逢瀬の行方

女性たちとの遍歴を

ついに初恋相手の幼なじみと

2021-09-06 16:45:32 | 日記
その日は、全国に講義に出向く、妻の出張の日を選んだ。ただ、ヘタレのぼくのことだから、念のため、位のつもりであったが。
飲食の場所は、西荻窪の寿司屋にした。お腹一杯、大好きな魚と酒で満たせば、機嫌もよろしいという予測だった。
お逢いしても、どことなく淋しそうな彼女に見えた。




どーですか?と聞くと、眠りが浅いと言った。1人息子は仕事の関係で1人暮らしをしており、旦那からはろくすっぽ連絡も無いようだ。朝方新聞の配達が、何と31階の彼女の階まで非常階段を使うようで、その音で必ず起きてしまうと、こぼしていた。沖縄に行かないの?と聞くと、折角手にいれた、ライフワークを、みすみす手放すことは出来ないという。相槌を打ちながら、ぼくも杯を重ねた。



明らかにその日は、彼女は違った。日頃感じ始めた淋しさを、癒したいという想いが溢れている。したたか呑んで、会計をすませ、お店を出た。酔っていた彼女でしたが、腰は重いと見てとれた。駅まで約10分。ぼくは彼女の手をとって指をしっかりからめ、手を繋いだ。前回は適当な所で、人目があるよと離された指だったが、今回はしっかりと、握り返された。駅につく。言葉が出ず、アホな駄話ばかりが口をつく。
中央線の新宿方面が、すぐ来てしまった。彼女は明らかに、悲しそうな目で訴えるようにぼくを見るも、言葉が出ない。
諦めて手を離した彼女を、ぼくは電車に誘い、乗せ、ぼくは降りた。そのまま電車は、行ってしまった、こちらを見る彼女を乗せたまま。



なんてことだ。悔やみながら、高尾行きの電車にのった。しかし、戻りたい気持ちは捨てがたい。ぼくは、メッセンジャーで、「横浜にいきたい」と送った。すぐ彼女から返信が来た。
「きて!」
次の駅で、電車をおり、東京行きに乗り直した。
それを彼女に告げると、京浜東北線で、東神奈川に来て欲しい、そこからタクシーに乗って欲しい。○○の前のファミマに付いたら、メッセを下さい、と。



彼女が心配で、離れられなくなったわたし

2021-09-03 19:04:56 | 日記
二度目の会食以降、小中学校の同級生の再会を祝し、初恋の君とサシで飲める幸せと感謝を伝えながら、幾度も杯を重ねた。ぼくが彼女と逢えて嬉しいのはもちろんのこと、惚れた弱みであったが、そんなぼくに彼女が付き合ってくれる理由が、はっきりと見えてきてしまったのだった。



当時日本最大のメーカーは、管理職であった彼女が勧奨退職を希望した際、なんと退職金に55ヶ月分を上乗せし支給した。彼女の旦那も同じ会社で同時に勧奨退職に手を挙げ、同様の額を手にしたのだ。だがそこで、彼らに軋轢が生じた。彼女はライスワークからライフワークに移行するために、母校の大学院に通信制で入りニッチな研究を始めつつ芸術施設の契約職員として横浜を離れない生活を選び、旦那はお二人がかつて夢見ていたデュアルライフ実現のため、沖縄に生活拠点をつくり、生活を始めようと彼女に提案したようだ。それに対して、ライフワークを進めたい彼女は、今はついて行かないことを選択し、彼女は横浜に、旦那は沖縄で生活をすることとなったという。
ぼくらが飲み歩きを始めたのは、ちょうどその時期であった。



まったく因果なものだった。彼女夫婦が別居を選択したことは、聞いているぼくには、意地の張り合い、ボタンのちょったしたかけ違い、としか思えなかった。
彼女もその口から、
「わたしはさみしくて、とても一人で暮らすことは出来ない」
と、途方にくれていた。
けれど、どんどんと時間だけが経ち、とうとう彼女は広い高層マンションで一人、生活を初めることとなったのだった。



ぼくは怖かった。

なにより彼女は美しく、魅力的で、品があり、笑顔がステキだ。ぼくのように彼女に好意を持つメンズはいくらでもいるだろう。
それに、その頃には、彼女の深酒具合をぼくは度々目の当たりにしていたから、そのうち何か起きて、何かの拍子に男を連れ込んでしまうのではないか、と。
彼女は身持ちが硬い女性であった。が、淋しさに耐えられないのではないか。
ぼくはそんな事態を怖れて、より頻繁に彼女を飲みに誘うようになった。

そして、ついに、その日がやってきてしまった。







二度目の会食

2021-09-02 18:16:40 | 日記


ほどなくぼくは彼女と、仕事帰りに定期的に逢う約束を取り付けた。何しろお互いがお互いの、中学校卒業後の足跡を知るには、それなりに時間が必要だった。連絡は、Facebookでの再会以来、メッセンジャーで取るのが常だった。日本酒と魚が好きな彼女のためには、毎回西荻窪の寿司屋がグットチョイス!となるが、寿司屋の大将の奥さんは、ぼくらお互いに共通の友達と高校で同級生であったし、第一ぼくと奥さんもその店が行き付けであったから、そうそう利用するのはキケンだ。彼女は横浜の高層マンションの高層階に住んでいる。横浜はかつて、ぼくにとっても思い出の地であった。ぼくは、二度目の会食地に、横浜の中華街を提案した。彼女からはOKの即答。すぐに会食を楽しみに、日常を過ごすようになった。ハリが出て、甲斐になった。一月も経っていなかった。二度目の会食の日は、すぐに来た。



リザーブした
聘珍樓横濱本店
の最寄り駅、元町・中華街改札で待ち合わせ。少し遅れてきた彼女と無事再会。道すがら、会話もすぐに、滑らかさを取り戻し。

二度目の会食では、主に女子大を出て、日本最大のメーカーに就職したところから、話を聞いた。そこで新人で入ってきた彼氏が、彼女の旦那さんだ。彼女のような魅力的で品があり、聡明で真面目な女性が、どういう生活を経たら、結婚感について、
「勢いとはずみと、何かの間違い」
で誰でも結婚する、となるのか?
大変に興味があった。





意外な話しから

2021-09-01 17:18:00 | 日記
彼女は話しを切り出した。

実は○○が卒業前にきて、
「○○(わたくし)が○○(彼女)のことを好きで、付き合って欲しいといっている、と○○(わたくし)が○○(彼女)に伝えて欲しい」
と頼まれたと言ってきた。わたしは伝えに来た子を信用していなかったから、
「○○(わたくし)には、彼女がいるけれど、どういうこと?」
と聞くと、それはわからないと言う。話しはそれで終わった、と思ったら、またしばらくたって、戻ってきて、
「今の話しは、なかったことにして」
と言われた。
二人飲みのお誘いがいただいて、そのことを思い出した…

わかりにくくてすみませんが、そんな話しだった。ようは、ぼくはどうも、あるレディースに、彼女へぼくの想いを伝えるように、お願いをしたことがあるらしいのだ。
ぼくは、呆気にとられた。
残念ながら、まったく記憶がない。むしろ驚きの話しだった。そんなことから、飲みは始まった。何せ、小・中学校時代の同級生だから、共通の話題はいくらでもあったし、懐かしい話しが沢山でた。
ぼくは弱小野球部の四番でエースで、彼女はハンドボール部のポイントゲッターだった。お互い目立つ存在だったので、お互いがお互いのことは、知っていた。それが接点が無かった割には、話し易さに繋がっていたのだと思う。



聞きたいことがあった、小学校三年の秋、突然彼女は長野県松本市の開智小学校に転校していったことがあった。その時の感情は、今でも忘れない。初めての失恋体験に等しかった。その後毎日学校で、いない彼女の姿を探したものだった。そして、傷が癒えた一年後、彼女は突然我々の前に姿を現した。小学校の5年の初めだ。その時感じた歓喜も、一生忘れられないだろう。
その1年と少しのことを、彼女に聞いたところ、彼女は開智小学校での生活は、とても楽しかったものであったようだ。懐かしそうに、いろいろなエピソードを教えてくれた。我々の小・中学校は国立大附属で独特の校風だったので、それに比べ、開智小学校はとてもあたたかな学校だったようだ。でも、ぼくとしては、彼女が帰って来てくれたことが、とても嬉しかったと伝えた。別れは恐ろしい。出来れば、別れのない生涯友達でいて欲しいと言ったら、彼女は笑っていた。

その晩は、よく食べ、よく飲んだ。
昔と変わらない彼女の雰囲気、笑顔に魅せられた夜だった。
別れ際、握手し、再会を懇願した。
恥ずかしそうに彼女は、
「はい、いいですよ」
と言ってくれた。