彼はちょうど自分の後ろの、空いていた席に座ることになった。
休み時間になって後ろを見ると、S君は文庫本を読んでいた。
読んでいたのは宮沢賢治の「注文の多い料理店」であった。
普通文庫本を手に取るって、何歳位から?
自分はその頃、まだテレビのアニメや怪獣番組に夢中だったので、本はおろか漫画にさえ関心のなかった時期で、周りのどこを見回しても本を読んでるなんて皆無であった気がする。
S君は「面白いよ」と言って読むことを薦めてくれた。
よく図書館なんかに置いてある、児童文学の本ですら見向きもしないのに、文庫本なんて自分には別次元の世界の話に思えた。
ある日、又背後に目をやると、S君は今度は「どくとるマンボウ航海記」を読んでいた。
何それ。北杜夫は後年コーヒーのCMで有名になるのだが、自分はその時何も分からず、ただただS君が謎過ぎた。
S君はそれからも誰とも話す事もなく、一人で黙々と熱心に文庫本を読んでいた子だった。
そしてある時何日かして、S君が新たに手にしていたのは、あら😲「八つ墓村」だった。それまでの薄めで曲げられそうな文庫本とは違い、辞書かと思うほどの分厚い本で、「どこでそんなの見つけて来るの?」と皆で呆気にとられた。
彼の謎は、ますます深まるばかりだ。
自分が横溝正史を認識したのは、その時が初めてであった。
横溝正史はそれから、角川文庫のフェアで大ブームとなり、自分もそれをきっかけに「犬神家の一族」なぞを手に取ったのだが、何度字面を追っても中味が頭に入って来ず、最初は全然読み進めなかった記憶がある。
「犬神家の一族」は横溝正史の顔のような作品だ。「犬神家の一族」で日本人は横溝正史を知った。
今、映画化された市川崑の「犬神家の一族」が何度目かの劇場公開となっている。
何度目か。はた?自分はいったいどんだけ「犬神家の一族」を見てきただろうか?市川版金田一(石坂浩二)が気に入り過ぎて、ビデオテープがコンブになるほど、DVDがカラス避けのキラキラにされるほど?見ている気がする。
自分の住んでた場所には、公開当時映画は来なかったが、映画のサントラ盤は売られていた。なので前段階としてそれを買い、「犬神家の一族」の音楽だけは矢鱈と聞いていた。
そして本編の映像を最初に見ることが出来たのは、公開からわずか一年たらずのテレビ放映の時だった。
お馴染みの荻昌宏が解説をしていた。
その日は無骨なテレビの前に正座して、一カットも見逃すまいとブラウン管をまんじりともせず睨めつけたのだ。
サントラ先行者の常で、このシーンでこの曲が来るのかと、自分は多分常人とは違ったところで感激を味占めていた。
思いは遥か。
自分がそれから「犬神家の一族」に出合うのは、上京して何年後の事。
角川映画の特集上映が新宿東映で行われた時だ。
初めての大画面での対峙に気持ちの高ぶりもなく、努めて沈着な自分がそこにはいて、久しぶりに懐かしくもない知人に会ったような感じだった。
自分は市川版の金田一を見るたび、三木のり平の奥さん、或いは常田富士男の連れ添いとして毎回画面に一瞬出てくる変なおばさんが、そのぶっきら棒さの佇まいで密かに推している。
今また新宿に「犬神家の一族」が来ているよう。
もう訪ねる事もしないが、もし映画館でまたぶっきらおばさんを見れるなら、今の自分には必殺むせび泣きしかない。