かつて長塚節という歌人がいた。
垂乳根の 母がつりたる青蚊帳を
すがしといねつ たるみたれども
ある日、母を知らない少年はこの歌に出会う。小学生の身空で百人一首なぞをちょこっとかじり、枕ことばを調べるうちにどこかで偶然見つけたのだ。
長塚節は35才の若さで他界するまで、生涯の大半を病と戦った。病に伏せりながら詠んだであろうこの歌に、ただ少年は素直にたじろぐ。
ページの脇に目をくれると、これと似たような世界観の歌が参照されていた。これまた流行り病で早世した石川啄木が詠んだものだ。
たはむれに 母を背負ひてそのあまり
軽きに泣きて 三歩あゆまず
どちらの歌にも子から母ヘ流れる温柔の眼差しが感じられた。母親の存在って何なんだろうと少年は立ち止まり、自分に問いあぐねた。
それからしばらくして、少年は笑わない母に出会う。夜のテレビドラマの帯で、何故か人の子を育て続ける女優池内淳子の姿を見る。
「つくし誰の子」や「ひまわりの詩」。
演じる池内淳子に、何の記憶の欠片もない、自分の母の憧憬の影を重ね合わせた。
人は笑わないわけはないだろうが、池内淳子の面差し、それには寂しげで凪のような静かさしか思い当たらない。
母よ。