絆で深く結ばれた友人を欲する気持ちは今なおついえていません。胸襟を開いて私を受け入れ懐深く私に返して下さるようなパトロンもまたその例外ではありません。
このブログで私の連絡先メールアドレスを載せて以来反応は一通も御座いませんでした。
けれど片や立ち止まってもいられない現実がそこに存しております。大所帯を抱えるのです。実際には私は設立前の様々なことへのプロデュースに動かなければなりませんが、設立するや否や私はその業務から離れていち芸術家に舞い戻ります。財団法人を立ち上げ、「石川勝敏美術館」を設立するのです。
資金を集めるだけならクラウドファンディングでも募れますが、私一人身構えたところで美術館設立への難業に立ち向かえるはずもありません。ご協力頂ける多数の人材方々が必要になります。出資下さる企業がまずあらねばならないのですが、単数が良いか複数が良いかは企業人と私との関係式に拠るかと思われます。ただ、複数だと資金が分散できるというメリットは御座いますが。
大阪は都会の中心、一等地に館の大小に関わらず館を設けるには不動産企業の協力も欠かせないでしょう。館は大きくなくても構いませんが、独立した建物でなくてはならず、ビルのワンフロア間借りでははなから存在意義に疑義が生じてしまいます。
美術館の奥は完全防音のオペラアリアルームを設けることでしょう。オーケストラ付きで私が歌うのを一から撮影したものをそこで上映にかけます。美術館への入場は有料としますが、このオペラアリアルームへもその同じチケットで入れることとします。つまりお客様は絵画とオペラアリアテノールを一枚のチケットで鑑賞できるというわけです。障害者手帳をお持ちの方は全額無料としたいですね。
私はこの館へのプロデュースを終えたなら、更なる新作をこの館へ供給していきます。
私と建築家との打ち合わせもそうですが、人材はあらゆる局面で要ります。広報も要りますが、その前に館内案内や図録に寄稿して下さる学芸員や批評家の方々の腕が要ります。また、財団法人としてのスタッフが、役員以下財務を担う税理士や会計士をはじめ多くの立ち位置で要求されます。
私が死んでから私の名が世に出ても私にとっては何の価値も御座いません。私の目の黒い内に私は私への社会的地位を築いてあげたく存じます。
どうか企業人の方々、石川勝敏美術館のこの構想にご賛同頂きご出資をうけたまわれないでしょうか?ぜひぜひ宜しくお願い申し上げます。連絡は下記メールアドレスまで。詐欺や冷やかしはお断りします。
石川勝敏: fru01tsu@hi3.enjoy.ne.jp
話は変わります。私の歌いの動画です。スコアもセリフも見ず記憶だけで歌い出してからもうだいぶな時を経ています。その中でNessun dormaが11月9日午前9時前現在で再生回数1708回を叩き出しております。これは例の「あれ」に身体を侵襲され濁った声の内、あれこれ濁らず出せる声を探してようよう見つけた声で歌っております。つまり音域が狭いのですね。かてて加えるに、ラストのhigh Cが全然成っていません。おそらく最初の100回分くらいは悪徳な連中のやらせでしょう。その後は「数は数を呼ぶ」というポピュリスムの原理に則って増えていったものと思われます。オペラ歌手にとってこんな不名誉な再生回数は御座いません。
また、同じくJe crois entendre encoreもしかりで向こう側に著しく干渉されたものです。高音域をファルセットで歌うように仕向ける向こう側にではそれでやってみようかと安請合いしたのは私ですが、おかげでファルセットにはならずなにやら釈然としない声が出ているではありませんか。私は譜面持ちながらの収録分でファルセットなしに良く仕上がっているその歌曲を既にアップ済みしております。すなわち私は自由に歌うことによって佳品を生みだしていたのです。もとい。向こう側は収録中、向こう側の思惑どおりに難航している私へ幻声でもってうれしいのになじる言葉を投げかけ、更に私を泣かせました。何の感慨も感情も伴わない空涙(からなみだ)です。なにやらよくわからない干渉ですが、これでは先程と同じくオペラ歌手は忍びません。
そういう2歌曲ですが、そういう経歴を有したオペラアリアですので、残しはしても、更新する必要を今強く感じておる次第です。2歌曲とも私にとっては特別な力量の要する歌曲では本来ありません。
こうした訳で、次に収録予定だったAh mes amis quel jour de fêteはこの2曲の収録し直しのあとにやろうと考えています。私にNessun dormaとJe crois entendre encoreを連続で今一度やらせて下さい。アップ&シェアするまでお待ち下さいね。