今日は 夕方お腹が空いたので レーズンパンを食べました。子供の時に喫茶店で食べたピラフに入ってたレーズンが許せませんでしたが、大人になった今、(うっまい!(◎_◎;))って思える訳であります。食べれる幸せを噛み締めています。ありがとうレーズン。 HIDEKI
何でも当てはまる。行くとこまで行けば、上手いだけの奴は人間が滅びん限りいつまでもクソの数ほど出てくる。 ま、上手いってのは必修科目ってだけの事ですな。うんうん。っで? その先は自分で動いて考えるしか無い。 って思う。ダッフンダ。
40代半ばに差し迫る俺だと 理解はしているが... 身体に優しくないと理解はしているが....
こっーーーーってコテのコッテリラーメン大盛りとチャーハンを(コレデモカ!!😡) って位に食べたい......
絶対胸焼けするやろな...
人生そんなモンと ちゃいまっか?
やっぱり描くの楽しい。うんうん これで良いのだ。
こういう時思う。
規律の良さが日本人の良い所だが、皆んな右を向いたら右を向き、左を向いたら左を向き 主体性のない所は その方個性が間違った方向に進んだ場合 規律の良さがアダとなる可能性を秘めている訳です。
何か言葉が流行ると(その真意はどこか)(自分は流されてないのか)色々と考えるまえに(考える事を放棄)してしまう。
それは(肯定)も(否定)も関係なくである。
つまり、自由社会を受け入れて その恩恵を堪能し理解して実践しているのに、実の所(自分の中の決め事)以外は(全て否定)で判断し (個々の自由)は理解しようとしない訳で、まるで対案を持たずに 与党の事を責め続ける様な事が正義と言うのに似てる
理解もせずに戦争に向かっていった国民性は 日本人の本質として 何も変わっていないと思う。苦しんだのにだ。
そうやって目の前にある事を簡単に(否定)すれば、全部消え去って解決したと思い込み 結果として (自由の恩恵)も否定して行く結果になる。ようは自分で自分の首を絞めている事が(見えてない)と言うジレンマでホコタテで矛盾が生まれる訳です。優しさもない否定と規制は最後には(何の変化もない 全てが横並び)の社会へ向かうことになる。
社会の差別は絶対に(ダメ)だけど (差)は必要である。簡単に言えば ステージに立つ者と客には差があって そこに魅力やお金を払い そして楽しめるけど、演者と客に差が無ければ 誰が見るのか払うのか...
人間は、合理的に生きてるから幸せとは限らない。
他人のアラを突いて幸せになるのか?今の日本は、100000000億層活躍では無くて、自分で自分を動けなくして行く 100000000億総クレ◯マ◯社会である。(他人を落とし入れれば自分が幸せになる)と思い込まされてる事に 気が付かない様にコントロールされてるって ちゃんと考えるべき。人間は考えれる生き物で、否定も肯定も(同じ国土に暮らす人間同士なんだ)と一度立ち止まって、優しさと厳しさを持って欲しい。