安息ってあこがれです
いびつなわたくしがゆがんだ世界から見た景色を
なんやかんや言っておりますが
これを総じて「性愛哲学」とかってに名づけました
どうもseiaiです
前回からのお話をもっといびつな目線から見ましょう
いびつな私のお話なので
耐性のない方はとばしていただいて
恋愛において期待からのギクシャクはよくある話で
場合によってはそれが自身の心を痛めているケースがこれもあります
「何故連絡くれない。。」とか「既読から返事がない。。」とか
今日こそ気まずい空気が一変して満ち足りた二人になると思ったのに。。。とか。
性愛哲学から見れば、そういう時こそ性愛が特効薬になりえます
期待への不安定さなら、期待に応える行為で押さえれば効果的。
SEXは「期待」の連鎖反応なので、
「してほしい」ことを相手がしてくれる
相手のしてほしいことが自分の興奮にもなる
一回のSEXは千の愛の言葉に匹敵すると私は考えています
ただし、です。うまくいかないと、逆効果になるもろ刃の剣。
構造は全く同じで期待を欲が上回ってしまえば
「もう少し続けてほしかったのに!」「他を触ってほしいのに!」
期待が不安を呼び、最悪は怒りやあきらめを呼び込みます。。。
それは通常版は「イク」タイミングが同時であることが高得点の試合だからです
ので、そういう意味でSMを取り入れるのをお勧めしています
まあ、大前提に特殊性癖なので合う合わないは絶対にあります。
ただ、「期待からの不安定」という問題点の解決には
SMは基本的に絶頂をむかえるのはMが先なんですね。
ターン制というか。野球みたいにイニングごと。
ので「我先に」が少ないのです。
同時に新しいことにともにチャレンジした感の共有であったり
あらためて通常のSEXの素晴らしさを再認識したり。
失敗しても「恋愛」にせいにされず、「プレイ」のせいにできます
まあ、こういうのもあるよ、というお話。
一般的な発想でないのは自覚しております
SMが万人受けするのであればこんな日陰にいてないよってことやし
「ふーん」くらいで気に留めてもらって。
幸せになるにはいろいろあるんだね、ってお話。
ではでは
無事お過ごしでしょうか
いびつな心のわたくしが
こちら側から見た世界をつたなくお伝えしておりますが
さてさて
人が「怒り」を持つのにはいろいろ
発動条件がありますが
その一つが「期待と違う怒り」
だと、とある心理学の本に書いてありました。
たしかにそうですね
「期待外れ」くらいでは「がっかり」くらいですが
「期待裏切り」くらいになると「怒り」になる
よく、炎上してはるのも、そういうことかと。
となると、先日お話しした「不倫で炎上」ってのも
きっと幸せな家庭なんだろうなあ
きっと愛にあふれているのだろうなあ
そういう期待をうらぎった芸能人、許さねえ
ということなのでしょうか。
それならば、わからなくもないです。。。
確かに、パートナーにあまり期待をしてはいけません。
期待しないほうがうまくいく、といったほうがよいでしょうか。
いびつな目線のわたくしからみれば
そもそも「期待」はあいてまかせなもので
その中でも、「期待」には2種類ありまして。
相手任せなものを楽しむ「期待」はよいのです。
そうならば、期待に添えなくても「はずれ」になる。
「今日は誕生日だから、俺の好きなガーターベルトつけてきてくれるかなぁ」
でも彼女は誕生日だから、びっくりさせようと着物にしました。
ならば、「和装かよ!!でもそれはそれで良い」となります。
それはそれでたのしめるもの。
そうでなくて、その「期待」に自身の欲がはいるとき。
「今日は実は時間がない。即挿入できるような服でくるかな、まあ来るやろ」
そうなると「着物とかなんやねん!」になり、そうすると
「せっかく頑張ってきてきたのになんやねん!」と怒りが怒りを生みます
してほしい→まあするかな→ふつうするよね→なんでしない
と欲が期待を課題にかえてしまいます
ので、しっかりとお伝えするならば
「楽しめない期待はするものではない」
欲は熟成させたほうが美味しいです
あまり連発せず、美味しくいただきましょう
ではでは