言葉は大切で しやけど言葉を超えた物
ってのも大切で
今の世の中何から何まで(理詰め)な気が
する訳ね。 だから答えを得ようと理論
的な言葉で他人を詰める 何でか?誰かが
理論的な言葉で誰かを詰めるから 詰められ
た方も怖くて そして便利だと錯覚して 違
う誰かを理論で詰める
だから止まらなくなる いや 止まれなくなる
理論や単純な言葉をこえた部分ってのは
人間が機械じゃない(考える事の出来る生き
物である限り)超えた部分ってものは必ず存
在すると思われる訳で
誰かが(あなた...理論的に語ってますが、その
根拠は何処にありますか?)と言うと 言われた
方は(ではあなたは私を理論的に追及していますが
追求できる根拠をお示しください)
(ではお示し下さいと仰る根拠をお示しください)
ま、こんなやり取りも(ある程度)って所までで
終わらさないと 永遠に終わりは来ない訳であります。
カップルの喧嘩 夫婦喧嘩 友達の喧嘩 見知らぬ同士
の喧嘩もこんな感じやと 終わりが来ないのです。
そしてこう言うやり取りの怖い所は 人間の善の部分
じゃなくて 悪の部分が(肥大)していく所だと思う訳
(善)を求めて(理詰め)するあまりに 気がつきゃ
理詰めで相手が追いつめられる。
日常にある ほんのささいな事さえも
理詰めで他人を責め立てる 小粒で優しさのない人が多
すぎる訳。
核兵器は駄目!だと言う核兵器を持つアメリカ。
何でも理屈が正解なら アメリカに行って抗議して
みた方が(理詰め)の生き方に重みが増すのだけど
多分行かない。
でもすぐ近くの小さい事には(理詰め)をする。
これすなわち(いじめの理論)
これをヒッくるめて観てみたら 強い物や遠い物には
詰めないが 近い物には詰めると言う ネジレに
なってるのに気がつきます訳で... あれれ?
(理詰め)が正解な筈なのに... 強いと遠いと
行かない?オカシイよ... ってなる訳。
じゃなに?政治家のせい? アメリカに詰め寄れない
政治家を選んだもしくは 選ぶことさえしなかった自分
に非はない? これもおかしいね~
でもこれが考えれる生物 人間である
俺っちはそんな事どうでも良いから 詰めない。
詰めたって俺の俺の周りや この先に何がある?
無いから詰めない。詰めたってポッカリ心に穴が
開くだけだからね
そして詰めて得たものって 非常に空しい物が多か
ったりする訳
ま、ようするに 言葉を超えた(自分なりの何か)
を見つける事が大切なんだと思う
今日この頃のひと時で御座いました。