の懐に寝かせ、
死んだ自分の子を私の懐に寝かせました。



朝、私が子どもに乳を飲ませようとして起きると、
どうでしょう。その子は死んでいるではありませんか。
朝、その子をよく見ると、なんとまあ、
その子は私が産んだ子ではありませんでした。」



すると、もう一人の女が言った。
「いいえ、生きているのが私の子で、
死んでいるのがあなたの子です。」
女たちは王の前で言い合った。



そこで王は言った。
「一人は『生きているのが私の子で、
死んだのがあなたの子だ』と言い、
また、もう一人は
『いや、死んだのがあなたの子で、
生きているのが私の子だ』と言う。」



王が「剣をここに持って来なさい」と言ったので、
剣が王の前に差し出された。
王は言った。
「生きている子を二つに切り分け、
半分はこちらに、もう半分をそちらに与えよ。」



すると生きているこの母親は、
自分の子を哀れに思って、胸が熱くなり、
王に申し立てて言った。
「わが君、お願いです。
どうか、その生きている子をあの女にお与えください。
決してその子を殺さないでください。」



しかしもう一人の女は、
「それを私のものにも、あなたのものにもしないで、
断ち切ってください」と言った。



そこで王は宣告を下して言った。
「生きている子を初めのほうの女に与えよ。
決してその子を殺してはならない。
彼女がその子の母親である。」



全イスラエルは、王が下したさばきを聞いて、
王を恐れた。
神の知恵が彼の内にあって、
さばきをするのを見たからである。(Ⅰ列王3:16~28)





 イエスに関するマタイの記事は続きます。

それから、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、
「私たちとパリサイ人はたびたび断食をしているのに、
なぜあなたの弟子たちは断食をしないのですか」と言った。



イエスは彼らに言われた。
「花婿に付き添う友人たちは、
花婿が一緒にいる間、悲しむことができるでしょうか。
しかし、彼らから花婿が取り去られる日が来ます。
そのときには断食をします。



だれも、真新しい布切れで
古い衣に継ぎを当てたりはしません。
そんな布切れは衣を引き裂き、
破れがもっとひどくなるからです。



また、人は
新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしません。
そんなことをすれば革袋は裂け、ぶどう酒は流れ出て、
革袋もだめになります。

新しいぶどう酒は新しい革袋に入れます。
そうすれば両方とも保てます。」(マタイ9:14~17)



  

 イエスはこのように言われ、
イエスによる新しい生き方は、
今までの古い形式には収まりきれないと言われました。




私たちも、今までの考えや習慣の中に、
イエスによる新しい生き方を押し込めるのではなく、
新しい在り方を求めていくのですね。



与えられているものの善き管理者として、
【聖である霊】と呼ばれる方の導きについて行って。

善いもので飽かせると仰られる方の
お扱いのお中へと。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 


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