城山峠旧線調査報告で触れた「城山峠の子ダヌキ」を見つけられました。
宗像伝説風土記 (1978年)(上妻国雄)に収録されており、福岡県内の図書館だと置いてあるところも多いようです。他地域でも大学の図書館だとけっこう置いてあるみたい。
この本に収録されているタイトルは「城山トンネルの子狸」となっており、他にも旧宗像郡の民話などが収録されています。まんが日本昔話で原作として採用された「雨を降らせる白ナマズ(白ナマズの恩返し)」「貧乏はつらい」、下巻だと「釣川の長太郎河童」なんかも載っています。
で、城山トンネルの子ダヌキの内容
明治23年の11月に赤間と遠賀川の間の城山峠を越える線路ができて、門司と博多を結ぶ陸蒸気が走り始めました。今まで乗り物といえば牛車や馬車くらいで大きくて機械で動く陸蒸気は珍しく、遠く離れた山里からも弁当を持って見物の人々が来るほどでした。
今のトンネルができるのは約20年後の明治42年のことで、城山峠は九州の箱根とも言われるほどきつい九州一の急勾配で、蒸気機関車が前から引っ張るだけでは登れず、後押しの機関車を繋げ、煙をモクモク吐きながらエッチラオッチラと峠を登っていました。遠賀川から来た列車は、峠を登りきると下り坂でスピードが増すので赤間駅で止まりきれず、少し過ぎた田んぼの中で止まりバックして、赤間駅で給水して博多を目指して走って行きました。
蒸気機関車を珍しがったのは人間ばかりではなく、城山に住む子狸たちもいきなり現れ毎日通る列車を見て「あれはなんだろう?」「狐の嫁入り行列か?」「いやいや大ムカデの行進やないと?」と不思議がっていました。
母狸が「あれは陸蒸気と言って人間の乗り物なんよ。凄く力が強いから近寄ったらいけんばい」と子ダヌキたちに言いましたが、好奇心いっぱいの子ダヌキたちは、汽車が通るたびにこっそり線路際まで見に行っていました。
いつしか子ダヌキ達は列になって森の中で汽車ごっこをやるようになりました。でも森の中で真似をするだけでは飽き足らず本物の線路の上で汽車ごっこをはじめてしまいました。
すると、汽笛の音とともに本物の汽車が後ろから登ってきました。
「兄ちゃん、本物の汽車が来たばい!」とあせる末っ子狸。
「よし、陸蒸気を止めてみるばい」と長男狸。
「いや、母ちゃんが凄く強いから近づくなって言ってたやん」
「城山のたぬきが陸蒸気げなんとに負けんばい!」と逆に汽車に向かう。
「なんか今日はいつもより揺れるな…」と思う機関士。
翌朝、線路の上には子狸の死骸がゴロゴロと…
少し解説のような物を入れましたが、こんな内容でした。
生活圏に鉄道が通るようになり轢死した狸が多く居たんでしょうね。2000年頃の猪との衝突事故もありましたし、狐の鳴き声を聞いたり猿を目撃したこともあります。
しかし、結局報われない話だった…。あと、まとめられた上妻先生には悪いけど城山トンネルは出てこないのに「城山トンネルの子狸」ってタイトルはいかがなものかと。話をされた老人が付けたタイトルなのかもしれませんが。
(^_^;)
あと、頂点越えてそのまますぐに下ってたとなると城山信号場は無かったってこと?
いや、この話自体は開通直後だろうから遅くとも国有化された明治40年頃にはあったんじゃないかな。複線化工事も前後の区間では始まっていたし、遠賀川-赤間の旧線だと13~15kmくらいだろうからこれだけ単線で信号所も無しじゃボトルネックになるわな。列車自体の速度も遅いから行き違い設備は今以上に必要だっただろうし…。となると場所は?
また、狸が汽車に化けて本物の汽車に轢かれ死亡と言った話は全国にもあるようで、偽汽車という項目がwikipediaにあります。
こちらのブログにもまとめられていますので興味のある方はご覧になると面白いと思うんじゃないかな?
オカルトクロニコル-偽汽車で行こう
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