この姫沼って、人工的につくられたものだったんですね。
明治の頃にあった、ふたつの小さな沼をくっつけてしまったらしい。
地元の青年団が、大正天皇即位のときのお祝いに、ヒメマスを放流した。
だから姫沼なのだとか。
お姫様伝説じゃなかった。 (´・ω・`)
昨日は、逆さマック。
今日は、ラナルド マクドナルド。
です。
アメリカからやって来たマクドナルドさん。ここから上陸したんですね。
マクドナルドさん。
って、ちょっと、なんか・・・ (´・ω・`)
で、マクドナルドを調べました。🍔 (笑)
マックさんは、スコットランド人のお父さんと、チヌーク族という北アメリカの先住民のお母さんとの間に生まれた。
お母さんの親戚から「自分たちのルーツは日本人なんだ」と、教えられていたという。
アイヌとか、そういう意味のことだったのかな?
マックさん。有色人種と差別され、好きな人とも結婚できなかった。
鎖国をしており、皆目見当もつかない、神秘的な国、ニッポン。
日本人も有色人種らしい。 マックさん興味を持った。
そして、自分のように教育を受けた者なら、日本で良い地位を得られるんじゃないかな。(。´・ω・)?
なんて、下心もあったらしい。
ただ、日本は鎖国をしている。
まともには入国できない。
マックさん考える。
捕鯨船の船長さんに、わけを話し乗せてもらうことにした。
ハワイ、琉球と、長い航海の末、蝦夷地の近くに着いたとき「僕は難破船で漂流したことにします」と、小さなボートに乗り換えた。
最初は焼尻島に着いたんですけど、無人島だと思い、さらに北上。
そして、利尻島の、あそこに上陸したのです。
アイヌの人たちにお世話になったようですよ。
結局、最初の目論見は外れてしまいましたが、日本で初めての英語教師という栄誉を得ることが出来ました。
1845年~1848年 日本に滞在。
マックさんのお墓には「SAYONARA」の文字が刻まています。
さて、アメリカでは。
ここは、ホイットフィールド船長のお家です。
遭難し、島でサバイバル生活をしていた万次郎さんたちを助けた捕鯨船の船長さんのお家です。
万次郎さんは、ここで生活をしていたんです。
仲間の人たちはハワイに残ったのですが、万次郎さんは捕鯨船で働き、アメリカまでやって来た。
まだ若かった万次郎さん。 ここから学校へ通い、様々な事を学びました。
船長さん。 家族同様に育ててくれたんですね。
良い青春を送りました。 万次郎さん。
そして、万次郎さん。 日本へ帰るお金を貯めようと決心。
当時、アメリカはゴールドラッシュ!
万次郎さんも、船長さんの許可をいただき、西海岸へと向かいます。
金を掘って帰国のお金を貯めました。
1843年からアメリカでの生活をしていた万次郎さん。
1851年(嘉永4年)沖縄に上陸。
日本とアメリカの若者が、同じころ、互いの国で生活をし、文化を学んでいました。
歴史って、おもしろいですね。
私、学校を出ていないので、このような話を知ると、ほんと楽しいです。
あのね。
若いころ、なんでも知っちゃうと、歳をとってからのお楽しみがなくなってしまいますよ。(笑)
以下のサイトでお勉強をさせていただきました。
William H. Whitfield - Wikipedia
California gold rush - Wikipedia
アメリカ人のサイトも、日本語で読めるんですね。
凄い時代になりました。 ( ゚Д゚)
スタートの時は、青空。
ただ、高い山は見えません。
チラチラと、雪が風で飛ばされてきていました。
お月様も、このように。
陽も昇ります。
ところが・・・
あっという間に。
降ってきました。
が、ほんの少しの間だけ。
ホッ! (笑)
スタート直後に見た飛行機。
残念ながら、今朝は、スマホ充電中。
帰宅後、調べたら、これでした。
ウォーキングの時は、ほとんど北海道です。
時々、東北地方。
でも、たまに日本海の方から飛んでくるのがあるんです
茨城県沖で旋回し、成田へ向かいます。
若い人には良いクリスマスとなりそうですね。
ご年配の方は、お大事に・・・ (笑)
今日も、ありがとうございました。 (謝謝)