みなさん、昭和の時代に『タケダのプラッシー』というオレンジジュースがあった事ご存知ですか?
知っている方(60代~)は、「あ~米屋さんで売っていた、あのプラッシーね」と思い出してていただけるはずです。昭和30年~50年代にかけて、特にお米屋さんを中心に販売されていた、特別な清涼飲料水(オレンジジュース)でした。
では、何故に米屋さんなのか?
①『プラッシー』の由来
開発当初の昭和20年代は非常に栄養不足であったため、オレンジ果汁入り飲料(ビタミンP)にビタミンCをプラスした【プラス(+)シー(C)】それに引っ掛けて「プラッシー」というブランドを確立しました。
②なぜ、米屋さんのプラッシーなのか?
発売元の武田食品は、発売当時は自家用車は普及していなかった為、瓶入り飲料は宅配出来る店に置くしかない。となれば酒屋・燃料店・米屋という事になる。武田食品は酒屋への流通ルートを持たないが米屋にはあった。ビタミンB1強化米『ポリライス』を卸していた事から米屋さんを中心に販売網が拡がりました。
・・・米屋さんのプラッシーの昭和の懐かしい話でした。
この看板、以前うちの店にもありました!!
【健康で楽しい家庭はごはんから】
山形県長井市【やまがた長井食彩館・須藤米店】でした。
にほんブログ村